生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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「子記事」から「親記事」へ ・・・  < なんと云っていいのやら、このような忘恩の信徒達が居るとは知らなかった!!・・・ >   (5410)
日時:2014年10月16日 (木) 12時51分
名前:八ヶ岳自然居士





< なんと云っていいのやら、このような忘恩の信徒達が居るとは知らなかった!!・・・ >




ここ一週間ばかり、「本流」掲示板に於いては、マサノブ君が「生長の家教規」を盾にして、死ぬまで総裁の椅子に坐り続ける。そして信徒の浄財を我が物顔に自分一代で、地球環境保護に名を借りた個人的事業(宗教貴族の道楽)のために使い切ってしまう危険性が益々濃厚となって来ている。故に、「新教団」を作る時期に来た、という書き込みが多数集中的に増えたのだった。



小生もそのような考えに賛同するものだから、毎日細かく目を通していた。そうすると、昨日の投稿文の中で一つの“忘恩的”な言葉を発している「本流」の信徒らしからぬ人物が居たのだった。その忘恩的なコトバとは何か、といえばそれは < 谷口家を担ぐ >というコトバであった。これは明らかに不適切なコトバの使い方だ。そして、< 「谷口家」を担ぐのは安直な考え方 >と言う表現もあった。これも極めて不適切な表現だ。



小生は、もしも「生長の家」の『御教え』が存在しなかったならば小生の今回の地上人生は悲惨な一生であったであろうと思う。そうではなく、曲がりなりにも幸福といえる人生を送れたのは『御教え』に出会い、それに従った人生航路を歩めたからなのだ。わが人生航路の羅針盤は「生長の家」の本来の『御教え』であり、わが人生のバックボーンそのものであったのだ。開祖・谷口雅春先生の『御教え』は人類の至宝だと思えるに至ったのだった。未来永劫にこの『御教え』は伝えてなくならないと思った。しかし、まさかマサノブ君の如き、宗教家の風上にも置けない人物が現われて『御教え』の抹殺を図ろうなどとは夢にも思わなかった。しかし、その危険な夢が現実となって現われた。



小生は云うに及ばず「本流復活」を目指す同志信徒は皆同じ思いで「本流」復活を目指している。われわれは、開祖・谷口雅春先生の「生長の家」から受けたこの御恩に報いなければならない。これが「本流復活」だと小生は理解する。



開祖・谷口雅春先生は、『御教え』の継承については、血脈=法脈が一番理想的であると書かれていた。マサノブ君は第三代目を“継承”したと云っているが、二代目の清超先生は正式に認可されていない。自作自演でマサノブ君は“法燈継承祭”を演じて、何も知らない善良な信徒を騙し続け、『御教え』を自己本位の左翼思想に改竄してしまった。ここに於いて、血脈=法脈ではなくなった。だから、血脈継承を止めて、法脈継承とすべきだと主張する信徒達も出始めた。



自己の今あるのは、開祖・谷口雅春先生の『御教え』のお蔭であるから、その御恩に報じなければならない。だから、開祖・谷口雅春先生の本来の「生長の家」の『御教え』を立派に全相継承し得る血脈=法脈の一致せる継承の有資格者が現に『御三家』(マサノブ家を除く谷口家、宮沢家、荒地家)の中に立派に存在せられている。それらの方々の中から次の総裁と副総裁をお願い申し上げるのが、われわれ御恩を受けたものの報恩の道なのだ。この大道を決して踏み外すべきではないのだ。



“報恩の道”なのだ。然るにこのことを< 谷口家を担ぐ >とか、< 「谷口家」を担ぐのは安直な考え方 >と表現するのは“忘恩の輩”と言われても仕方がない。元来“担ぐ”という意味は、自己の利益の為に利用すると意味合いである。無意識的にそのような思いがあるからそのような言葉が出てくるのだ。そのような<担ぐ>と言うコトバを使う信徒達は、血脈廃止、法脈のみ、と思っているのかもしれない。「本流復活」はそのような忘恩の心で行うべきではない。あくまでも、「人類光明化指針十三か条」の第九条は、< 生長の家大神=開祖・谷口雅春先生=『御教え』→ 第二代以降の総裁副総裁 > であるべきだ。そして、教えの継承は、その適格者が存在する限り、血脈=法脈で継承されるべきが第一義の道であるのだ。



間違いなく云えることは、絶対大多数の信徒の皆さんは、法脈=血脈を望んでいる、ということなのである。善良な一般信徒は、次の総裁と副総裁は「御三家」の方々の中から互選で選んでいただくことを欲している。このことを忘れて「本流」復活等はあり得ないのだ。忘恩の輩に堕するべからず。“報恩の心”を貫徹していかなければならない。





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