生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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大聖師の名前を冠した教団名では如何? (5555)
日時:2014年10月30日 (木) 14時42分
名前:微笑破顔


◇1月16日の法語 惰性的安定感に堕ちてはならぬ◇
 新しい想念を入れることが出来ず、変化すべき時に変化に抵抗し、新しき経験が自分の生涯に入り来ることを拒む人間には進歩はない。この種の抵抗は前途に対する不安恐怖の念から来る。今までやってきたことが一番安全だという愚かしき固定概念に支配されているからである。もしすべての人類がかくの如き固定概念に支配されていたとしたならばこの世界にも人間にもどんな進歩も発達も得られなかったのである。現在の状態の崩壊することは悲しいことのように見えるけれどもそれは却って進歩と幸福への契機である。 (谷口雅春著『新版 光明法語』40頁)

◇1月17日の法語 新鮮なる生命感に満ち溢れよ◇
 新しい環境は新しい飛躍を生むのである。新しい飛躍がなければ生命は潑剌として生きて来ないのである。新しき環境に於いて新しき夢は描かれ、新しき経験は始まり新しき事物は発生し新しき幸福と新しき文化は構成される。今汝の心を開いて新しき世界に対処せよ。新しきものを拒絶する勿れ、新しきものは汝を新しく生かさんが為に神から遣わされたところの天の使いである。如何なる変化が起ころうとも木枯しが吹き荒ぶとも春は旋(やが)て来るであろう。満目蕭条、荒涼たる風光の中に一陽来復の桜花爛漫たる春が用意されているのである。 (谷口雅春著『新版 光明法語』41頁)



「光明掲示板・第三」管理人様

このたびの管理人様の「理想」と「現実」についてのご忠告、厳粛に受けとめさせていただきます。しかしその場合、「提案は“理想”なのか?」「理想を語ってはならないのか?」という問題が出て来ると思います。正しくは、問題を直視しつつ理想を語りながら現実を変えていくというのが本当だと思うのです。この度の「『新・生長の家教団』の設立を急げ」の小生の提言が大きな波紋を投げかけたようですが、一部誤解を与えた面もありますので、ここに釈明をさせていただきます。


小生の提言の念頭にあるのは、「谷口雅春大聖師ならどうすれば一番お喜びになられるのか」ということでございます。全てはここから始まっています。


■大聖師の悲願は、「今の生長の家教団」を「元の生長の家教団」に戻すこと

大聖師の悲願は、「今の生長の家教団」を「元の生長の家教団」に戻すことだと思います。しかし現実には、「今の生長の家教団」は八ヶ岳総裁に握られているので元に戻すことはできない。ならばどうすればよいか? と考えたのが「『新・生長の家教団』の設立を急げ」であったわけです。その為には谷口恵美子先生を「総裁」に立てて御三家が「副総裁」として支えるのが一番の理想・真理だと思ったのでした。


しかし、管理人樣のご忠告では、御三家にはその意志がないとのこと。御三家は本当に「新教団」の設立を望んでおられないのか? 望んでおられないとしたら、それは何故なのか? 宮澤先生はすでに『ときみつる會』を設立されているが、あとの谷口家、荒地家の両先生はどのようなお考えなのか? どうあって欲しいのか? ―ご本心を知りたいところです。それは、全信徒の皆様が最も知りたいところだと思います。


■谷口恵美子先生は何も知らされていなかった

恵美子先生のことでございますが、小生の理解するところでは、恵美子先生は「今の生長の家教団」の実情は何も知らされていなかったと思うのです。本部会館がなくなることも、八ヶ岳になぜ移転したのかも、お山になぜ警備員が立っているのかも、自分が軟禁されていることもです。つまり恵美子先生は、教団から束縛されていたという認識はなかったと思います。そんな時にお子様達が作戦を立てて、恵美子先生を四国に移動させたのではないのでしょうか。小生には、恵美子先生が雅宣総裁の手法を知っていたとは思えないのです。ただ、「何も知らされていなかった」というのか真相だと思っています。つまり、蚊帳の外に置かれていたのではないのでしょうか。


■“生長の家”の名称にこだわらないで

小生が「本物の『新・生長の家教団』を」と提言しているのは、八ヶ岳の「現・生長の家教団」に対向しての言葉でありまして、その場合、“生長の家”の名称にこだわっているわけではありません。現に小生は、 >> ではその時、「教団名はどうするのか」という問題が出てくると思います。「生長の家」が(法律上)使えないのであれば、宗教法人「みすまるの家」か「すみのえの家」は如何でしょうか。そこは、恵美子先生と御三家を中心軸にした多くの団体の皆様が結集すれば、教団名も自ずと決まってくると思います。<<>  と提言しました。


■大聖師の“谷口雅春”の名前を冠した教団名を

そこで、再度のご提案ですが、それは、大聖師のお名前を未来永劫に伝え遺すための“谷口雅春”の名前を冠した教団名の実現です。例えば、次のように考えてみました。

  @谷口雅春教会
  A谷口雅春伝道教会
  B谷口雅春伝道本部
C谷口雅春哲学伝道本部
  D谷口雅春哲学伝道教会
  E谷口雅春哲学伝道の家
  F谷口雅春哲学住吉の家
G谷口雅春大聖師教会
H谷口雅春大聖師住吉教会
  I谷口雅春大聖師住吉の家
  J谷口雅春大聖師伝道教会
K谷口雅春大聖師伝道の家
  L谷口雅春大聖師伝道本部
M谷口雅春大聖師本部
  N谷口雅春大聖師の家

“生長の家”という名称を使わなければ、八ヶ岳教団から法律的に訴えられる筋合いはないと思っています。


■A先生は既に行動しておられる

それから、小生はA先生の行動についての情報を得ています。それは、A先生を中心とする元生学連の皆様が「谷口雅春先生の志○○○○会」の組織を設立したとの情報です。さすがA先生だと、小生はとても嬉しくなりました。 そのメンバーの方から発表がなされると更に嬉しくなりなす。この情報が本物であることを祈ります。

そういえば、この光明掲示板・第三にも、真理をいきる樣が投稿されていましたね。

神癒はどこからくるか― 谷口雅春先生ひとすじの信仰から(安東巌先生) (232)
日時:2014年09月09日 (火) 20時16分
名前:真理を生きる

「真理を生きる」9月号にある安東巌先生のご文章を紹介させていただきます。

○先月、京都のメルパルクホテルに於て開催された谷口雅春先生の志に生きる青年会OBの集い≠ノ行って参りました。若き時代、天皇国日本現成へ向け、『理想世界』誌100万拡大運動に全てを捧げた仲間達200余名。皆それぞれに社会的地位を築き、年齢相応の姿になっていましたが30年ぶり、40年ぶりに出会う喜びに会場は揺れ動かんばかりでした。その集いで私も挨拶しましたが、時間の制約があったので、この欄を借り、話したかった事の一端を綴っておこうと思います。(詳しくは掲示板をご覧下さい)


■本流派の団体が一つに結集して「全国大会」を

大聖師の御心を顕す本流派の団体が次々と設立されています。そしてそれらが、遂には一つになって「全国大会」が日本武道館で開催されることを願っております。それは、全信徒の心の底からの願いだと思っています。いずれはそれは、必ず実現すると信じています。何故ならそれは、私たち本流派の内なる神が働いているのですから。 谷口雅春大聖師、谷口清超先生の最もお喜びになることですから。(合掌)



◇1月25日の法語 一切を神にゆだねよ◇
 あなたの描く理想が如何に不可能な単なる夢に見えようとも、何をあなたが心の中に描こうとも、それは必ず実現するのである。それが実現する為にはある時間経過を要するかもしれない。種子を蒔けば発芽を待たねばならないのである。幼弱な芽はその発育が遅いのである。伸びないのをもどかしく思ってはならない。やがて大いに伸びる時が来るのである。それまではその芽をいたわれ。芽をかぎとってしまうようなことをしてはならない。人の描く夢は人に宿る神の描く夢である。神か必ずその夢の実現するように助け給う。 (谷口雅春著『新版 光明法語』47頁)


◇5月13日 問題は必ず解決する◇
 神が人間をこの世に生んだのであるから、人間自身が兎や角、思い煩う必要はないのである。問題が起っても恐れる必要はないのである。問題は必ず人間を今迄とは異なる境遇や環境に置き、今迄とは異なる状態に於いて、その人の魂をきたえるのである。問題は必ず解決されるために存在するのであって、解決のない問題はないのである。吾々は恐れることはないのである。人生は生きており、人生は新生面を展開する。人間の肉体は老いることがあっても人生は老いることはないのである。 (谷口雅春著『新版 光明法語』135頁)



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