生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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まさに“言い訳”という宗教貴族の小理屈論理、――11月1日・3日の「唐松(枯れ松)模様」――「生長の家」という看板を使うな! (5591)
日時:2014年11月04日 (火) 09時34分
名前:怒れる信徒代表


マサノブ君は、立て続けに「枯れ松模様」と言う屋号の店を再開した。これには理由があるのである。その理由とは、「本流」信徒から“書きたくても書けないブログ「枯れ松」一ヶ月以上の開店休業”と言われ続け、遂に破れかぶれになってお得意の屁理屈文の連続投稿となった次第が読み取れるのである。



此の3回連続の“破れかぶれ屁理屈投稿文”は、別名を自然との共生に関する「言い訳書き込み文」と云ったほどのものでしかないのである。その「言い訳書き込み文」の特に“言い訳”と目される部分を抜き出してみると、――



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http://masanobutaniguchi.cocolog-nifty.com/monologue2/2014/11/post-3248.html
平成26年11月 1日 = 自然とのつき合い方 (1) =
「人間は自然の一部である」という考え方は生物学的事実であり、生長の家でもそう考えている。・・・「自然」という言葉には「人間の手が加わらない」とか「人間が手を加えない」という意味がある。「人工」と「自然」は対立的に捉えられている。・・・「人間が自然の一部ならば、人間の作ったものはどんなものでも自然だ」と考える場合これは、明らかに行き過ぎた結論である。・・・「人間は自然の一部」という生物学的事実を「人間が手を加えないことが自然である」という考えの中に導入するには、どうしたらいいだろうか? ・・・まず、人間と自然とを対立的、排他的な概念として考えることをやめよう。・・・「自然な人工」とか「人工的な自然」というものがある・・・自然界に及ぼす影響が調和的なのか、それとも破壊的なのかを考える。・・・人間は自然の一部であることは事実だが、自然そのままの状態では生活することがほとんどできない。・・・自然破壊が問題になるのは、人間が自然の再生力を上回る破壊的な影響を自然界に及ぼす場合だ。こう考えていくと、自然に対して「人間が手を加える」ことそれ自体が自然破壊ではないことが分かる。「手を加える」程度と方法と、その結果が問題にされるのだ。そういう観点から、私たちの自然とのつき合い方を考えると、“自然と共に伸びる”人間の生き方の方向性が見えてくるのではないだろうか。 以上の考えを簡単にまとめよう。私たちが目的とする「自然と調和した生き方」とは、以下の4条件をできるだけ多く満たしたものである−− @自然調和的な動機や目的により  A自然度の高い場所で B自然状態に近い(自然度の高い)材料を使い、 C自然破壊的でない方法や手続きを用いた活動をする。 谷口 雅宣


http://masanobutaniguchi.cocolog-nifty.com/monologue2/2014/11/2-9cd7.html
平成26年11月 3日 = 自然とのつき合い方 (2) =
 では、「自然の恵みフェスタ」で行われたことは、これらを満たしているのだろうか? 「天女山ヒルクライム」・・・@とAの条件は満たされる。では、Bは・・・自動車を使った登山に比べれば、自転車によるそれは自然状態に近い。しかし、徒歩で登る自然さに比べれば、やはり人工的・・・自転車が採用されたのは、「生き方」という点で、自転車が登山に勝るという判断があったからだ。・・・ 「自転車通勤」が注目される・・・こういう点は、生長の家が目指している方向と一致する。・・・日常生活とのつながりの強さでは、自転車に軍配が上がると考える。すでに生長の家の仲間のあいだに自転車の同好会が存在し、埼玉教区の青年会委員長を中心にした「SNI自転車部」・・・52人ものエントリーがあったので驚いてしまった。うち、女性は7人、教化部長9人。参加者の住所は北海道から九州まで、年齢も、小学2年生から66歳までと予想外の層の厚さだった。参加者が乗る自転車も変化に富み、本格的なロードバイクからクロスバイク、マウンテンバイク、小径車、電動アシスト式自転車まで。出発点の甲斐大泉駅から天女山頂まで(4.6km)のタイムも様々で、19分台で駆け上った本格的レーサーもいれば、自転車に乗ったり降りたりしながら1時間以上かけて登った人もいた。それぞれがベストを尽くしたから、山頂での表情は皆、明るかった。文字通りの“老若男女”が、自然の中で必死になって汗を流し、そして共通の目標を達成した充実感と一体感は、格別のものだった。谷口 雅宣


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<講評>


@ マサノブ君は、コンクリートビルの群立する都会を忌み嫌いながら、講習会出張という小旅行のとき発表する写真は、宿泊したその地方の最高級ホテルのVIPルーム?から写した写真をよく載せている。そうすると信徒から「言行不一致」であると指摘される。マサノブ君は「言行不一致」と言う言葉には抗弁ができないのだ。


A 「森のオフィス」の建設場所は、間違いなく建物を建てるために樹木を切りたおし、人間至上主義企業で製造された近代的建設機械を投入して整地をしてコンクリートパイプを打ち込み、基礎工事の上に近代的建設技術を駆使した豪果なログハウス宮殿を造った。かくして八ヶ岳山麓の自然は部分的に破壊され動物や昆虫類の生態系の部分的破壊が為された。これも厳密に言えば「言行不一致」だった。


B マサノブ君は「講習会」と言う小旅行に出張する時には、全部が全部、電車と歩き(テクシー)ではなく、殆んどタクシーと電車と飛行機を使う。信徒にはCO2を削減せよ!と云いながら、講習会のときだけは、自分も信徒もCO2解禁にする。これぞ、“得手勝手”な環境保護の「言行不一致」である。


C 「森のオフィス」を造った目的は、人間が「自然との共生」生活を送るための「ノウハウ」を作り、その情報を日本全国や世界に発信することにあると大言壮語して八ヶ岳入りを強行したが、あれから一年、これと云った「ノウハウ」は作れなかった。それどころか、まさしく「大自然惨禍」を呼び寄せ、大雪害を蒙ったのである。信徒からは「“ノウハウ”とは、キノコ採り、紅葉狩り、自転車競走、賽の川原の石積み」のことだったのかと嫌味を言われる。これにもマサノブ君は抗弁できないでいる状態だ。口惜しいがその通りなのだから仕方がない。


D そこで、如何にして、その言い訳をするかをマサノブ君は考えたのである。そこで、彼が彼特有の“人間知”で考え出したのが、今回の屁理屈論理による“言い訳”の文章だったのであります。かくしてマサノブ君は次の如く言っている。――

<< 自然界に及ぼす影響が調和的なのか、それとも破壊的なのか・・・人間は自然の一部であることは事実だが、自然そのままの状態では生活することがほとんどできない・・・自然破壊が問題になるのは、人間が自然の再生力を上回る破壊的な影響を自然界に及ぼす場合だ・・・自然に対して「人間が手を加える」ことそれ自体が自然破壊ではない・・・「手を加える」程度と方法と、その結果が問題にされる・・・「自然と調和した生き方」とは、以下の4条件をできるだけ多く満たしたものである−− @自然調和的な動機や目的により  A自然度の高い場所で B自然状態に近い(自然度の高い)材料を使い、 C自然破壊的でない方法や手続きを用いた活動をする。>>


E この様なことは、わざわざマサノブ君から言われなくても信徒でも最初から分かっていることなのである。マサノブ君が今回達した考え方は、現代日本の環境対策が行なっていることで全国民がその線で努力しているのである。マサノブ君の方が現代日本の環境対策よりも考え方が遅れていたのだったのである。それに彼は漸くにして気づいただけ、しかし自尊心高き彼にしてはそれを素直に認めれば、総裁のメッキがはげてしまう。そこでいつもの通りの屁理屈・小理屈を考え出したのである。タダそれだけのことである。まさに、負け惜しみの“言い訳”である。


F 「天女山ヒルクライム」というカタカナ文字を配して表現して権威付けしたものの、その内容は、「参加する事に意義がある」程度の、“社内運動会”或いは“職員リクリエーション”であり、それをもっともらしい小理屈を付けてこれまた“言い訳”を言っているに過ぎないのである。マサノブ君、曰く、――

<< 「天女山ヒルクライム」・・・@とAの条件は満たされる。では、Bは・・・自動車を使った登山に比べれば、自転車によるそれは自然状態に近い。・・・「生き方」という点で、自転車が登山に勝るという判断があった・・・「自転車通勤」が注目される・・・こういう点は、生長の家が目指している方向と一致する。・・・日常生活とのつながりの強さでは、自転車に軍配が上がる・・・女性は7人、教化部長9人。参加者の住所は北海道から九州まで、年齢も、小学2年生から66歳までと予想外の層の厚さだった。それぞれがベストを尽くしたから、山頂での表情は皆、明るかった。文字通りの“老若男女”が、自然の中で必死になって汗を流し、そして共通の目標を達成した充実感と一体感は、格別のものだった。谷口 雅宣 >>


G これが、現代「マサノブ教」の第一優先順位の活動である。埼玉青年会委員長は、率先して自転車同好会を作ってこのスポーツ活動を重要な青年会活動としているとのこと。日本国の現状を憂いて日本国實相顕現運動に挺身した青年会先輩たちの心をどう観ているのか? 本部職員の皆さんも、マサノブ総裁もどうせ「生長の家」も潰すとしてことを進めているのだから、総裁はどうせ日本が共産中国の属領になったほうが良いと考えているのだから、人類救済など面倒くさいことだ、自分のする事ではないと考えているのだから、高給待遇に甘んじて豪邸に住まわせてもらっているのだから、・・・と信徒の浄財で教団が維持されていることには感覚が麻痺して、一切そのようなことに考え及ばないようになってしまっている。そして、嬉々として「社内運動会」・「社内リクリエーション」を楽しんでいる。宗教団体の使命である衆生救済を捨て去っていても恬として恥じない。マサノブ君も、まあ、「地球救済」と言う文句の言えない崇高な看板さえ掲げておけば、思慮浅い信徒たちは“素晴らしき総裁先生”と付いてくる。このようにマサノブ君は嘯いて居るのであります。本当に情けない「マサノブ教」の現状であります。


H しかし、いかにマサノブ君が嘯こうとも、天女山の上で有頂天になっていても、下界では「マサノブ教」の危機存亡の暴風雨が吹き荒れ、ますます勢いが増してきていることも事実だ。信徒数の激減現象が続く。講習会の受講券が思うように捌けない。講習会でのマサノブ講話の評判は低下するばかり。花道を帰るときの群がった信徒の握手を求める手が、何時マサノブ君をつかんでビンタを食らわす手に変るかわからないのだ。事態はそこまで逼迫し始めている。マサノブ君よ!御用心あれ! 外出は必ず、防刃チョッキの上に防弾チョックを着込むことを忘れてはならない。さらに、あのジョーカー模様の気味悪いヘルメットもつけていた方がより安全だ。講習会入場者は今後身体検査を行うこと。ボディーガードは前後左右4人はつけておくこと。資金は余裕綽々ではないのか? ご用心召されよ!


I 「マサノブ教」信徒の皆さま、かくのごとく、開祖・谷口雅春先生の「生長の家」立教の精神を全く捨て去り、独裁権力をほしいままにし、信徒の浄財を本来の使用目的から離れて散財するニセ宗教家のマサノブ君へは、一切の奉納金(聖使命会費・講習会受講券・その他の寄付金)は、彼が総裁を辞去して教団を立ち去るまで奉納ストップいたしましょう。善意で奉納しても、人類光明化資金としては使われず、マサノブという宗教貴族と彼を取り巻く親衛隊員(理事・参議・教化部長・本部職員)の高額給料と利ザヤ稼ぎの株式投資とスポーツ活動費に使われるだけですから・・・





 (5597)
日時:2014年11月05日 (水) 00時59分
名前:火曜クラブ 

なんでマサノブさんはこんなくだらないことばっかり書くんだろう。

霊的云々以前に、人として思慮に欠いた文章しか書けない。

人を求うことに興味が全くない…



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