生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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「新・本流復活掲示板」の特徴――私はこのように考えます。 (5524)
日時:2014年10月26日 (日) 10時55分
名前:公平なる観察者



この「新・本流復活掲示板」は、管理人さまが示されているように、本来の「生長の家」の復活を希望する人であれば、“投稿自由”が原則です。ただし、――

@ 開祖・谷口雅春先生を批判・否定し、その『御教え』に反する様な内容の投稿

A 反・『御教え』を説く現教団のマサノブ総裁を擁護し、温存して行こうとする投稿

B 本来の「生長の家」復活を目指す同志の意見を封じ込めるような内容の投稿

この様なことだけは「投稿自由の原則」外にあります。残念ながら、ここ暫くの「光明掲示板」には、上記Bに該当する傾向が顕著に現われて来ています。その集大成として昨日、「光明掲示板管理人」氏自身の“光明掲示板・宣言”とおぼしき内容の < 「理想」と「現実」の冷徹な区別をした上で、ご投稿をお願いします。> 書き込みが為されました。それも、物凄く高圧的な文調で、本流復活の思いを持つ信徒の書き込み意欲を封じるようなものです。



確かに、「学ぶ会」のリーダー格の人達は、一連の裁判の連戦連勝と「学ぶ会」支部の増加の“実績”を背景として大変な自信に溢れておられることもわかります。だからといって、「言論封殺」とも思える印象を与える一連のリーダー格の人たちの投稿(管理人氏を含めて)は、全くマサノブ教団と同じような連想を抱くのです。



マサノブ教団の「谷口雅春原理主義者」の排除は、光明掲示板での「理想主義?原理主義者」の排除と同じ考え方だと思えてしまいます。「本流復活」を目指す同志の間に於いては、画龍点睛様が書かれていましたように、所謂「ブレーンストーミング」方式で、同志間の異なる意見に対しても、批判(言論封殺)せず、その異なる意見をも考慮に入れてのより前向きの建設的な方向を探って事を進めて行くことが大切だと思っています。今回の“言論封殺”的な動きの発端は、自信に溢れた「学ぶ会」リーダー格の「破邪顕正」氏の < 10月10日・投稿NO.961 > が発端だったのではないでしょうか? 



最後に繰り返させていただきます。この「新・本流復活掲示板」は書き込み自由です。ただし、上記の@、A、Bの但し書きに抵触しない限りです。私は以上の如く思っております。





何だか「マサノブ教」と似てきている?・・・ (5531)
日時:2014年10月27日 (月) 07時50分
名前:怒れる信徒Z


「光明掲示板」の破邪顕正氏や管理人氏の最近の見解は、同じ本流の人たちからの、自分たちと異なる見解に対しては、有無を言わせぬ高圧的な態度を感じますね。「それは理想だ、現実は違うのだ。反対するなら、おまえ一人でやってみろ!」――この様な言い方では、異なる意見をも受け入れる度量の深さ等感じられませんね。気の弱い人は意見をいうこともビビッテしまいます。それに、何だか、女性親衛隊が何人か集注的に“ヨイショ”的な書き込み・・・コレモ“戦術”の感あり、違和感を感じる!・・・ これでは「マサノブ教」の独裁専制的運営と段々と似てきているように私には感じられます。





自ら、動いて行動をしたら (5543)
日時:2014年10月29日 (水) 04時52分
名前:聖地巡拝参加者さまに同感です。

改めて本来の「目的」確認を!NEW (1338)
日時:2014年10月28日 (火) 21時42分
名前:聖地巡拝参加者
私はこれまで、ずっと教団側と本流派の動きを見つめ続けて参りました。教団組織にも属したことはなく、その意味で客観的な立場で両派を見続けてきたと思っております。ただ、今回の「学ぶ会」運営者様側と当「光明掲示板」運営者様(管理人様)側に対し、「言論封殺」であるとか、教団側による信仰者の心情を無視した圧力的な姿勢と同じである、といった批判は、全く不当な意見であると思っております。
これまでの著作権裁判を初め、教団側が本来の信仰を守ろうとする人々に対して行ってきた行為を知るものならば、破邪賢正様が、新教団設立をと言われる方々に対し「裁判狂の教団側の性格を熟慮し、覚悟したうえで、それでもと仰るのなら、新教団設立に向けて動いて下さい」と言われるのは当然です。
同じ本流派にありながら、こんな詰まらない疑心暗鬼にとらわれ、時間を無駄に過ごしていることのほうが、よほど大きな問題です。とにかく、本流派の集まり(あえて「組織」とは申しません)を大きくし、教団側に圧力を与えなければなりません。
私たちの愛する「日本」に、それほど時間は充分に残されていません。改めて、各人が雅春先生の本来の「教え」に立ち返り、自らの立場や利害にとらわれることなく、この真理を現代、そして後世の人々に、一人でも多く伝えていかなければなりません

本当に公平なる・・・・・なのでしょうか? (5551)
日時:2014年10月30日 (木) 06時23分
名前:異なる意見も受け容れる度量の深さ

《速報!》“八ヶ岳教団”はやはり裁判狂だ…またもや最高裁に上告!NEW (1355)
日時:2014年10月29日 (水) 19時37分
名前:破邪顕正

>いわゆる、『生命の實相』等の著作権を巡る“蒸し返し訴訟”で、教団側が最高裁に上告したことがわかりました。

高裁で完膚なきまでに却下されたにもかかわらず、またもや凝りもせず、100%敗訴確定であるにもかかわらず、上告してきました。

信徒の浄財をジャブジャブと注ぎ込んでも痛くも痒くも無いのでしょうね。

金満教団のやることは常識をはるかに超えているようです。

「谷口雅春先生は和解しか説いておられない」

そう豪語してやまない方もいるようですが、その言葉は、こちらにではなくて、ぜひ、教団側に向けて発していただきたいものであります。

また、一つ覚えのように「和解せよ」「和解せよ」と言い募っている方も、どうしてその念が通じないのか。

そろそろ、“八ヶ岳教団”の本質を見抜いて、イカニセバ、この非常識教団を正すことができるのか、本気で考えませんか。

念ずるだけでは事態を動かすことはできないと思うのですが…。<



このような事実をみて、意見を言うことは、

”言論封殺” なのでしようか??

”聴く度量”聴く耳のないのは、どちらなのか??

耳の痛いこと言われたら、高圧的な態度、意見を封じ込める?

御自分の意見を、押し通す、御自分の意見だけが正しい!!!

としか、公平にみてもおかしいとしか、見えません。

それでもなお、正しいかどうか?

行動をしないで、言うだけで、公平なる・・・・?


御自分で、実践してみたら、解ります。

大聖師の名前を冠した教団名では如何? (5557)
日時:2014年10月30日 (木) 16時19分
名前:微笑破顔


◇1月16日の法語 惰性的安定感に堕ちてはならぬ◇
 新しい想念を入れることが出来ず、変化すべき時に変化に抵抗し、新しき経験が自分の生涯に入り来ることを拒む人間には進歩はない。この種の抵抗は前途に対する不安恐怖の念から来る。今までやってきたことが一番安全だという愚かしき固定概念に支配されているからである。もしすべての人類がかくの如き固定概念に支配されていたとしたならばこの世界にも人間にもどんな進歩も発達も得られなかったのである。現在の状態の崩壊することは悲しいことのように見えるけれどもそれは却って進歩と幸福への契機である。 (谷口雅春著『新版 光明法語』40頁)

◇1月17日の法語 新鮮なる生命感に満ち溢れよ◇
 新しい環境は新しい飛躍を生むのである。新しい飛躍がなければ生命は潑剌として生きて来ないのである。新しき環境に於いて新しき夢は描かれ、新しき経験は始まり新しき事物は発生し新しき幸福と新しき文化は構成される。今汝の心を開いて新しき世界に対処せよ。新しきものを拒絶する勿れ、新しきものは汝を新しく生かさんが為に神から遣わされたところの天の使いである。如何なる変化が起ころうとも木枯しが吹き荒ぶとも春は旋(やが)て来るであろう。満目蕭条、荒涼たる風光の中に一陽来復の桜花爛漫たる春が用意されているのである。 (谷口雅春著『新版 光明法語』41頁)



光明掲示板・第三 管理人様

このたびの管理人様の「理想」と「現実」についてのご忠告、厳粛に受けとめさせていただきます。しかしその場合、「提案は“理想”なのか?」「理想を語ってはならないのか?」という問題が出て来ると思います。正しくは、問題を直視しつつ理想を語りながら現実を変えていくというのが本当だと思うのです。この度の「『新・生長の家教団』の設立を急げ」の小生の提言が大きな波紋を投げかけたようですが、一部誤解を与えた面もありますので、ここに釈明をさせていただきます。


小生の提言の念頭にあるのは、「谷口雅春大聖師ならどうすれば一番お喜びになられるのか」ということでございます。全てはここから始まっています。


■大聖師の悲願は、「今の生長の家教団」を「元の生長の家教団」に戻すこと

大聖師の悲願は、「今の生長の家教団」を「元の生長の家教団」に戻すことだと思います。しかし現実には、「今の生長の家教団」は八ヶ岳総裁に握られているので元に戻すことはできない。ならばどうすればよいか? と考えたのが「『新・生長の家教団』の設立を急げ」であったわけです。その為には谷口恵美子先生を「総裁」に立てて御三家が「副総裁」として支えるのが一番の理想・真理だと思ったのでした。


しかし、管理人樣のご忠告では、御三家にはその意志がないとのこと。御三家は本当に「新教団」の設立を望んでおられないのか? 望んでおられないとしたら、それは何故なのか? 宮澤先生はすでに『ときみつる會』を設立されているが、あとの谷口家、荒地家の両先生はどのようなお考えなのか? どうあって欲しいのか? ―ご本心を知りたいところです。それは、全信徒の皆様が最も知りたいところだと思います。


■谷口恵美子先生は何も知らされていなかった

恵美子先生のことでございますが、小生の理解するところでは、恵美子先生は「今の生長の家教団」の実情は何も知らされていなかったと思うのです。本部会館がなくなることも、八ヶ岳になぜ移転したのかも、お山になぜ警備員が立っているのかも、自分が軟禁されていることもです。つまり恵美子先生は、教団から束縛されていたという認識はなかったと思います。そんな時にお子様達が作戦を立てて、恵美子先生を四国に移動させたのではないのでしょうか。小生には、恵美子先生が雅宣総裁の手法を知っていたとは思えないのです。ただ、「何も知らされていなかった」というのか真相だと思っています。つまり、蚊帳の外に置かれていたのではないのでしょうか。


■“生長の家”の名称にこだわらないで

小生が「本物の『新・生長の家教団』を」と提言しているのは、八ヶ岳の「現・生長の家教団」に対向しての言葉でありまして、その場合、“生長の家”の名称にこだわっているわけではありません。現に小生は、 >> ではその時、「教団名はどうするのか」という問題が出てくると思います。「生長の家」が(法律上)使えないのであれば、宗教法人「みすまるの家」か「すみのえの家」は如何でしょうか。そこは、恵美子先生と御三家を中心軸にした多くの団体の皆様が結集すれば、教団名も自ずと決まってくると思います。<<>  と提言しました。


■大聖師の“谷口雅春”の名前を冠した教団名を

そこで、再度のご提案ですが、それは、大聖師のお名前を未来永劫に伝え遺すための“谷口雅春”の名前を冠した教団名の実現です。例えば、次のように考えてみました。

  @谷口雅春教会
  A谷口雅春伝道教会
  B谷口雅春伝道本部
C谷口雅春哲学伝道本部
  D谷口雅春哲学伝道教会
  E谷口雅春哲学伝道の家
  F谷口雅春哲学住吉の家
G谷口雅春大聖師教会
H谷口雅春大聖師住吉教会
  I谷口雅春大聖師住吉の家
  J谷口雅春大聖師伝道教会
K谷口雅春大聖師伝道の家
  L谷口雅春大聖師伝道本部
M谷口雅春大聖師本部
  N谷口雅春大聖師の家

“生長の家”という名称を使わなければ、八ヶ岳教団から法律的に訴えられる筋合いはないと思っています。


■A先生は既に行動しておられる

それから、小生はA先生の行動についての情報を得ています。それは、A先生を中心とする元生学連の皆様が「谷口雅春先生の志○○○○会」の組織を設立したとの情報です。さすがA先生だと、小生はとても嬉しくなりました。 そのメンバーの方から発表がなされると更に嬉しくなりなす。この情報が本物であることを祈ります。

そういえば、この光明掲示板・第三にも、真理をいきる樣が投稿されていましたね。

神癒はどこからくるか― 谷口雅春先生ひとすじの信仰から(安東巌先生) (232)
日時:2014年09月09日 (火) 20時16分
名前:真理を生きる

「真理を生きる」9月号にある安東巌先生のご文章を紹介させていただきます。

○先月、京都のメルパルクホテルに於て開催された谷口雅春先生の志に生きる青年会OBの集い≠ノ行って参りました。若き時代、天皇国日本現成へ向け、『理想世界』誌100万拡大運動に全てを捧げた仲間達200余名。皆それぞれに社会的地位を築き、年齢相応の姿になっていましたが30年ぶり、40年ぶりに出会う喜びに会場は揺れ動かんばかりでした。その集いで私も挨拶しましたが、時間の制約があったので、この欄を借り、話したかった事の一端を綴っておこうと思います。(詳しくは掲示板をご覧下さい)


■本流派の団体が一つに結集して「全国大会」を

大聖師の御心を顕す本流派の団体が次々と設立されています。そしてそれらが、遂には一つになって「全国大会」が日本武道館で開催されることを願っております。それは、全信徒の心の底からの願いだと思っています。いずれはそれは、必ず実現すると信じています。何故ならそれは、私たち本流派の内なる神が働いているのですから。 谷口雅春大聖師、谷口清超先生の最もお喜びになることですから。(合掌)



◇1月25日の法語 一切を神にゆだねよ◇
 あなたの描く理想が如何に不可能な単なる夢に見えようとも、何をあなたが心の中に描こうとも、それは必ず実現するのである。それが実現する為にはある時間経過を要するかもしれない。種子を蒔けば発芽を待たねばならないのである。幼弱な芽はその発育が遅いのである。伸びないのをもどかしく思ってはならない。やがて大いに伸びる時が来るのである。それまではその芽をいたわれ。芽をかぎとってしまうようなことをしてはならない。人の描く夢は人に宿る神の描く夢である。神か必ずその夢の実現するように助け給う。 (谷口雅春著『新版 光明法語』47頁)


◇5月13日 問題は必ず解決する◇
 神が人間をこの世に生んだのであるから、人間自身が兎や角、思い煩う必要はないのである。問題が起っても恐れる必要はないのである。問題は必ず人間を今迄とは異なる境遇や環境に置き、今迄とは異なる状態に於いて、その人の魂をきたえるのである。問題は必ず解決されるために存在するのであって、解決のない問題はないのである。吾々は恐れることはないのである。人生は生きており、人生は新生面を展開する。人間の肉体は老いることがあっても人生は老いることはないのである。 (谷口雅春著『新版 光明法語』135頁)




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