生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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<超・重要転載> 「生長の家」30年暗黒史ーーー“破壊と蕩尽”のマサノブ独裁皇帝・暗黒の今生の記録!! (5684)
日時:2014年11月18日 (火) 10時17分
名前:信徒連合




< 超・重要転載 > =全信徒の必知事項=


http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=daityouwa&mode=res&log=2004

http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=332




                    <生長の家30年の暗黒史>




○昭和58年…「生政連」解散(活動停止)(総裁は、当時、生長の家理事)


○昭和59年…「日本を守る国民会議」脱退

※愛国運動からの事実上の撤退!谷口雅春先生はその前身である「日本を守る会」の結成において「生長の家の一つや二つ潰れてもかまわない」とまで仰いました。生長の家は祖国・日本のためにこそあるとの尊師のご覚悟を垣間見る思いが致します。


○昭和60年6月17日…谷口雅春先生ご昇天

    「實相無相光明宮大真理説授正思惟大聖師」


○平成元年…「両軸体制」のスタート

※このときに、谷口雅宣・広報編集部長(当時)は、「神誌」という呼称を否定し「普及誌」とします。「普及誌」には、谷口雅春先生のご文章が殆ど掲載されないということになりました。ここに谷口雅春先生否定の萌芽を見ることができます。


○平成2年…『理想世界』誌上に「ネットワーク考」を連載し、大東亜戦争侵略論を展開します。(11月、副総裁になる)


○平成3年…「宇治盂蘭盆供養大祭精霊招魂神社大祭祝詞」の書き換え

>※『聖霊天降る宇治』の巻末には「祝詞集」が収められています。その217頁の「尽忠の精霊に告ぐる詞」と219頁の「精霊招魂神社大祭祝詞」とを読み比べると、両者の違いがはっきりとわかります。<

 >そこには、谷口雅春先生と谷口雅宣総裁との「大東亜戦争観」の遠いが如実に示されています。即ち、後者には、大東亜戦争における日本の使命、役割が見事に剥落しているのです。意図的に削除されたとしか言いようの無い重要な文言を前者から抜き出すことにします。<

「…今や人類進化の一周期の終りにのぞみすべての人類は その皮膚の色彩の相異にかかわることなく平等の尊厳を恢復し平等の取扱いを受け その国土は独立し万民平等の自由が確保せらるべき理想実現の時期が近づきたりしがこの理想実現のためには 何れの国の民族かが尊き犠牲となって有色人種に“神の子”の実相を自覚せしめその独立精神を喚起せしめる天使たるの役割を演ずる必要ありしなり…」

 谷口雅春先生は、ここにおいて、はっきりと大東亜戦争における日本の役割を「天使たるの役割」と仰せられたのです。

 ところが、谷口雅宣総裁は、この箇所が気に入らなかったのか、全部、削除しています。大東亜戦争を“侵略戦争”と位置づける谷口雅宣総裁にしてみれば、それはとても容認できることではなかったのです。こうして、祝詞は改竄されてしまいました。

 そして、それを知られたくないと思ったのか、その証拠を抹殺するために、谷口雅宣総裁はこの「祝詞集」が収められた『聖霊天降る宇治』を絶版に処したのです。


○平成4年…谷口雅春先生『新刊書』の発行停止、
 
 既刊書重版停止(「内容上の理由」32点…事実上の絶版)

※平成4年7月15日、渋谷東急インでの取締役会(中島省治、鈴木卓朗、宮本三男、永井光延、辻信行、谷口雅宣、三浦晃太郎、磯部和男の8名)

 この「取締役会」で暗躍したのが、言うまでも無く、「谷口雅宣、三浦晃太郎、磯部和男」の3氏であります。「日本教文社」の社外取締役でしかない3氏が、裏で示し合わせて、谷口雅春先生の『新刊書』の停止へともっていったのです。そのときに言われたのがこの言葉です。

>“谷口雅春先生の『聖典』はもう古い”この会議に谷口雅宣総裁がいなかったら、絶対に、この決定はありえないはずのものでありました。つまり、今から思えば、このときに、「日本教文社」は、この社外取締役3氏によって乗っ取られ、骨抜きにされ、魂までをも奪われてしまい、その社会的使命を終えたのです。<


○平成5年…「国際平和信仰運動」を提唱

>※これ以降、「日本国実相顕現運動」という言葉が事実上、消えてしまいます。その際のスローガンが“国をこえ、民族をこえて”であります。<


○平成7年…「国際平和信仰運動」のシンボルマークとして“鳩葉っぱ”のマークが制定されます。

>※「聖旗」の“光輪卍十字架”のマークが「ナチス」を連想させるという名の下に、これが制定されました。<


○平成11年…谷口雅宣氏総裁代行


○平成12年…ISO14001取得の提唱→環境保護運動一本への傾向が強まります


○平成13年…「参議制度」が新設

>※この規約改正によって、谷口雅宣総裁が金も人事も握る権力を有することになります(教団完全支配)。<


○平成15年…“森の中のオフィス”構想の発表。

>※このとき谷口清超先生は原宿の本部を移転することはまかりならんと言われたと言います。<


○平成16年…「新教育者連盟(新教連)」を教団から切り離す


○平成18年…総本山の「鎮護国家特別誓願券」の書き換え。

>※「鎮護国家」を外し「世界平和」が入ります。その後、平成26年、総本山の手水舎の柱からも「鎮護国家」の文字が消され、「世界平和」に替えられます。<


○平成19年…環境保護運動が本格化


○平成20年10月28日…谷口清超総裁先生ご昇天。

>※諡号に「大聖師」が入り「實相無相光明宮弘誓通達大慈意大聖師」。「大聖師」は谷口雅春先生のみ、という谷口清超先生のお考えは無視されました。<

※谷口清超先生のお通夜で、荒地浩靖先生、宮澤潔先生の出席が拒否される。この時、

>お二人を出席させようとした谷口恵美子先生に対して、谷口雅宣総裁は「アンタ」呼ばわりする。こののち、谷口恵美子先生は、子供や孫、友人の方と自由に会うことができなくなり、所謂、軟禁状態におかれます。あまつさえ、毎月、家賃等で100万円(うち40万円は家政婦)を徴収されることとなります。<


○平成22年…「四無量心を行ずる神想観」ニューバージョンの発表


○平成22年…「霊牌」焼却をやめ、燻炭化

※「霊牌」のいわばミイラ化です。CO2削減のためが表向きの理由でした。


○平成23年… >「総本山は聖地ではない」<

と発言(谷口雅春先生26年祭にて)


○平成24年…『大自然讃歌』『観世音菩薩讃歌』を発行

※ >「聖経」を補強する必要がある<

ということで創られます。最初は、「聖経」に取って代わるものではないと言われていましたが、今では、どんどんこの「経本」の読誦が行われています。


○平成25年… >「ご神像」の撤去<

“森の中のオフィス”へ移転。
※「ご神像」は汚い毛布にくるまれクレーンでつりあげられ、作業員の土足にふみつけられました。移転に祭し、教団は何の儀式も執り行いませんでした。


○平成25年…会則の変更

※「栄える会」の会則の目的から「本会は聖典『生命の實相』の精神を信奉し、―世界的視野に立つ有為な産業人の養成を図る」の部分を削除。「教職員会」の会則の目的から

>『人間神の子の実相』『日本国の実相』『天皇の実相』を顕現し真に平和な世界の建設に寄与する」の部分を削除。<


○平成26年3月1日…総本山で執り行われた

>「立教記念式典」において「実相額」が覆い隠される。国旗「日の丸」も「聖旗」も掲げられず、国歌「君が代」の斉唱もなし。ただ、壇上には「鳩葉っぱ」の旗のみ。その上、顕齋殿が土足履きになる。<


○平成26年4月…谷口恵美子先生の高知への脱出

>※谷口恵美子先生は「成年後見制度」を強要されて、通帳と実印とを取り上げられる。そして、谷口恵美子先生は軟禁状態のお山から高知の宮澤先生ご夫妻の元へと脱出されます。<


>○平成26年5月…総本山の「神示祭」が廃止となる。「原宿本部会館」の解体が始まる。<


>○平成26年11月21日…総本山の「ご祭神」が変更に。天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神が加えられる。<





正しく30年暗黒史ですね。 (5685)
日時:2014年11月18日 (火) 22時48分
名前:不動明王

未だ解らない方々がこの暗黒史を読まれても、解らないのでしょうかね・・・・

この暗黒史にひとつ加えて下さい。
雅宣氏が副総裁の時代、自分の権限が何一つないと言って、全国の教化部長あてに退職宣言のFAXを出した件、自分の経済的保証が無い事を嘆いていた事は見過ごせません。

マサノブ(自称)総裁の平成11年の退職と復職は、全権力奪取のための自作自演劇であったのだ! (5693)
日時:2014年11月20日 (木) 10時54分
名前:元・相愛会連合会長T





マサノブ(自称)総裁は、平成11年に「副総裁」を辞任退職した。しかし、これは、『生長の家』の全権力を奪取するための巧妙な“復職”を前提として仕組んだ彼独特の深き陰謀であった、――
(尚、このとき支給された破格の退職金は復職に際して返還されていない、未だに“ポッポ内々”と聞く)




<「本流宣言掲示版」より転載>

http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen

雅宣氏の陰謀NEW (10024)

日時:2012年06月06日 (水) 23時34分
名前:蒼穹


雅宣氏の現在の独裁カルト的教団は雅宣氏が仕立てたものだ、副総裁時代に本部を退職すると駄々をこね。

周囲が慌てて事を収めた、雅宣の計算通りとなったのだ。
その陰謀の始まりは次の退職通知を全国教化部長宛に出した事に始まる。

全国の教化部長に出せば大騒ぎになる事を計算している。

素直に退職するので有れば本部内で言うだけで良いはず、むしろ教団の事を考えるのであれば、大事にしないで静かに去れば良かったのです。

さてその脅しの文章を四回に分けて掲載致します。怪文書ではありません、雅宣氏の名前入りです。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


>> 全国の教化部長の皆様へ:(FAXの全文)

平成11年度の講習会がいよいよ始まりました。出足は「一勝一負」という感じですが、新年度の運動方針で決められたように、講習会の受講者は前年度対比ではなく「基準数対比」を全面に出すことになったようです。

「ようです」などと他人事のような書き方をしましたが、この「基準数」についての考え方(なぜこれを採用し、今後どう運動するのか)講習会推進運動の光明化運動全体における位置(比重)、講習会に代わって何を運動の中心とするか等々の問題か、皆様 の参加した拡大最高首脳会議でも生長の家代表者会議どもほとんど議論されなかったのは、誠に残念なことです。理事長を初めとする理事の先生方には、こういう重要なことが明らかなのかもしれませんが、私には少しも明らかでないため、教区に於いて熱意をもつて無償で運動して下さっている幹部信徒の皆様が集まる幹部会で、私は本年度の運動に関して何を言っていいのか分かりません。

こんなことを書くと、皆様には不思議な感じがすると思います。副総裁は、教団の組織運動について知悉しており、しかも指導する立場にあるのだから、運動の今後について教区の人達を励ますことなどたやすいことではないのか? こう考える人も多いのではないでしょうか。ところが、事実はそうではないことをみなさまに知っていただきたいのです。
昨年度の講習会での幹部会でも、私は「誌友会を充実して」とか「会員の増える運動を」など当たり前のことを言っていましたが、実は「こんな当たり前のことは」教化部長がいつでも言っていることだろうから、 何故私が改めて言うのか?」という疑問がいつも脳裏にありました。では、当たり前でない、もっと運動の細部にわたることを言うべきなのかと考えると、それは相・白・青の中央部の仕事と教化部長の仕事、さらにはそれらの役職を統括する理事長の仕事と重なってしまいます。そういえことを、地元の事情を詳しく知らない私が幹部会の席上で言うと、影響が大きいゆえに、本部の責任部課の仕事に干渉することになり、間違った発言をした場合には組織に混乱を起こす結果となります。
しかし、副総裁は、そういうことをすべて考慮に入れて、なおかつ運動の士気を鼓舞するような適切な指導をすべきだ、と皆様は思われるでしょうか?谷口雅春先生も谷口清超先生も別の形であれそうされたのだから、雅宣先生も同じようにすべきだ、と考える人も多いかもしれません。ところが、この人類光明化運動においては、雅春先生の時代とも清超先生の時代とも根本的に違う制度的な変化(革命?)が起こったので、私は前任の先生方と同じ事は最早出来ないと判断しています。いったい何が起こったというのでしょうか?

それは、オウム真理教の問題に端を発した宗教法人法改正により、平成8年9月に行われた規則・規約類の大幅改正です。この改正は、この教団に於いては何か“税金対策”のように考えられるフシがあり「税金を払わされるのはたまらないから、政府(というよりは文部省の役人)の言うことは何でもやれ」という感じで、改正案の説明を私はロクに受けず、理事会に於いてもロクに論議されずにスイスイと通過してしまいました。(これが偽らざる私の感想です)が、改正が行われたものを何度も読み直した私は、「これは、副総裁はあまり仕事をするな」という意味の改正だと理解せざるを得なかったのです。


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>>生長の家副総裁の職務について、以下の3つの変化がありました。

1.従来の理事会の機能を2つに分け、1つを宗教上の諸事項を決定する宗教上の機関として「理事会」という名で残し、新たに「責任役員会」を設けて、その他の宗教法人の(宗教上でない)事務を決定させるようにした、つまり、“聖俗分離”により、従来の理事会の機能は“聖”に属するもののみに縮小された。

2. 従来の理事会では、その決定事項は「総裁及び副総裁に1よる承認を得」ることが実施の条件となっていた(旧理事会内規第9条)が、この改正により、「総裁の委任」が無い限り副総裁の承認は不要となった。

3. 緊急事態に対応するために開かれる「持ち回り理事会」も、従来は「総裁及び副総裁の承認」がなければ開催出来ず、その事項も「総裁及び副総裁」の承認を経なければ実施に移せなかったが、この改正により、「総裁の承認」さえあれば開催も決定事項の実施もできるようになった。(旧理事会内規代6条の改正)

本部の意志決定機関としては、上で触れた理事会や責任役員会のほかに常任理事会と中央五者会がありますが、後の二つの機関の決定事項に関しては、従来から副総裁は何も関与していませんでした。ですから、この平成8年9月の変化により、副総裁が持っていた権限は大幅に縮小され、宗教上でない法人の事務(“俗”の領域)ばかりでなく宗教上の諸事項に関する(“聖”の領域の)理事会の決定事項にも、ほとんど(総裁の委任がないい限り)関与することができなくなったわけです。誤解のないために言っておきますが、副総裁ばかりではなく、生長の家総裁の権限も大幅に縮小されたのが、この改正です。

この大幅改正の後に、制度的に変わったと言えることが2点あります。一つは、平成10年1月17日から、生長の家教規10条の規定にもとづき、総裁先生の発意により、中央五者会の決定事項の「承認」の職務が副総裁に委任されたことで、もう一つは、同月28日に生長の家教規第21条が改正され「理事会には、総裁及び副総裁が出席して助言を行うことができる」ようになったこと(それまで1年以上も、制度的には総裁も副総裁も 理事会に出席出来なかった! )です。これら大幅改正の中心となった松下明理事によると、この「承認」や「助言」についても、法的にはややこしい制限がついているそうですから、結局のところ、現在の宗教法人「生長の家」の意志決定制度は、副総裁という立場の私の力はほとんど及ばない形になっています。

これに伴い、私が副総裁就任当時、副総裁のスタッフ部門として発足した「講習会企画室」も、いつのまにか私の手から離れて理事長の直属組織となりました。同じ頃、「副総裁」という私の立場の英語表記が「Vice President」から 「Honorary Vice President」に変更されました。英語で「Honorary」と言えば「名誉上の」とか「肩書きだけの」という意味であり、この語を正確な日本語に訳せば「名誉副総裁」であり、その場合は「無報酬の」とか「無給の」という意味も暗示しています。(研究社『新英和大辞典』)


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>>これらすべてのことは、理事会等の正式機関に於いて“慎重審議”の末に決定されたことです。この新しい制度の特徴を一言でいえば、それは「理事長の権限の大幅拡大」で、それとの比較上で総裁先生の権限は縮小し、副総裁の権限はほとんど何もなくなりました。「なぜそうなのか?」という理由を、私はいまだによく理解できないでいます、「税金対策のため」というのが、表向きの理由のようです。しかしこれって何かおかしくありませんか? 私は、生長の家は「中心帰一」を説くと思っていたのですが、これでは「税金対策を最重要とする」というように受け取れないでしょうか?

ふたたび誤解のないようにしておきたいのですが、私は何も「かつての権限を戻してほしい」とタダをこねているのではありません。もっと合理的に、納得のいくような説明をしてほしかったと言っているのです。また、このような大幅改正を行ったわけですから、当然、私の実際の仕事の中身にも影響が出てくるはずです。権限が縮小されれば当然、責任も減るはずです。権限のない領域での仕事はする必要がなくなるはずです。これは、別に悪い事ではありません。その空いた時間とエネルギーを、私は別の仕事に振り向ける事ができるからです。(仕事はいくらでもあります!)

新年度の開始にあたり、この考え方に則って私の従来の仕事を総点検してみたところ、講習会は生長の家教規第10条と第11条に定めた通りの副総裁の任務でありますが、その後に教区の幹部の方々とともに行ってきた幹部会は、どこにも規約上の定めがなく、また、地元の組織運動の細部にわたった指導を求められる場があるにもかかわらず、私の任務としてはそのような仕事の規定が明文化されていないので、これをやめることにしました。

ついでに申し上げますと、私は平成11年3月末日をもって宗教法人「生長の家」を退職致しました。その理由は、現行制度の下では、生長の家副総裁は悔いんでも職員でもなく、役員でも職員でもない者は宗教法人「生長の家」とは直接的な雇用関係が生じる考えをもっている場合は、採用されるはずがなく、また自分が信念をもてない方策は、責任有る立場の人間は採用してはいけないのです。何といっても、新しい制度下にあっては理事長に責任と権限があり、私には責任も権限もないのです。そして、この新体制は私以外のすべての理事皆様の総意にもとづくものでした。この冷厳な事実に気づいた時、私は自分の誤りを知りました。

私は“我”の意志で教団を動かそうとしてはいけないのだ、ということです。運動の方向を決定し、教団の運営を行うのは、副総裁ではなく「総裁先生と理事」の皆様 なのであって、私は「助言者」としてその脇に立っているだけで、先生に助言を求められた時にのみ何かを言えばいいのでした。そのような制度になっているのだから、そのように行動すべきなのです。そこで考えたことは、私は現在の新制度を定める諸規約に書かれたことことのみを行い、書かれていないことは原則として行わず、例外的には顧問弁護士の正式見解が肯定的である場合にのみこれを行う、ということです。


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>>新年度の開始にあたり、この考え方に則って私の従来の仕事を総点検してみたところ、講習会は生長の家教規第10条と第11条に定めた通りの副総裁の任務でありますが、その後に教区の幹部の方々とともに行ってきた幹部会は、どこにも規約上の定めがなく、また、地元の組織運動の細部にわたった指導を求められる場があるにもかかわらず、私の任務としてはそのような仕事の規定が明文化されていないうえ、運動の“俗”の部分も“聖”の部分も副総裁の任務から切り離した新制度の精神から考えてみると、相・白・青の組織運動に横車を押す危険性が大きく、また運動の実情に疎い副総裁が誤った指示を行う危険性もあるため、これをやめることにしました。

ではなぜ退職までする必要があったのか、と皆様は思うでしょうが? その理由はこの文章の最初に書いた通りです。つまり、現行の制度の下では、役員でも職員でもない者は宗教法人「生長の家」とは直接的な雇用関係が生じないからです。これを弁護士の若菜允子先生は、次のような言葉で表現されています:

「副総裁の宗教上の職務は、宗教上の教義・規範に拘束され、宗教上の最高位者である総裁の総櫝の下にありますが、法人との間では、高度の宗教的信頼関係に基づくものであって、支配従属関係にあるものではなく、また、法人に対して労務を提供するものでもありません。」

上の見解に私が賛成であると言っているのではありませんが、理事長や松下理事等の有力者が「唯一正しい見解」であるかの如くこれを扱っているため、今や法人の意志決定過程に関与しえない私は、そのような見解を甘んじて受け入れるほか仕方ないのです。この文の冒頭部で私が「不本意ではありますが」と書いたのは、そういう意味です。

今後、私に副総裁としての手当を支給するか否かは(あるいは法的に支給できるか否かは)、すべて理事・役員の皆様の判断に任されます。私としては今後、家族を含めた生活のこともありますから、また新たな道を模索してまいりたいと思います。

皆様、長い間、有り難うございました。

谷口雅宣  拝






 (5694)
日時:2014年11月20日 (木) 23時51分
名前:火曜クラブ 

ぐだぐだ長い文章ですね。

本当に退職して生長の家から離れてしまえば良かったのに。

 (5695)
日時:2014年11月20日 (木) 23時57分
名前:火曜クラブ 

5694はマサノブさんの退職FAXについてです。 



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