生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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マサノブ・イソベ・ユキシマ最高首脳者への忠告!――看板は「生長の家」、しかし中味は「マサノブ教」という左翼唯物思想――この誤れる信徒への洗脳行為は、三君の今後の人生に如何なる影響を与えるか?「因果律」(原因結果の法則)と言う現象界の絶対法則から忠告する・・・D (5662)
日時:2014年11月14日 (金) 07時55分
名前:画龍点睛




(つづき)


『生命の實相』第30巻「聖典講義篇」(布製携帯版229〜231頁) <仏教で言う因果の法則>、――


<< 此処に『目には目を、歯には歯を』償うと云う言葉がありますが、これはユダヤ教の掟(おきて)でありまして、悪いことをしたら悪いことをしただけの報いを受けなければ、赦されないと云うような当時の掟を引用されたのでありますが、これは心に描いただけの形が現象界に映る現象顕現の『心の法則』仏教で言う因果の法則だと見る事が出来るのであります。我々が悪い心を起したら、その悪い心だけのことを償わなければ、その悪い心の罪と云うものは消えない。百の悪しき心を起したなら、百の償いをしなければ、それは消えない。播かぬ種は生えない。播いたタネは生える。生えた時に初めの種は崩壊(くず)れてしまっている。『果』が出たときに始めて『因』が崩壊する。之(これ)は因果の法則であって、ひとの頭を踏みつけるような心持で、やって居ると、それは、いつかは自分の頭が痛くなったり、脳溢血を起したり、子供の頭に瘡腫(かさぶた)が出来たりすると云うような塩梅(あんばい)に、自分の心に『因』を起せば『果』を顕わすまではその『因』は消えない。心相応のことが顕われて出るまでは償われないと云うのが因果の法則なんであります。此の因果の法則は生長の家で云う『横の真理』でありまして、三界は唯心の所現として心相応のものが顕われて来るのであります。しかし、『眼には眼を、歯には歯』を報いるのであって、報い切るまでは救われないと云うのでありましたら、其処には宗教的救いというものはあり得ないのであります。そこに償いきらなくとも救われる道がなければならない。因果の法則を超越して救われる道がなければならない。それはあるか? あります。それは生長の家で説く『縦の真理』でありまして、此の『縦の真理』から観ますと、唯心所現の横のひろがりの世界がどうあろうとも、そんなものは影の世界であって問題とするに足りないのであります。縦に久遠を貫く自分の實相――実の相(すがた)はそんな横に拡がる現象を超越して、久遠生き通しの健全な、汚点(よごれ)のない、穢(けが)れの無い、神の子であり、仏であるのであります。この實相の心を集める時、我々の心に描いた、――現象世界を現わすところのフィルムに当る『念』からは迷いの“むらむら”が除かれ、忽ち實相の光の源の中へ、ひたむきに飛び込んで行くことが出来るのであります。『悟りの中には因なし』と涅槃経に書いてありますように、實相、光明遍照の光の中に入って行った時には、もう一切の『因』はない。『因』がなければ『果』もない、従って十の罪に対して、十の贖(あがな)いをしなければならないと云うことが超越されてしまうのであります。『生命の實相』を読んで病気や災難を免れると云うのも神の造り給うたままの實相の光に照らされて因果を超越した世界を其処に見出すからであります。>>



<忠告>


@ マサノブ・イソベ・ユキシマ君等の「マサノブ教団」三首脳にとって、この一節は非常に重要なことであります。三首脳諸君は『生命の實相』の上記引用部分を過去において読んだ記憶があろう。しかしこの部分を求道の心で読むか、自分の都合のよいように功利的に読むかによって、三首脳諸君は、魂がより向上進化するか、それとも地獄煉獄へ向かって進むかが分かれるのであります。マサノブ・イソベ・ユキシマ三首脳は、“自分の都合の良いように”読んだし読んで居るのであります。


A 何故彼ら三人の首脳たちが功利的に自分の都合の良いように読んでいるかといえば、――マサノブ君は言うまでも無く「生長の家」を完全解体すべく強引に解体戦略を次から次えとスピードアップして実施に移して行っており、その結果大幅な信徒脱落現象を来して教勢は急低下して行っておりますが、マサノブ君自身はそんな事に頓着無く、衆生救済を100%放棄、八ヶ岳の秋の自然を満喫し、自転車競技や藝術展や音楽祭をして宗教貴族生活を満喫していることは信徒の広く知る所であります。イソベ君はそんなマサノブ君に「オレはタマシイをマサノブに売ったんだ!」として地獄の底までマサノブ君を擁護して行く決心をしている。そのマサノブ擁護報酬と「生長の家」解体推進行動報酬として年間2000万円、5年1億円、10年で2億円の超高額報酬を食んでいる。ユキシマ君も、これまでもこれからも「マサノブ教団」金庫番として教団財務をマサノブ君の指示のままに忠実に切り盛りしていくであろう。その中には、「マサノブ教団」の赤字を埋めるため、証券株式市場に何百億円を注ぎ込んで短期・長期の利ザヤ稼ぎをさせられる。イソベ君同様、宗教家の良心の麻痺していまっているユキシマ君は、その資金が信徒の浄財である事をスッカリ忘れ去り毎日、パソコンの株式市況の数字とにらめっこし続けて居るのであります。


B マサノブ・イソベ・ユキシマ三首脳は、「生長の家」解体に向けて毎日を送り、解体計画を前進させつつある事、この行為を彼ら三首脳は「悪行」だとは思っていない。過去においては一時的には良心の咎めを感じたときもあったであろうが、現時点に於いては宇宙の大法たる「因果の法則」すなわち「心の法則」を超脱した境地にあると錯覚してしまっているのである。完全な宗教家良心のマヒ状態であり、彼ら三首脳をして宗教家良心を完全麻痺させているのは、彼らに憑依して来ている霊界の悪霊達であるのであります。最もそのような悪霊憑依を招いたのも「類は類を呼ぶ」心の法則によって招き寄せたのであり、その根底には、「生長の家」の真理を最大限利用して、自分たちの個人的人生目標を達成し、この世で名誉と権力と高い金銭的報酬を得たいとする深層意識的願望を彼ら三首脳たちが持っていたからであります。マサノブ・イソベ・ユキシマ三首脳の性格的共通項は、独裁欲・名誉欲・権力欲・金銭欲であり、今やこの四つの欲望を達成して我が世の春を謳歌していると云うわけであります。この春うららの時期を出来るだけ引き伸ばして、自由に使えるようになった宇治の資金も上積みして1000億円以上の教団資産・資金(信徒の積み立てられた浄財)から超高給として合法的に自己貯蓄を積み増していくことだけを考えて居るのであります。だから、イソベ(若頭)・ユキシマ(金庫番)の二君は完全なまでにマサノブ君にタマシイを売り渡し、教勢の急激な衰退の責任を何ら感じずに居座り続けているわけであります。


C マサノブ・イソベ・ユキシマ三首脳は、上記『生命の實相』に書かれているところの――

<< 『目には目を、歯には歯を』・・・悪いことをしたら悪いことをしただけの報いを受ける・・・心に描いただけの形が現象界に映る現象顕現の『心の法則』仏教で言う因果の法則・・・百の悪しき心を起したなら、百の償いをしなければ、それは消えない。播かぬ種は生えない。播いたタネは生える。・・・心相応のことが顕われて出るまでは償われないと云うのが因果の法則 >>

つまり、「因果応報」という宇宙の大法の存在を何ら気にかけずに平気で「生長の家」完全解体という悪事を行なっている。宗教家とは決して言えない「大悪行」を平気で行なっている精神異常者であります。


D 何故、彼ら三首脳たちは平気で、宗教家にあるまじき「大悪行」を行なえるのかの理由を強いて求むれば、――『生命の實相』の上記文章の自分に都合よき部分のみの得手勝手適応(真理のツマミ食い)であります。すなわち、

<< 償いきらなくとも救われる道がなければならない。因果の法則を超越して救われる道がなければならない。それはあるか? あります。それは生長の家で説く『縦の真理』でありまして、此の『縦の真理』から観ますと、唯心所現の横のひろがりの世界がどうあろうとも、そんなものは影の世界であって問題とするに足りないのであります。縦に久遠を貫く自分の實相――実の相(すがた)はそんな横に拡がる現象を超越して、久遠生き通しの健全な、汚点(よごれ)のない、穢(けが)れの無い、神の子であり、仏であるのであります。この實相の心を集める時、我々の心に描いた、――現象世界を現わすところのフィルムに当る『念』からは迷いの“むらむら”が除かれ、忽ち實相の光の源の中へ、ひたむきに飛び込んで行くことが出来るのであります『悟りの中には因なし』と涅槃経に書いてありますように、實相、光明遍照の光の中に入って行った時には、もう一切の『因』はない。『因』がなければ『果』もない、従って十の罪に対して、十の贖(あがな)いをしなければならないと云うことが超越されてしまうのであります。『生命の實相』を読んで病気や災難を免れると云うのも神の造り給うたままの實相の光に照らされて因果を超越した世界を其処に見出すからであります。>>

このことを簡潔に表現するならば、『甘露の法雨』にあります < 生命の實相を知る者は、因縁を超越して、生命本来の歪みなき円相的自由を獲得せん > でありますが、マサノブ・イソベ・ユキシマ三首脳は、憑依悪霊の囁きによって、「生命の實相を知る者」と言う言葉と「生命本来の歪みなき」という、この二つの言葉を考慮外に置いて、<因縁を超越して自由を獲得>したのだと得手勝手な、まさにツマミ食いをしてしまって居るのであります。


E マサノブ・イソベ・ユキシマ三首脳たちは、教団トップの椅子に座りながら、真剣な正しい求道心を持たず、従って、自己自身の生命の實相の正しい悟りに到達など出来ていないのであります。だから逆立ちしても因縁を超越することなど不可能であります。にも拘わらず、自分らは「生命の實相」を悟って因果のない世界に住しているのだと錯覚してしまっている。このことは、彼ら三首脳が悪霊憑依されてその悪霊の意のままに動かされていること以外には考えられないのであります。だから、教勢急落の責任などは全然感じてはいず、現世的な四つの欲望(独裁欲・名誉欲・権力欲・金銭欲)だけしか頭の中にはないのであります。常識以下の最低人間であります。


F 以上の見解に対しては、「マサノブ教団」擁護信徒さんから反論が為されると思います。しかし、百歩譲って、マサノブ・イソベ・ユキシマ三首脳が正しい「生命の實相」の悟りに到達していると仮定するならば、当然彼らは直ちに現在の座っている椅子から降りて、教勢急落の責任を謝罪し、大政奉還・看板返却・教団退去をなすでありましょう。このことを実行しない限り、マサノブ・イソベ・ユキシマ三首脳は決して正しい「生命の實相」の悟りに達したとは言えず、従って彼ら三人は行き着くところまで行き、死後の霊界とその後の輪廻転生の未来世に於いては「因果応報」の法則の下に悪果を刈り取ってゆかなければならないのであります。正しい「生命の實相」を自覚しない限り「因果の法則」という「宇宙の大法」を免れることは出来ない。ましてや、「因縁を超越して生命本来の歪みなき円相的自由の獲得」などあり得ないのであります。マサノブ・イソベ・ユキシマ三首脳はこのことをトクト自省しなければならないのであります。以上、忠告申し上げる次第であります。


(つづく)




魂を売ったのだね (5764)
日時:2014年12月01日 (月) 00時02分
名前:そうだったのか


マサノブ君が独裁者

イソベ、ユキシマ、この二人が魂を売ったのだね



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