生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

トップページへ戻る

 

↓↓↓ 訪問者数 ↓↓↓

 

名前
メールアドレス
スレッド名
本文
写真

URL
削除キー 項目の保存


転写文その一 (5608)
日時:2014年11月06日 (木) 23時30分
名前:百合の花

日時:2014年10月28日 (火) 21時45分
名前:紹介

■いのちを守る社会教育家■ 大熊良樹理事長の「實相円満完全」日記 より


塩椎の神は「御心」を象徴する神である。


  平成26年10月11日(土)



興味のある方は、
絶版になったかもしれないが
「魂のふるさとー宇治ー」を直接
手に入れて読んでいただきたい。


本というのは人との
出会いと同じであるから
人の人生を変えうるのである。


真剣に祈れば
必要な本は必ず手に入る。

大切なことは
しっかりと
身銭を切ることである。


維新の志士は、いのちがけで
師を求め、本を借りて、
自ら「筆写した」という。

良い本は「筆写する」
それくらいの気概は
持ちたいものである。


時代は便利な機器を生んだ。
ありがたいことである。


私は、読書に関して
どうしても手に入らない
書籍は学生時代から、

個人的に専門家、あるいは
収集家にお借りして
(図書館にもないため)、

自らコピーして、
熟読することにしている。


今は、どうしても必要な
専門書は専門店で
お願いして複製して
もらうこともある。


さて・・本題から
ずれてしまったが、

谷口雅春先生は、幽斎殿の斎神は、
当初「天照大御神」「住吉大御神」「観世音菩薩」と思われていた。。

しかし「御心」を問われているうちに、霊感のある女性から来た
手紙での指摘に「神意」を
観られるのである。


そして、
斎神を決定される。


「天照大御神様」

「塩椎大御神様」

「住吉大御神様」

  御三神であると。


その意味は、
「天照大御神」様の
 具現化としての

「住吉大御神」様、
「塩椎大御神」様であるが、

「塩椎大御神」様は、
「御心」の具現であり、
「御教え」であり「聖典」
 の象徴である。

「住吉大御神」は、その
「御教え」を行動化
(「浄化」澄み良し)する
 象徴であるのである。


しかして・・

3・11「東日本大震災」では、
塩釜神社を祭祀する、宮城県を
中心として「津波」の
被害を受けたのであった。

聖典を象徴する海の神(産みの神)
塩釜(塩椎大神)が、

津波(流産児の涙)で・・
冒されたのだ。
なんということであろう。


昭和60年5月24日。

最終講話で尊師は、
私はもうお話しすることはない。

全て本に書いてあるから、
読んでいただければいいのです。

とはっきり御遺言
されたのでありました。

それを踏まえていうならば、

生長の家的な、解釈であれば、
「御教え」である「聖典」の
多くをおろそかに(読めなく)
することそのものが真理隠蔽と
なるのであります。


そのことで必然、最初で最後
谷口雅春先生が、

神の御名で出された大号令。

「神命の書」さえも隠蔽
されたのでありました。



いのちを守る奇蹟の幻の「神命の書」が
事務所に届いた。。
ご覧になりたい方は事務所にお越しください。



そのことで・・

「中絶」止まず、戦後総計、

1億5千万人以上の
「かわいい赤ちゃん」を無残に

殺し続けた飽和点こそ、
3・11ではなかったのか。


その深い意味が
   分かるのは・・

 谷口雅春先生から御教え
  (生命の實相・原理原則)と、

 個人指導の根本となる、
  生命の法則(指導原理)
  (こうしたら、こうなる・・)
    を伝えられたからである。。

青天の霹靂どこではない。
  聖典の喪失である。

なんという皮肉。その直前に、
 教団から「聖典」は失われた。

自ら、社会事業団を「著作権問題」
で訴えて、結果(最高裁で敗訴してしまったのだ)。

これからも裁判闘争が続くかもしれませんが、教団の勝訴は、まず、無理でありましょう。それは、失う前に捨ててしまった、その心の形の具現こそが「裁判」での「最高裁」の判決でありましょうから。

私はそのことを、一信徒として深く悲しむものであります。

[ただし例外としては「理念」たる大調和の精神を回復すれば聖典は戻るはず。その方法・・メルクマール(目安)は、(1)住吉(澄み良し)の理念を回復し、(2)尊皇の路線(完全平和)を回復し、(3)日の丸君が代を尊崇する精神(みすまる)を回復する事です。

そのことで、必然「聖典」は尊重されて、続々「再刊」「復刊」されるでありましょう。これぞ、塩槌の大神の復活であります。]


創始者谷口雅春先生の奥様であり、私たちの教えの母でもある「谷口輝子先生」は、裁判は生長の家に似合わない。裁判というものは避けるべきものであると語られていたという事をよく聞きます。さすがであるな、と思ったものでした。

大調和こそ、御教えの根幹であるが、人間関係が「壊れたとき」に、和解ならぬ「裁判」があるわけで、

自ら裁判で訴えて負けるとは、生長の家史においては前代未聞。当代では今後・・予想がつかないが(4代目以降も)、最低限の「モラル」がある限り、あり得ない事であろうと思う。

もし、このことが「恥ずかしい事」であるのなら、総裁先生おひとりの責任ではない。私も信徒の末席にある者。信徒も含めた「生長の家」教団全員の全体責任であると思う。

聖典をおろそかにしている点。赤ちゃんを見殺しにし続けている点。

もうひとつ、畏れ多い事であるが、あえて言えば、「鎮護国家」外しは、生長の家出現の理念を根底から覆すものであったことに関して、

私は当時「講師」として宇治別格本山で末席にあったとはいえ、指導をさせていただいていた責任において私の責任を「懺悔」しなくてはならない。


御恩をいただいた多くの上司(谷口雅宣総裁先生)、先輩、同僚を含めて、限りない慈愛を戴き放しであり、私も、この時期に「録を食んだ者」として・・安易に、批判できる立場にはない。

ただ、「鎮護国家」外しだけは、絶対にしてはならないことをしてしまったことを思う。


もし、違和感を感じないのであれば、それは「神の真義とその理解」(あるいは「生長の家30年史」・「40年史」・「50年史」)を読んでいないからだろう。

そこには、尊師(生長の家・生長の家大神)が「鎮護国家」のためにこそ、出現されたことの因縁が重ね重ね書かれてあるのだ。

生長の家の「悟り」と「神観」の全貌がそこに明記されているのである。
注目投票をする(15)




Number
Pass
SYSTEM BY せっかく掲示板