生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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今、聖典である『生命の實相』は梵書状態。 (5322)
日時:2014年10月07日 (火) 23時45分
名前:HONNE

『新編 生命の實相』の全巻出版完了していないので、本スレッドの対象外です。
生長の家社会事業団(学ぶ会、光明思想社)は、『頭注版 生命の實相』オンデマンド版の出版(注文後に製本)はしているものの、通常の出版は実施していない。なお、オンデマンド版の広告(「学ぶ誌」裏表紙)は、平成25年11月号を最後に実施していない。さらに価格は2,500円で、日本教文社発行の1,028円と比べると普及目的の金額とは思えない。
『生命の實相』は、聖典であるという。神殿であるという。
なのに、著作権を持っている者が、『生命の實相』全巻を出版していないという現実。(悪く言えば、梵書状態)
そして、『生命の實相』を梵書状態にあるにかかわらず、「学ぶ誌」には、谷口雅宣総裁が絶版にした谷口雅春先生聖典一覧の記事が毎号掲載されます。
自分たちの矛盾には、口をつぐむ。本流には、そのような体質があるのでしょうか。
『新編 生命の實相』の売上に関する損得勘定でしょうか。
聖典『生命の實相』も損得勘定の対象にしてしまうのでしょうか?
聖書を発行しない、キリスト教はあるのでしょうか?
日本教文社に、『頭注版 生命の實相』を出版してもらった方が良いのではありませんか?
そのほうが、聖典『生命の實相』に救われる方が大勢出ると思います。
いったい、誰のための、何のための、聖典『生命の實相』なのでしょうか?

HONNE 様の意見には、賛成できません。 (5329)
日時:2014年10月08日 (水) 21時35分
名前:未 生



 そもそも新版の『生命の實相』を1冊出版するのに、どれくらいの経費が掛かるのか、HONNE 様は考えたことがあるのでしょうか。

 たとえば、1刷りで3000冊出版するとして、500万円必要と仮定すると、(実際の経費はいくらなのか、光明社に訊ねなければわかりませんが)
 生命の實相を頭注版で全40巻を出版するために、500万円×40巻=200,000,000円、つまり2億円必要になります。

 まして新版が60巻以上になるとすると、それ以上のお金が必要になります。

 現在の谷口雅春先生を学ぶ会には、それを一度に出版する経済的な余裕がないでしょう。

 1巻づつ出版して、その利益から、次の出版の資金を積み立てざるをえないとすると、早急に生命の實相を全巻出版することは、無理だと思います。

 可能な方法は、HONNE 様が、2億円の献金をして下さることだと思います。

 そのような事情を考慮して、出版云々を考えて下さい。

 




矛盾しているのは光明思想社であります。 (5330)
日時:2014年10月08日 (水) 22時03分
名前:山ちゃん1952

未生様へ

私もHONNE様のいうことはご尤もである。

また、金額などは仮定では換算しないで欲しい。
また、寄付すればいいのだというようなことは卑怯な言い方であります。

それならば金額でとやかくいうならば『頭注版』で軽印刷でもよかったのではないか思います。(オンデマンド出版をしているのですから)

敢えて金額が高くなる65巻など出版の経費を考えると矛盾している。
何人かの元理事が65巻を中止要請したが、それを振り切って出版した事情がある。
やはり、自業自得のような気がします。

あえて金額が高くなるようにしたのは「光明思想社」ですから文句はいえないと思います。



未 生さんの仮定の数字なら、実現可能です。 (5331)
日時:2014年10月08日 (水) 22時24分
名前:HONNE

2億円ですか。
私は、新編『生命の實相』奉讃会に、小額ではありましたが10万円寄付いたしました。
仮に私のような者が、2,000人いたのなら、2億円を集めることができます。実現不可能な金額ではありません。
生長の家社会事業団は、目的を特化した寄付も考える必要もあると考えます。
動かなければ、前に進みませんよ。
別スレッドでも書きましたが、
《学ぶ会も生長の家社会事業団も、もっと知恵を働かせてほしいです。》
「できない、できない」ではなく、「できる、できる」ですよね。
生長の家の教えは・・・。違いますか?


それと、未 生さん、
【可能な方法は、HONNE 様が、2億円の献金をして下さることだと思います。】
というような、発展性のない書き込みはしないほうが良いですよ。

やはり難しいてすね (5332)
日時:2014年10月08日 (水) 23時16分
名前:不動明王

谷口雅春先生ご尊命の時代にはなかった悩みです。

開祖谷口雅春先生のご指示があれば価格の問題など、即決するのですがね・・・・

それぞれみなが谷口雅春先生への尊崇と信仰心を忘れずに話し合い

ましょう。谷口雅春尊師ならばどのように指導されるか、それこそ

が本流を行く者の大切な事と思います。

考えてください。 (5333)
日時:2014年10月08日 (水) 23時46分
名前:HONNE

雅春先生は、『生命の實相』全巻が出版されていない状態を放置するであろうか。
新編は編集作業が終わっていないから無理でしょうが、頭注版ならできるのです。
繰り返し書きますが、『生命の實相』は誰のためのものですか、何のためにあるのですか?
新編全巻完了まで待ちなさい。?
『生命の實相』の存在意義とはその程度のものなのですか?

焚書状態などと、空言を弄すること莫れ! (5340)
日時:2014年10月09日 (木) 18時59分
名前:未 生



 事業が順調に進まなくなると、「だから最初から反対していた」と主張し、仲間の足を引っ張ろうとする人は、どこにもいるようです。そのような人に限って、傍観者的な立場に自らを置き、あるいは部外者のような発言を好みます。

山ちゃん1952 様も、自分の反対意見ではなく、「何人かの元理事が65巻を中止要請したが、それを振り切って出版した事情がある」などと、他人の意見をあたかも自分の意見であったかのように主張され、出版事業に反対されるのは、「卑怯な言い方であります。」

 まして、現在も新版『生命の實相』の出版が順調に進んでいる現在、新版『生命の實相』の出版を推進している「学ぶ会」や「光明思想社」の仲間に、大変失礼な発言であると思います。


 そもそも、『生命の實相』頭注版は、入手できる状況であるにもかかわらず、「焚書」の状態であるかのような発言は、事実をゆがめた悪意ある発言以外のなにものでもありません。

 新版『生命の實相』が全巻完成するまでのつなぎとして、オンデマンドであれ「出版」できることのどこに問題があるのか、理解に苦しみます。

「日本教文社に、『頭注版 生命の實相』を出版してもらった方が良い」などと発言するのは、これまでの社会事業団とマサノブ教団との裁判の判決をまったく否定する物言いであり、学ぶ会のとる立場ではないでしょう。

 従来より価格が高くなったのは、事実でしょうが、小生のもっている昭和40年代に発売された新装携帯版『生命の實相』の定価は、400円です。

 定価は時代や経済状態によって変動するのは当然で、1028円で買えるかどうかが大事なのではありません。それは、誰でも安いに越したことはありませんが、いまさら400円にすることもできないでしょう。

 HONNE 様はが生命の實相の出版を「熱願」されていることや、10万円を寄付されたことに敬意を表します。しかしながら、現在の「学ぶ会」の信者や活動者は、ほとんどがボランティアです。

 東北地方に住んでいると、東京で開催されている「東京靖国一日見真会」や「全国大会」に参加するための、1回の往復の交通費だけで3万円近い出費になります。だからどうということはありませんが、自分は●●円も寄付したなどと、吹聴しない方が賢明でしょう。皆、自腹で活動しているのです。

「第2回全国大会」の参加者が、1200名程度であることを考えると、HONNE 様のような奇特な出資者を2000名集めることは、現状ではまだ不可能でしょう。

 でも雅春先生の教えを残し伝えるために、それぞれの立場で、最大の努力をされている「学ぶ会」の会員の皆様に頭が下がるのみです。

今「光明思想社」が推進している事業が、より前進するように、協力することが最善の方法であるかと考えております。

 最後になりましたが、HONNE 様だけではなく、誰も2億円も出資することなど、不可能なのは、最初から分かっております。

 ブラックジョークがきつすぎたかもしれませんが、事実無根の「焚書」状況であるかのように発言されているHONNE 様のブラックジョークに対する、返礼のつもりであります。悪しからず。


どうしてそんな意見になるのか? (5341)
日時:2014年10月09日 (木) 20時27分
名前:山ちゃん1952

あまりにも無秩序の書き方に情けない思いです。
飛躍して反対に何言っているのかわからない文章です。

どうしてそんな意見になるか理解に苦しむ。
私は出版には反対していません。

【山ちゃん1952 様も、自分の反対意見ではなく、「何人かの元理事が65巻を中止要請したが、それを振り切って出版した事情がある」などと、他人の意見をあたかも自分の意見であったかのように主張され、出版事業に反対されるのは、「卑怯な言い方であります。」】

エ!よく読んでください。65巻を中止要請と書いています。
もうほんとに言葉を読めないのですね。
頭注版にすればいいのです。それならオンデマンドも頭注版ですし、全印刷するまでの補足として使用出来ます。
また、オンデマンドが頭注版で全65巻の新編『生命の實相』ならば購入する人も減少します。

新編『生命の實相』が65巻になり、印刷まで工程作業がなされていない時にブログで正々堂々と反論しました。それを見ていた理事が貴方の文章は正しいとおしゃったのです。そのことは白水さんも知っています。そのブログで反論した後に白水さんと元理事と話し合いをもったのであります。

私は全『生命の實相』を凡て所持していますので、それを読んで反論しました。


光明思想社のことを考えても頭注版の踏襲でよかったと思います。
また、『生命の實相』のこれまでの歴史を考えて見ると戦前の黒布や革表紙、ビロ-ド版、廉価版、菊判、大聖典、中聖典、人造半皮、新修普及版や新修特製版、豪華携帯版、布装携帯版、豪華版、愛蔵版と『生命の實相』から戦後の頭注版『生命の實相』まで谷口雅春先生はその項目を変更されていません。
何故、変更されなかったか考えたことがありますか?
しかしそれを今回の新編『生命の實相』では変更しているのであります。
『バイブルを項目変更するのと同じ』ことを行っているのであります。


いままでの『生命の實相』は新編『生命の實相』以外は秩序を考えた雅春先生の御意志があります。そのように編纂されたのは、雅春先生の大きな意味があるのであります。其の辺を変更するのはいかがなものかを問うたわけです。


元理事の名前を出してもいいですが、迷惑かかりますので省略しますが、その時も私も同様な意見でしたので40巻で出版したほうがいいと思っています。そのことは白水さんもよく知っています。
前原先生からもあまり厳しいこと言わないで欲しいともいわれましたが、前原先生も私の意見もわかると言われました。



オンデマンドは頭注版を踏襲しているのですよ。それならば65巻とするより、40巻にすればいいのです。費用や手間も省けます。
私の意見は「学ぶ会」の人もよく知っています。ただ私は「学ぶ会」には協力します。何かお手伝いあればやらさせていただきます。出来る限り沢山の人に購入して欲しいそのために、いろいろなアイデアもブログで書きました。
当時、私の意見に賛成してくださる人も多くいたのは、新たに生命の實相を購入するにも「頭注版」で35巻〜40巻所持していなければ新編で同じ項目であるならば、購入しやすい。
しかも、短期間で発売もできるわけですし、印刷代も抑えられる。何から何まで都合がいいのです。

何故白水さんは65巻に拘ったのかわかりません。
ただ、ここまで時間が費やされているのに苦言を申しました。



また、出来なければ貴方が払いなさいなんて、全くナンセンスです。
初めに謝るのが正当のように思います。



今、聖典である『生命の實相』は梵書状態。 (5342)
日時:2014年10月09日 (木) 20時47分
名前:HONNE

これは、ブラックジョークではありません。

「寄付したことを吹聴」ですか。
そういう認識なんですね。がっかりです。

真の生長の家の教えを“しっかり”と伝えていただきたい。
でも、私にできるのことは少額のお金を出すこと。
それだけのことです。

それと、山ちゃん1952さんのこと、誤解しないようにお願いします。


※追加修正
 上記投稿は、山ちゃん1952さんの投稿を読む前に作成しました。10/9 20:53

 (5343)
日時:2014年10月09日 (木) 21時15分
名前:火曜クラブ 

生命の実相が一番大切なのに残念だなあ。

『頭注版 生命の實相』オンデマンド版 (5347)
日時:2014年10月10日 (金) 00時04分
名前:HONNE

日本教文社発行の『頭注版 生命の實相』は、ほぼ品切れ中です。
『頭注版 生命の實相』のオンデマンド版が、『生命の實相』を求める欲求にすべて応えているならば、梵書状態の表記は不適切なので素直に謝りまり、撤回します。
そうでないのであれば、著作権を持つ生長の家社会事業団は、現実的な対応を講ずる必要があります。
資金が不足しているのなら、資金を調達する方策を考えてください。
協力者は必ず出てきます。
「無い、無い」の思いは、成就の途を閉ざすだけです。
生長の家社会事業団、学ぶ会、光明思想社が今あるのは、様々な行動をとってきた結果なのですから。

この論争に思う。 (5348)
日時:2014年10月10日 (金) 00時21分
名前:だから。

いろいろな御意見、拝見しました。

 皆様、白熱した意見ですが、それは、”生命の實相”が、

 あまりにも、素晴らしい故の論争ですよね。

私は、ただ純粋に、”生命の實相”の出版そのことが守られた事が

ただただうれしい。八ヶ岳教団のもとでは、廃版にされる可能性

すらありましたから。

 ”生命の實相”は、御意見を入力された方々の私物では
 ありません。 そのことを、熟知ください。

敵(本来敵などありませんが)は、本能寺にあり ですぞ!!

冷静に考えれば、敵は 八ヶ岳教団!!

この論争を、一番喜び、高見の見物を楽しんでいるのは、

あの、雅宣総裁(自称)ですぞ!!

”生命の實相”は、もちろん、全巻揃っても素晴らしいが、

それぞれの、各一巻だけでも、十分素晴らしいと思います。

それは、教育篇を読まなくても、ある人にすれば、實相篇を

拝読することで、教育問題も解決する様に・・・。

俱胝和尚は、指一本立てることで、人々を救って来た。

それは、”生命の實相”一冊を読むことで、魂が、全巻を、直覚

把握したのと同じだと思います。

 練成会に十年参加しても何も解らない人もいれば(教団に残る人 達)、一回の参加で、直覚把握する人もいるのです。

私は、次号の発刊に、心ときめかせながら、十巻までを、繰り返し
繰り返し拝読中です。それも中々良いものです。

私ごとで恐縮ですが、私が頭注版 40巻を読破したのは、
一括購入後、20年経ってのことでした。

 ”生命の實相”は 素晴らしい!!

これが皆様の 共通意見のようですね!!

過去の記事の転載です (5351)
日時:2014年10月10日 (金) 02時25分
名前:転載マン


『新編 生命の實相』の章立て変更に対しての疑義に対してお答えします! (1942)

日時:2013年10月17日 (木) 19時52分
名前:「学ぶ会」広報官

皆さまのご支援によりまして、『新編 生命の實相』も第7巻まで順調に発刊することができました。

しかし、ここに来て、またぞろ、『新編 生命の實相』の章立てを“勝手に”変更したことは、谷口雅春先生のお心に反するのではないかという疑義を呈する人たちが出てきました。

こういう人たちは、今後も何かにつけ、しつこく、これを言い募っては、『新編 生命の實相』に“難癖”をつけてくるのではないのかと思われます。

なぜ、敢えて、“難癖”というのか?

谷口雅春先生のお心に反しているというのであれば、当然、谷口雅宣総裁の新しい「経本」の発刊についてもガンガン文句をいい続けなければおかしい。

だって、「聖経」は補強しなければならない、これほど谷口雅春先生のお心を踏みにじる発言はないからです。

ところが、この方々は、新しい「経本」の発刊については、「私もおかしいとは思っている、だから私は読まない」というだけで、これを発刊した谷口雅宣総裁については、それ以上の追求を決してしようとはしないのであります。

これでは首尾一貫しないではありませんか?!

結局、『新編 生命の實相』の発刊が気に入らない、面白くない、その感情的な反発があるからとしか、こちらとしては思い得ないのであります。

本当にそれが問題だというのであれば、直接、「光明思想社」に問い合わせればいいだけの話なのです。

ところが、そういうことはしないで、こういうネットで騒ぎ立てようとする。

無視しても構わないのですが、この際、こちら側の見解を明らかにして、“為にする論”にハッキリと決着をつけるのも一興かなと思い、ここに回答を記させていただく次第です。

さて、その回答に入る前に、日本教文社の前社長で、当会の代表でもあります、中島省治代表の重大な言葉を紹介しておきます。

中島代表は、この件に関して、「谷口雅春先生は『頭注版 生命の實相』の構成に、直接、関わっていないように思われる。篇の順番に対しても関わっておられない確率が極めて高いのではないのか」と言われています。

それを裏付けるかのように、『頭注版 生命の實相』が余りにもひらがなが多いことに、谷口雅春先生が激怒なされたという事実があるのです。

『頭注版 生命の實相』に直に関わっておられたら、尊師が激怒された理由が成立しません。

なるほど、『頭注版 生命の實相』を繙きますと、「われわれ」「わたし」等、どうして漢字にしなかったのかと思われてならない表現かそこかしこに見受けられます。

ひらがなが多いために、実に読みにくくなっているし、しかも品がない、という問題があることを知っておいてください。

つまり、谷口雅春先生が直に関わっていないと思われる『頭注版 生命の實相』をあまりにも絶対視して、それを拠り所にして違いを論うのは、いかがなものかなと思う次第です。


前置きが長くなりました。

それでは、『新編 生命の實相』で、なぜ、章立ての変更をしたのかということについてご説明させていただきます。

@まず、『生命の實相』は戦前も含めて18種類あります。
その全てが、全部、章立てが同じかといえば、決してそうではありません。
そのことからしても、章立ての変更は決して谷口雅春先生のお心に反するものだとは決めつけられないと考えます。

A『新編 生命の實相』のコンセプトは、とにかく読みやすくするということにありました。
だから字を大きくして、行間もあけるようにしたのです。
そして、『頭注版 生命の實相』のコンセプトにもあるように、『新編 生命の實相』もハンドバッグにも入る大きさにしたい。
総頁数も200頁を目処とする。
当然、そうなると、巻数が多くなる。
それはこのコンセプトを優先する限り致し方ない。
巻数が多くなることは、この際、目を瞑るしかないと覚悟せざるをえませんでした。

B各巻、それぞれ頁数を揃えるということにしたら、章立てを工夫せざるをえませんでした。
そのことは、『頭注版 生命の實相』においても散見せられるところであります。
例えば、『頭注版 生命の實相』第18巻「宗教問答篇」というのがあります。
また同じく『頭注版 生命の實相』第23巻にも「常楽篇/経典篇二」の下に「宗教問答続篇」というのが出てまいります。
しかもこの「宗教問答続篇」はわずか15頁しかありません。
普通であれば、「宗教問答篇」として一緒に章立てしたがいい筈です。
どうして、こんな分け方をしたのか?
総頁数を揃えるための苦肉の策ではなかったかと思わざるをえません。
何を申し上げたいか。
『頭注版 生命の實相』でも決してきれいなわかりやすい章立てになってはいないということであります。

C以上のことから、『新編 生命の實相』においては、『頭注版 生命の實相』の章立て、構成を尊重し、それに準拠しつつも、決して、そのまま踏襲することはしないということにいたしました。
そこで、問題の『新編 生命の實相』の第1巻になるわけですが、「総説篇」のあと、どうして「実相篇」をもってこなかったのか?
当初は、そのようにしようと考えました。
しかし、総頁数を勘案すると、どうしても中途半端な感じが否めない。
どうするか、なかなか判断を決めかねていたとき、「総説篇」のあと「光明篇」を入れると実に収まりがいいということに思い到ったのです。
それというのも、この「光明篇」というのは、黒皮表紙『久遠の実在』では「総説篇」となって冒頭に出ていたからです。
ぜひ、ここにご注目いただきたいのです。
同じ「総説篇」であれば、『新編 生命の實相』の第1巻として、それこそ「総説篇」として実に合致するではないか、そう思ったというわけです。
また、これを入れると全体の総頁数も実に収まりが良い。
そしてなおかつ、これをもって『新編 生命の實相』の第1巻にすれば、その後の第2巻以降を「実相篇」の「上・中・下」として、スッキリと章立てがうまくいく。
そのように考えたというわけです。

Dとりわけ、ここでご注目いただきたいのは、『新編 生命の實相』では、各巻毎に、その「タイトル」を前面に押し出したということがあります。
例えば、『頭注版 生命の實相』では、その表紙には、「総説篇・実相篇〈上〉」としか記されていません。
しかし、『新編 生命の實相』では、「総説篇・光明篇」だけではなく「七つの光明宣言 生命に到る道」というタイトルを大きく打ち出しました。
どうして、こういうことをしたのか?
『新編 生命の實相』では、そのタイトルを背表紙にまで記すことで、そのタイトルの魅力で本を手にする読者もいるのではないのかと思ったのです。
谷口雅春先生がその章立てに使われた素晴らしいタイトル、その言葉をもっともっと前面に出していこう。
そのタイトルに引かれて、その巻だけでも読んでもらう。
どの巻から読んでもいい。
タイトルに引かれて読みたいという思いを駆り立てる。
そういう『新編 生命の實相』にしたいと思ったのです。

そのあたりの『新編 生命の實相』にかけた思いをぜひ、お汲み取りいただければと心から念願する次第です。

以上が、今回、章立てを変更させていただいた理由です。

それでも納得がいかないと言うのであれば、今後は、直接、電話でもお問いあわせしていただければと思います。


http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=442

転載マン様、了解です。 (5352)
日時:2014年10月10日 (金) 02時58分
名前:だから。

私は、”新編 生命の實相”を編集される方々に、愛を感じます。

私の知る、多くの仲間は皆、同一意見です。

 それは、編集される方々が、雅春先生の御心を第一にして
 いるからだと思います。

外野から ヤジを飛ばす方々に、聖典を 編集、出版できるの
ですか・・・?
勿論、著作権がありませんから、それは無理ですが・・・。

少し過激に言いますが、

 文句を言うなら、買うな、読むな!!

というところです。悔しくて、涙が出そうです。

聖典は、百科事典ではありません。全巻揃わなければ、価値なし
など、本当に、聖典を理解出来ない方々の、遠吠えにしか
聞こえません。

聖典は、収集家の コレクションではありません。

魂で、聖典を拝読いたしましょう!!

                 以上  終わり。

わかりました。 (5353)
日時:2014年10月10日 (金) 06時08分
名前:山ちゃん1952

私は単に蒐集家と思われても致し方ないと思います。
ここで発表するなど初めてでありますし、「光明掲示板」にも最近掲載していません。
だから、そのように思われても仕方がないです。

わかりました。これでこの議論は終わります。

このスレッドが問題にしているのは・・・ (5354)
日時:2014年10月10日 (金) 07時29分
名前:HONNE

このスレッドの初めに

『新編 生命の實相』の全巻出版完了していないので、本スレッドの対象外です。

と書きました。

山ちゃん1952さんの『新編 生命の實相』に関する記述は、『生命の實相』全巻が、誰もが容易に読むことができないことの背景を考察したものと理解しています。

このスレッドが問題にしているのは、
”生命の實相”一冊を読むことで、魂が、全巻を、直覚把握できるとか、雅宣さんがここでの論争を楽しんいるとか、
そのような次元のことではありません。

また、やじ・文句の言葉を使われる方もいますが、これは受け手の感覚の問題であり、発言者の真意をとらえたものではないと思います。

私の考えるところ (5360)
日時:2014年10月10日 (金) 15時39分
名前:あめのうずめ

初めてこちらの板に書き込みをします。よろしくお願い致します。

『生命の實相』を、いつでも誰でも読める状態にしておくべきだというHONNE様のお考えは、尤もだと思います。

けれども、その前に、教団がやるべき事がある筈だと思います。

教団側は、社会事業団に対して、

“申し訳ありませんでした。以後、著作権料をきちんと払いますので、どうか頭註版『生命の實相』を、日本教文社から出版させて下さい”

そのように仰るのが筋だと思いますが。

話は、それからではないでしょうか?


しかし、教団側は、反省のハの字も無く、今現在も負けるとわかっている裁判を続行しています。


頭註版『生命の實相』の復活を望むなら、教団側に上記のような言動を求めるべきであって、

社会事業団側を責めるのは、お門違いのように思います。

RE 私の考えるところ (5363)
日時:2014年10月10日 (金) 19時26分
名前:HONNE

雅宣さんも教団も謝るということは絶対にしません。
反省も絶対にしません。
残念ながら、そのような体質なのです。

素直に誤りに気付き、反省することができたのなら、
左遷人事もなかったろうし、ときみつる会や学ぶ会の設立もなかったでしょう。今のような状態にはなっていません。

雅宣さんは総裁を絶対にやめません。
雅春先生や清超先生がお亡くなりになるまで総裁であったように、雅宣さんもそれを踏襲します。
反省できない体質は続くのです。

生長の家社会事業団は、結果的に日本教文社による『頭注版 生命の實相』の継続出版を断りました。
それぞれ組織としての思惑があるのでしょう。
“おとしどころ”もあると思うのですが・・・・。
お互い歩み寄り“おとしどころ”を探そうとしているのか、どうなのか、私は知りません。

そのような中で、生長の家社会事業団に求められる事が多くなるというリスクが発生することを、生長の家社会事業団は承知していたはずです。
もし、そのようなことを考えていなかったするならば、見通しが“甘い”ということになります。
正統・本流を背負うことは、それなりのリスクを背負うことでもあると、私は思います。
私は、そのリスクのサポートを、私にできる範囲で行いたいとも考えています。ただ、自分の主張は述べていきます。



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