生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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これが「マサノブ教」トップの優雅な宗教貴族生活だ!・・・「自然の恵みフェスタ」詳論エッセイの発表! (5670)
日時:2014年11月16日 (日) 00時18分
名前:公平なる観察者




余命幾ばくかも知らず、相変らず“噴火山上の舞踏”に浮かれているマサノブ君、又しても、「マサノブ教」の“宗教的幼児性”を恥かしげもなくさらけ出した「枯れ松模様」エッセーを発表したのであります。先ずはその概要を掲げましょう。



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平成26 年11月 9日「唐松(枯れ松)模様」 =自然とのつき合い方 (3) = (概要)

<< フェスタの趣旨は「自然の恵みに感謝する」こと・・・職員がいくつかのグループを作って、グループのメンバーが協力し合って感謝の気持を1つにまとめ、それを“舞台”や“出店”の形で表現するという方式・・・フェスタには文化祭的な要素があるから・・・それが音楽会であり、地元の食材を使った手作り料理、そして自然素材によるフラワーアレンジメントなどのグループ・・・一種ゲリラ的なグループも登場・・・それは「SNIクラフト倶楽部」で、手作り品を趣味とする同好会のようなものだ。・・・人間も自然の一部だと考えれば、人間の中にある「神の創造のエネルギー」も自然の一部・・・音楽会も“自然の恵み”への感謝の表明・・・手作り品の製作や展示も、創造のエネルギーの発露の一つだから、自然の恵みへの感謝の表明・・・しかし、この考えをどんどん延長していくと、人間の創造物や製作物の中には、自然界にとって有害なものも含まれる。また、「何でもどんどん製造する」ことが無条件で許されると、資源のムダ遣いや、森林や生物多様性の破壊も「自然の恵みへの感謝」だという奇妙な論理に行きついてしまう。そこで、前回の本欄でも紹介した「自然と調和した生き方」の4条件が重要になってくるのである。
 @自然調和的な動機や目的により
 A自然度の高い場所で
 B自然状態に近い(自然度の高い)材料を使い、
 C自然破壊的でない方法や手続きを用いた活動をする。
 手作り品を製作する場合、@の条件を満たすためには、製作のために稀少種の動植物を犠牲にすることは許されないし、製作物の大量生産は疑問・・・「自然との調和」ではなく、「利潤の追求」が疑われるからである。また、Aの条件を考えると、・・・製作過程の一部を都会の人や会社に委託するという方法は、疑問である。・・・Bでは製品そのものではなく、それに使う「材料」の自然度が問題にされているが、加工に適した素材は、必ずしも自然度が高いとは言えない。・・・自然度の材木はないか、すると、家を建てたあとに出る「廃材」のことが思い浮かぶ。・・・幸いにも、オフィスの職員寮は建築後1年を経ておらず、また冬場の暖をとるための一助として、寮を建てた後の廃材が各所にまだ残っていた。SNIクラフト倶楽部では、そういう廃材を使って椅子や薪用の木箱、鳥の巣箱、コースターなどを製作し、フェスタに出品することができた。その他の木工品では、スマートフォンや経本を卓上に立てるスタンドとか、小型の仏像、大型のものでは薪収容のログラック、そしてブランコも出品された。木工品以外のものでは、ヘンプブレスレット、ネックレス、石鹸デコパージュ、ポーチ、キーホルダー、オーナメント、お手玉セットなどの手工芸品が出品され、どれも買い手がつく人気だった。・・・私もこのグループに所属し、木材を使ったマグネットを出品した。・・・選んだ絵柄は、昔の切手と自作の絵・・・3種類のマグネットを合計77個製作し、全部買ってもらえたので大変満足している。シカ角に加え、古切手と廃材が活用され、私の自己表現もでき、たぶん買い手にも喜んでもらえたと思う。自然への感謝とともに、都会から森の生活へと大転換してくださった人、またそんな私たちを支援してくださった人々への感謝の表現が、こんな形でできるとは思わなかった。 谷口 雅宣 >>



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<講評>


@ 「自然と如何にして付き合うか」、これが現代の時代即応の教えなのか? マサノブ君に対して毎回申し上げておりますが、先ずこの「自然との付き合い方」という表現自体が、宗教家らしくないのであります。やはり、マサノブ君は宗教家と名乗れるには全く程遠い人間だと云う事であり、金輪際プロフィール欄で「宗教家」と書くことを辞めて貰わねばならないと考えます。「評論家」とか「エッセイシスト」ぐらいが似つかわしいと考えます。


A 10月末、「森のオフィス」で3日間にわたって行われた「自然の恵みフェスタ」という“森のオフィス祭り”ともいえる行事の内、「天女山ヒルクライム」という自転車競争は、“報復人事”事件という結末を招いてマサノブ君は信徒から批判の矢を注がれました。そして、今回の「自然の恵みフェスタ」の詳細報告を「枯れ松模様」に発表したわけでありますが、全く宗教貴族の優雅なお祭と云った感じで、早速絶賛コメントを掲載した筆頭・茶坊主の目等狂化部長等を除いて、これを読んだ末端信徒の皆さんは、こんなことが「マサノブ教」といわれる“現代・生長の家”の運動なのかと呆れかえって教団脱退を決意する人たちも決して少なくはないと思われるのであります。


B ハッキリと云えることは、マサノブ君には「宗教的霊的感性」というもがないのであります。「敬虔なる祈り」や「神秘への畏敬」というものがマサノブ君には無いのであります。(性格に云うならば、實相のマサノブ君は完全円満な神の子ではありますが、本来無き“神性隠蔽”という迷いの煙に覆われているに過ぎないだけなのですが。) マサノブ君がこれ等の感性や適性を持ちあわしているならば、「自然との付き合い方」という表現はしないでしょう。なるほど<自然の恵みへの感謝>という表現をしているのですが、もっと宗教的霊的感性のある表現――たとえば、「日本民族は古来、天地万物を神のいのちの顕われとして合掌礼拝して参りました」とか「私たち一人一人の人間は“宇宙総動員”で以て生かされているのです」と表現してこそ宗教家といえるのであります。「自然との付き合い」とか「自然への感謝」では、聴く人の心には響き難いのです。聴く人の宗教的霊的感性を引き出す力が非常に弱いと思われるのであります。


C 最近、掲示板でもマサノブ君の講習会の講話の評判が悪いと聴きますが、私も過去において何回かマサノブ君の講習会の話を聴いたのですが、彼の講話には全く宗教的霊的感性に訴えてくるものがないのであります。単なる物知り学者の講義であるからです。マサノブ君は宗教的霊的感性を持つ言葉が使えないのです。だから、講習会へ来る人たちとの感性に於ける共鳴がないのであります。「波長共鳴の法則」が働かないのです。ここの肝心なところが学者・マサノブ君には全然わかっていないのであります。


D マサノブ君は「四無量心」という言葉をよく使いますが、実際の彼は、全然「四無量心」など持ち合わせてはいないことが此の「自然の恵みフェスタ」の報告文には表れていないのがよく分るのであります。「枯れ松模様」の上記文章は、誰が読んでも、高給を貰って生活している宗教貴族のお祭りとしか思われないのであります。マサノブ君は最後の部分で<都会から森の生活へと大転換してくださった人、またそんな私たちを支援してくださった人々への感謝の表現が、こんな形でできるとは思わなかった。 >と自画自賛して居るのでありますが、<都会から森へ大転換した人>というのは、給料を大幅アップしてもらって「森のオフィス」へ付いてきた豪邸住まいの本部職員のことであります。また<そんな私たちを支援してくださった人々>とマサノブ君は書いておりますが、「マサノブ教」の本質を知らない信徒の人たちは、自分たちの奉納した「聖使命会費」が今はマサノブ君と本部職員の「自然との共生」と銘打った“宗教貴族”達の“豪勢かつ優雅な田舎暮らし”や、利ザヤ稼ぎの株式投資資金に使われていることを知らず、此の実態が解れば誰も“支援”などする気持にはなれないのです。<支援して下さった人々>とはマサノブ君の得手勝手な自分本位の独善的思い込みであります。宗教的詐欺行為であります。現在の信徒は高齢者が多くそんなに多くはない年金の中から聖使命会費その他の浄財を奉納しているのです。白鳩信徒さんの中には、パートや内職の稼ぎの中から聖使命会費を奉納している人達が大勢いることにマサノブ君や教団上層部は思いが至っていないのであります。「出してもらえばこちらのもの。何に使おうがオレ(マサノブ君のこと)の自由だ。文句を言うな!」とうそぶいて居るのであります。


E 表向き宗教家と称しながらマサノブ君は、現代日本の諸悪の根元が肉体唯物主義の思想の上に立つ現憲法にあるとは考えてはいないのでります。現代日本人の思考形式がこの「肉体唯物主義憲法」に立脚しているとは考えず、戦争放棄条項を持つ平和憲法でこんな素晴らしい憲法の改正なんてもってのほかであると心の底から信じてしまって居るのであります。マサノブ君には、現代の世の中で先祖供養や霊的人間観の普及が絶対的に必要である事がわかっていないのであります。宗教家としては始めからの落第生であります。現代社会に於ける宗教家の役目はこの二つの点が最大限の重要項目であり、正しい霊的人間観を持つ人たち、家系という霊的系譜の中における自分の存在に気付いて子孫としての義務である先祖供養の重要性を知って、正しい先祖供養を毎日実践する人達が増えるにしたがって、諸々の社会的事件が少なくなって行くことは確実なことであります。このことに気付き目覚めていく契機となるものは、病悩苦への遭遇であり、このことからも個人の宗教的救済が大切なことでありますが、この個人的救済をマサノブ君は放棄したのであります。彼がどんなに屁理屈をつけようが宗教家としては完全な落第生であります。そして又、マサノブ君は愛国心さえも放棄してしまって居るのであります。彼は、国家というものが有機的生命体である事がどうしても理解できないのであります。絶対的真理に基づいた開祖・谷口雅春先生の「生命的国家論」が判らないのであります。だから左翼思想の国際平和を信条としているのであります。この点に於いてもマサノブ君は「生長の家」法燈継承の資格など全然ないのであります。落第生であります。このような落第生によって「生長の家」が牛耳られているところに“現代・生長の家”の悲劇があるのであります。


F 「生長の家」の完全解体と地上からの抹殺がマサノブ君の最終目的であります。まったく常識では考えられないことですが、これがマサノブ君の実態であります。自分の会社を自分で潰して会社の資産を自分のものにしようと企てている社長、――この常識では考えられない事柄(背任行為)が、「現代の生長の家」に於いては白昼堂々と行われて居るのであります。とにかく、マサノブ君及び最高首脳者たちには教団経営の失敗の責任を取ってもらわなければなりません。それなのに、千葉県の目等狂化部長は、次のようなマサノブ絶賛コメントを恥かしげも無く書いて居るのであります。

<< コメント、――「自然の恵みフェスタ 2014」を見学させていただきました。見事な紅葉と温かい秋の日差しの中で、フェスタに取り組む職員の皆さまの生き生きとした笑顔が印象的でした。私は、先生制作の年賀切手の木工マグネットを買わせていただきました。1978年用の年賀切手で、私の干支である馬の図柄を選びました。机の上にあるえんぴつ削り器の側面に付けて、メモ用紙の押さえに使わせていただいています。手作りの温かさが伝わってきます。この度のフェスタで紹介された、音楽祭や手作り料理、クラフト製品などの出店は、今後、教区で開催する際の参考にさせていただきます。ありがとうございました。合掌 投稿: 目等泰夫 | 2014年11月11日 (火) 19時00分>>

目等君といえば、かつてご子息の学校の行事のときに、「国歌」斉唱の際、父兄席から起ち上がり、ひとり堂々と「君が代」を歌った勇気ある愛国者であったのでした。それが今や反日的日本人のマサノブ総裁の腰巾着として「左翼唯物現象論」に傾倒し、高給を失うまいと親分の顔色を伺う毎日! どうして斯くも変身したのか? 結局のところ、『生命の實相』の真髄が潜在意識の底まで浸透せず、絶対的信念となっていなかったのではないでしょうか? その心のスキにマサノブ・イソベ・ユキシマの三首脳と同じく、とてつもない悪霊が忍び込んできたとしか考えざるを得ないのであります。目等君同様、現教団の中には、開祖・谷口雅春先生の御講話を聴いた古参信徒の皆さんもまだまだ多く残っておられますが、それらの信徒さん達は、信仰生活の長さは長いのですが、結局本来の「生長の家」の真髄の真理が潜在意識の信念にまで達していなかったので、「オマゴサマだから」と言うだけで簡単にマサノブ君に洗脳されてしまい、その心のスキに悪霊の念波の侵入を許してしまったのであります。今や、現・教団全体が“巨大な悪霊憑依状態――巨大悪霊の支配下”に置かれてしまって居るのであります。


G これだけはハッキリといえるのであります。IQ指数(肉体的知能指数)の高いマサノブ君は、今回の「自然の恵みフェスタ」の宗教貴族的優雅な報告に対する信徒の反発の結果を計算して居るのであります。大勢の信徒の反発と脱退促進を予測して書いたのであります。このことは絶対に明かしはしませんが、マサノブ君は“信徒脱落”の促進を大いに期待して居るのであります。信徒の減少を促進してそれを理由に最後は「森のオフィス」一ヶ所の「生長の家」として1000億円以上の教団資産を勝手気ままに自分ひとりだけの人生目的達成の事業資金として、合法的に使いたいのであります。その一部は、マサノブ君の子孫に残す私財として“資金洗浄”して個人貯蓄化しておくことにも余年がないと思われるのであります。このような内容のことを、この「自然の恵みフェスタ」報告<自然との付き合い方>のエッセイ文は含んでいるのであります。







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