生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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“元青年会員です” = マサノブ氏 ・・? (414)
日時:2013年03月11日 (月) 09時25分
名前:サーチャー

皆さん、“元青年会員です”の下記の文章をご覧下さい!!

この“元青年会員です”を“マサノブ氏”であるとして見た場合、これは <自己弁護> を縷々と書き連ねているとしか思えません。


最後の、
『教団は、トキさまのおっしゃるように、さらに衰退の一途をたどるでしょう。それは本当に残念なことです。しかし、私たちはその奥に流れているものを見るべきです。永遠に変わらざる生長の家を。そこには人類普遍の良心が流れています。それは程度の違いこそあれ、谷口雅春ー谷口清超ー谷口雅宣を貫く心ではありませんか? 』


これは何ぞや? と言いたいです。

・現在の急速な <教勢低下> は今後も続く(衰退の一途をたどるでしょう)としております。

・それは(衰退の一途をだどること)本当に残念なことです。・・・・・バカにするな!!

・『私たちはその奥に流れているものを見るべきです』・・・・詭弁以外の何ものでもありません

・『永遠に変わらざる生長の家を。そこには人類普遍の良心が流れています』・・・・・ゴマカスな!!

・『それは程度の違いこそあれ、谷口雅春ー谷口清超ー谷口雅宣を貫く心ではありませんか?』・・・・・ノー、ノー、ノー




<トキ掲示板(Web誌友会 板/2)>
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540 :元青年会員です:2013/03/11(月) 07:19:01 ID:zOkAUrF2 WEB
誌友会ありがとうございました。私も学ばせていただきました。

>>520 復興Gさま
この「自然と人間の大調和を観ずる祈り」は、私には雅宣総裁の偽らざる本心であると感じられます。客観的な評論的な話ではない、雅宣総裁個人の心を感じます。それは私の胸に、強烈に痛々しく響いてまいりました。それは生長の家総裁としては、問題のある祈りであるかもしれません。しかし私は、生長の家総裁以前の人間谷口雅宣として見る時、必ずしも問題だとは思えないのです。この総裁の祈りは現象に心とらわれた迷いであるかもしれませんが、人間の良心というものを痛く痛く感ずるからです。

そこに私は、谷口雅春先生の、日本國體や人類滅亡の危機への痛切な叫び声を重ね合わせて想います。お二人の思想には異なる部分がありますが、その言葉の悲痛な響きがとても似ているのです。そして、その裏側には深い愛情が流れていることを感じます。私には、雅宣総裁の述べる真理の言葉よりも、この「自然と人間の大調和を観ずる祈り」の方が谷口雅春先生を連想させます。本心より発する生身の言葉だと感ずるからです。(残念ながら、雅宣総裁の真理の言葉には、谷口雅春先生のごとき喜びが感じられません)

私が思うには、雅宣総裁は、生長の家を悟る以前の谷口雅春先生に似ていらっしゃる感じがします。現象世界の問題に苦しみ続けられた、若き日の谷口雅春先生に。雅宣総裁の提唱するノーミート運動にも、そうした強い傾向を感じます。若き日の迷える谷口雅春先生は、罪にまみれた自分自身の汚らしさに苦しみもがいていらっしゃいました。つまり、現象世界の問題は外側の問題ではなく、自分自身の問題でありました。そうであるがゆえに、その苦悩は私たちの想像を絶する痛み苦しみであったでしょう。それはキリストの十字架にも似た、人類全員が背負う根源的な悩み苦しみでありました。その生きる本源からの痛ましい苦悩こそが、輝かしい光明思想の生長の家を生み出したとも言えましょう。

雅宣総裁はおそらく、魂の奥深くでご自分を審判いて(さばいて)いらっしゃるはずです。若き日の谷口雅春先生ほどの死ぬような苦しみではないにせよ、ご自分を責めていらっしゃるはずです。そこに、私は人間谷口雅宣の良心を感ずるのです。人間誰しもが心深くに持っている、深い苦悩を感ずるのです。残念ながら、それは生長の家総裁としては問題があるかもしれません。雅宣総裁が、その深き苦悩から光明思想へと飛躍すれば良いのですが、それは今世では難しいかもしれません。なぜなら雅宣総裁は、残念ながらまだ、自然破壊する人類の問題をご自身の問題として、十分には引き受けきれていないように思えるからです。

谷口雅春先生は、全人類全生命の問題を自分自身の問題として、十分に引き受け切っていらっしゃいました。そうであるがゆえに死ぬように苦しみ、そうであるがゆえに必死で救いを求め、そうであるがゆえに「罪なし!人間は皆、神の子である!」の真理に目覚められました。

雅宣総裁は、そこまで自分自身の根源的な心に正直になることは出来ないのでしょう。CO2削減という物質レベルで解決しようとしていること自体に、本質に触れ得ていないものを感じます。ですが、十分ではないにしろ、「自然と人間の大調和を観ずる祈り」には、雅宣総裁の人間としての良心がある、と私には思えるのです。それは、谷口雅春先生の良心にも通ずるものだ、と私には思えるのです。

このような雅宣総裁をいただいたことには、トキさまのおっしゃるように、神の深慮というべきものがあるかもしれません。しかし、私にはそれ以外の理由もあるような気がしています。それは、生長の家信徒としては禁句であるかもしれませんが、あえて言います。「生長の家に内在する迷いが、雅宣総裁を通して顕在化している」言い換えれば、こうです。「谷口雅春先生に残る迷いが、雅宣総裁を通して顕在化している」そして、こうも言えます。「谷口雅春先生の求道を支えた良心が、雅宣総裁を通して顕在化している」
つづく


541 :元青年会員です:2013/03/11(月) 07:20:04 ID:zOkAUrF2
(前回からのつづき)

谷口雅春先生の書かれた『大和の国日本』の中に、「自然と人間の大調和を観ずる祈り」を思わせるようなご文章があります。「一大警告!現状のままで継続するならば人類は絶滅する」というタイトルのご文章です。内容はこのタイトルのとおりです。当時は原水爆の危機が叫ばれる時代でしたから、それを深く憂慮するご発言です。

ここでは、ただひたすら人類滅亡への危機意識が述べられています。神の子の自覚だとか光明思想の普及は全く書かれていません。「自然と人間の大調和を観ずる祈り」よりもひどいとも言いうるほどの内容です。この谷口雅春先生の、危機を叫ぶ痛々しい魂が、雅宣総裁を通して現れているように私には思えてならないのです。

宗教的霊感というものは、後世には伝わりにくいものです。対して、人間的な感情や理知的な知識は、伝わりやすいものです。谷口雅春先生の人間的な迷いの部分や理知的な部分、あるいは批判精神が雅宣総裁へと伝わり、宗教的霊感や宗教的直感は伝わらなかった、というのが事実ではないかと思います。しかし、それでもなお、雅宣総裁の強烈なまでの痛々しい祈りには人間の良心が流れているのを感じざるを得ません。それはもちろん、谷口雅春先生の人類滅亡へのご発言にも流れている心です。それは、表面的には迷いでしょう。現象世界・肉体人間に心とらわれていることの現れでしょう。しかし、その裏には人間の良心があり、人類や生命への深い愛情が流れているのです。私は、ここに実相を見ます。仏の慈悲のこころを見ます。どんな深い迷いに見えようとも、その奥に神のみこころが流れているのを感じます。それは、実に実に尊く、美しい心です。

教団は、トキさまのおっしゃるように、さらに衰退の一途をたどるでしょう。それは本当に残念なことです。しかし、私たちはその奥に流れているものを見るべきです。永遠に変わらざる生長の家を。そこには人類普遍の良心が流れています。それは程度の違いこそあれ、谷口雅春ー谷口清超ー谷口雅宣を貫く心ではありませんか?
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