生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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<追記> 皆様方の「新教団」立ち上げに関する御意見を拝読して・・・ (5391)
日時:2014年10月14日 (火) 17時42分
名前:画龍点睛



合掌、ありがとうございます。10月6日の「微笑破顔 」様 の<緊急提言――「新生長の家教団」の設立を急げ>の御投稿を端緒として、「本流」信徒の皆様方のさまざまなご意見が提示されました。それらのご意見を拝読いたしまして、私の感じたことを追記いたします。ブレーンストーミング方式(自由な雰囲気で、他を批判せずにアイデアを出し合い、最終的に一定の課題によりよい解決を得ようとする方法)で考えてみました。



@ まず、「一寸法師」様のご質問――<“八ヶ岳教団”といえども、宗教法人「生長の家」として登記されており、新教団が「新・生長の家」や「正統・生長の家」や「真正・生長の家」などと冠をつけた「生長の家」を宗教法人として登記申請をしても法務局が受理してくれるのでしょうか。 たとえば、新・トヨタやNewパナソニックなどの新会社を創立して法人登記をしても法務局が受理しないと思いますが…。>に関しまして、私は次のように考えます。――

「新・トヨタ」や「Newパナソニック」などの新会社を創立しようとする人は、有名会社のイメージを利用して儲けようとする魂胆がその裏にあります。“悪意の魂胆”から出発しています。これに反し、われわれの「新・生長の家」や「正統・生長の家」の名称には“悪意の魂胆”などは一切無く、むしろ「マサノブ(自称)総裁」にこそ“悪意の魂胆”が充満しており、本来の『御教え』を換骨奪胎しておきながら、看板だけは“金の成る樹・打出の小槌”と認識して『生長の家』と言う名称を使い続けているわけです。このことが最大の相違点であり、「新・生長の家」あるいは「正統・生長の家」なる名称は公的にも十分通用する論理構成ある正当的主張であると考えます。



A 純粋な信仰心ある信徒さんなら、「本流」諸団体や諸グループが乱立した状態はあくまでも過渡期のものであって、出来るだけ早く「本流」は一つにまとまってほしい、と望まれています。この気持を端的に示されているご投稿文があります。


http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=208
本当の教えNEW (1052) 日時:2014年10月13日 (月) 19時46分、名前:心

<< 谷口雅春先生を通して住吉大神様が、私たち人類に素晴らしい教えをいきる希望、目的を与えてくださりました。この教えがなかったら本当に私は、死んでいたでしょう。命の教えです。それが、今、寂しい状態です。ともに何の駆け引きもなく、命のまま、裏表なく話せる世界。信仰以外の現象世界は、駆け引きや思惑や、嫌なことが多いです。だからこそ、神様との世界だけは、真実の純粋な関係でいたいですよね。私も生長の家をやめました。でも、祈りをし、生命の実相はよみつづけています。学ぶ会、社会事業社、その他の生命の実相谷口雅春先生を思う団体が一つになってほしい、末端信徒の願いです。向かう方向が同じなら、ともにひとつになってほしい。そうすれば、不信感もなくなります。聖使命も気持ちよくできます。谷口雅春先生も生長の家のもと一つになってやってますよね。そのなかで、駆け引きなく、お互い信じあってともに話し生きていきたいです。
そうでないと、派閥を感じ、キリスト教の分派を感じ、どこにも所属したくなくなります。こんな世の中だからこそ、信仰だけは、真実の駆け引きもなく、お金とか関係なく、心の付き合いをしたいです。私も、活躍したり、運動したりしたいです。でも、今の、状態が、私のような、末端信徒の未熟者には、ついていけないのであります、谷口雅春先生のような、一つの団体になってほしいのです。>> (関連記事:日時:2014年10月14日 (火) 12時31分、名前:元白鳩会幹部「心さんに同感します。」NO.1064をもお読み下さい)



B 冒頭文で述べましたが、この「新教団」起ち上げに関する考え方は、“ブレーンストーミング方式(自由な雰囲気で、他を批判せずにアイデアを出し合い、最終的に一定の課題によりよい解決を得ようとする方法)”で出来るだけ多くの方々が意見を出すのがいいと述べました。自分と異なる意見を言われた場合、頭から感情的にピシャリと抑える意見は良い結果を生まないと思います。そこで、皆様方のご意見の中から、ブレーンストーミング方式にしたがって有益な文章が幾つかありましたので次に列記させて頂きます。ここから「新教団」設立に関するより一層素晴らしいアイディアと問題解決策が出てまいります。


A、「マサノブ教団」のイソベ理事長からの不当な圧力

  << (「生長の家社会事業団」に対して)1.財団法人解散にあたっては、生命の實相等の著作権は、すべて教団に譲渡せよ。2.社会福祉法人等の後継法人の名称には、「生長の家」の名称は絶対に使用してはならない。>>(「光明掲示板」投稿NO.963)

  <<  日本においては、宮澤先生は最高裁判所で全面勝訴されました。しかしながら、日本で敗れた教団は、オーストラリアの弁護士達を使って、オーストラリア法人の全財産を奪い取る裁判を現地でおこしました。この裁判の終結条件として、教団は、宮澤先生に対して、「生長の家」の名称を使用してはならない等の非道な要求をしてきたのです。>>(「光明掲示板」投稿NO.1013)


B.「マサノブ教団」は、法的には“幽霊法人”つまり、存在しない法人である。

<<『宗教法人「生長の家」国際本部』と『生長の家“森の中のオフィス”』について、『履歴事項全部証明書』の交付申請をしたところ、約1時間後に「申請された名称での法人は、登記上存在しません。」と交付申請書を戻された。>>(「光明掲示板」投稿NO.986)


C.「マサノブ教団」は、<宗教団体の同一性を喪失している>こと。

<< 「宗教団体としての同一性」は、宗教法人の所在地移転の規則変更認証審査等において、所轄庁が最も注目する事項です。>>(「光明掲示板」投稿NO.633)


D.「マサノブ教団」は、「生長の家教規則」違反をした運営を行なっている。

<< 人類光明化のため、生長の家教規(以下「教規」という。)に基づき、生長の家の教義をひろめ、教化道場及び礼拝施設を備えて、儀式行事を行い、信者を教化育成すること(後略)に絞り、法人成立当時の「教規」と実態との相違を明らかにし、「宗教団体としての同一性」の是非を司法の判断に委ねるべきだ。そのためには、たとえば“生長の家の大罪”という「意見広告」を産経・読売新聞に掲載し、宗教法人生長の家を形骸化させた「八ヶ岳教団」の実態を信徒やマスメディア等へ周知するとともに、裁判(裁判費用の献資等)への支援、賛同者を募ればよい。>>(「光明掲示板」投稿NO.986)

 << 現行の「生長の家教規」を精査されまして、”八ヶ岳教団”の宗教団体としてあるまじき姿を明かにして、司法と世間の判断に委ねてください。(注:特に第5条「教義」・第6条「本尊」・第8条「儀式」は重要です)>>(「光明掲示板」投稿NO.1006)


E.法人格のない宗教団体の設立

<< 先ずは法人格がない宗教団体を設立するところから始めたらいいと思います。>>(「トキ掲示板」本流対策室/5 投稿NO.9237)

<<  公益法人の認定基準にも、宗教活動や政治活動は禁止するというような規定はありません。
 その法人の定款に定められた「目的」と「事業」(公益目的事業といいます。)の範囲内であるかどうかが問題なのです。その公益法人の目的と公益目的事業の範囲内であれば、純粋な宗教的儀式を執行することは当然のこととされています。以上のとおり、定款の定めの範囲で可能であるというですが、もし、宗教法人であれば、定款に関係なく、自由に宗教活動が展開できるという違いはあります。>>(「光明掲示板」投稿NO.1036)



C 上記、A〜Eから綜合的に考えても「新教団」の設立は、問題がないという事が判ります。問題点があるのは、「新・生長の家」とか「正統・生長の家」と言う名称に対して、「マサノブ教団」が“「生長の家」という名前を使うな”と不当な圧力を掛けてくると思われる問題だけが焦点となります。しかし、イソベ理事長が圧力を掛けてきても常識的にも法律的にも理不尽な横車でありますから、充分に反撃が可能であり、不利な立場に追い込まれるのはイソベ理事長であります。したがって、諸条件は絶対的に「本流」側が有利であり、「マサノブ教団側」はすべてに亘って不利な状況であることが判ります。



D 「光明掲示板」投稿NO.1013に於いて「生長の家社会事業団の今日的使命」として次のようにあります。――

<< 生長の家社会事業団は、創立者谷口雅春先生の構想に込められた正統な創立の精神に回帰するとともに、次のとおり、今日的使命を明確にし全力で実現致します。
 第一に、尊師谷口雅春先生より託された人類の至宝の『生命の實相』『聖経甘露の法雨』等の著作権を必ず守り抜きます。
 第二に、創立者谷口雅春先生のすべての著作物を含む図書資料を整備し、国家と社会を救うためにその活用を図ります。そのため全国都道府県に分館を設置します。
 第三に、谷口雅春先生の教えの奥義を学び語る千名の講師を育て正しい真理の普及に貢献するため全国各ブロックで「生長の家教義」研修講座を開催します。
 第四に、谷口雅春先生創立の当法人の目的事業に協賛する各組織を支援し、連携の要(かなめ)となります。
 第五に、青少年育成事業として日本一の児童養護施設を実現するとともに、全国各地での「青少年練成会」の開催を後援し、積極的に講師派遣等指導協力を行います。>>

この内の、<第四>に注目いたしますと、<当法人の目的事業に協賛する各組織を支援し、連携の要(かなめ)となります>とありますように、“支援”であり、“要”であり、直接に今までの「生長の家」と同じ宗教活動をすると言う意味ではないと思います。故に、“支援”される対象といっては変ですが、宗教・信仰団体としての「新教団」は設立されてもおかしくはないと思います。世間常識から見ましても「社会事業」と云う言葉から受けるイメージと「宗教・信仰」と言う言葉から受けるイメージとは全然違います。イメージ的な“社会的訴求力”は「生長の家社会事業団」よりも「新・生長の家」あるいは「正統・生長の家」では、宗教・信仰サイドから見れば後者の方が断然上であります。また、対社会的布教活動に於いても後者の方が容易に教勢拡大が可能になると思います。



E とにかく、「マサノブ教団」を脱退された元・本部講師の方々が一本して「本流」復活の一点に糾合して頂き、御三家を奉戴して「新・生長の家」あるいは「正統・生長の家」という「新教団」設立に向かって頂きたいと思います。「学ぶ会」の前原副代表以下の元本部講師の方々が中心になって全国の元・本部講師の糾合から御努力いただきたいと思う次第であります。  再合掌





才気溢れる明快なるご指摘に感謝 (5447)
日時:2014年10月20日 (月) 11時38分
名前:微笑破顔


画龍点晴樣

いつも才気溢れる明快なるご指摘、心より感謝申し上げます。

貴兄を心よりご尊敬申し上げております。

どうぞ今後ともご指導を賜りたく、宜しくお願い申し上げます。(感謝合掌)



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