生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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「人につく運動はいけない」っておかしいよね (5719) |
- 日時:2014年11月23日 (日) 18時15分
名前:呆れる信徒
最近、生長の家本部の行動言動に疑問を感じ、 こちらへ書かせていただきました。
よく、生長の家で活動をしていると 「人につく運動はいけない」って言われるのですが それっておかしいですよね。
だって、行きたくもない講習会に誘われて なんでみんな行くのですか?
行く人はみんな口を揃えてこう答えます。 「いつも◯◯さんが声かけてくれるから」 つまり、◯◯さんがいてくれたからこそ ◯◯さんに誘われたら講習会に行くのです。
もっとつきつめれば、 ◯◯さんに頼まれたからこの役を引き受けた、 なんて話もよく聞きます。
つまり、運動とは人についていくものなのです。 もっと言ってしまえば、組織とはリーダーになる人がいて その人についていくものなのです。
皆さん身の回りでもそうですよね。 商品を買うにしても、「あの営業マンから書いたい」 町内会にしても「あの人に誘われたから」 会社でも、「あの上司の下では働けない」 結局人なのです。
一般論で、組織とは人についていくものなのです。
それなのに「人につく運動はいけない」っておかしいことなんです。
では、なぜ本部は「人につく運動はいけない」というのか?
簡単です。 カリスマ的な人がいて、その人が生長の家から離れていったときに、一緒にその下にいる人たちも去って行ってしまうからです。
だから「人につく運動はいけない」と言って、カリスマのある人についていく信徒が悪いというような言い方をしていますが、それっておかしいですよね。
何が問題かといえば、そのカリスマのある講師と、総裁が一枚岩になれていないということが一番の問題であって、それって総裁の責任であり、本部の責任ですよね。
その責任を信徒に擦り付けているのですdから 本部のやっていることはおかしいのです。
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