生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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恥ずかしや雅宣さん (5741)
日時:2014年11月26日 (水) 01時36分
名前:不動明王

ブログ枯松模様11月22日

雅宣似非総裁の独説投稿に呆れる。
私、私、自分の書いた本を読む事を連発・・・・雅宣氏の自説の強要だ。宗教的文章は零。

谷口雅春先生は生命の實相を語られる時、自分が書いたとは仰らなかった、神様のご文章として語られ、自分もその書かれている事に導かれていると話されていたのです。
決して自説を説かれて居たのではなく、生長の家の大神さまの教えを私たちにお解き下さっていたのです。

雅宣氏は自分の左翼思想へ持って行く為に雅春先生の顕された書物の都合の良い部分を抜き出して語ると言う、ご都合主義であり。その奥にある雅春先生の思いを全く読み取れない雅宣氏である事がこのブログを読む事でよくよく分かりました。

又ご祭神の話も雅宣氏は生長の家を根本から理解していない事が証明されたようなものです。
生長の家の各道場や見真会場には『實相』の墨書が掲げられている、これこそ雅春先生が、天之御中主神の応化神である生長の家の大神さまの啓示を受けられて掲げられたのであります。
生長の家は発祥時から絶対神である、天之御中主神様を礼拝しお導きを受けているのです。

そして現象世界を住みよくお導き頂く住吉大神さまを通じて日本国の実相顕現と人々の救済そして世界平和の為龍宮住吉本宮が建立されました。

龍宮住吉本宮には天之御中主神さまを今更お迎えすると言う事が大きな思い違いであります。
神想観の前に、實相の墨書の前で『實相の御額を通じて宇宙の大生命に礼拝』と唱えているではありませんか。  宇宙の大生命=絶対神 であります。

雅宣氏はいろいろな神様がおられるように考えているが、神道の神々をそれぞれ個別と考える事が間違った理解であり全て一人神であります。
勿論高級霊が神格をもって各地方の神社でお祭りされてる神様は又別であります。

又社に御神霊をお迎えするには、お迎えするべく霊位と魂の持ち主でない限り出来ません。
精霊を迎える心境は現象的に修行を積む必要があるのです。雅宣さんそのような修行をされた話は聞いた事ありません。
地方講師でも講師試験があるのですから・・・・

谷口雅春先生は、龍宮住吉本宮での住吉大神をお迎えするにも、高位の神官を招いてする事も考えられましたが。谷口雅春先生が誠心誠意、お迎えの祝詞を唱えられ、伊藤陽夫神官が警蹕(けいひつ)を発声されること数回、真新しい龍宮住吉本宮の神殿に住吉大神をお迎えになりました。
その祝詞が終わると、一瞬その場を清めるごとくに細かい雨がサーっと降ったそうです。
これは伊藤陽夫宮司が話されていました。その時の神聖荘厳な祝詞(降神の祝詞)は今でも音声で残っています。
だからこそ龍宮住吉本宮は聖地なのです。その神聖なる事を知らない雅宣氏は聖地でないとか、、天之御中主神をお迎えするとか訳の分からない戯言を発しているのです。
日本の宗教界の笑いものとなっている事でしょう。

又、龍宮住吉本宮のご神体は護国の真剣であります。これは龍宮住吉本宮の奥深くご神体として奉安されていて一般の目には見えません。それを雅宣氏が自由にするこ事があれば大変ですが、護国の真剣はその一太刀だけではありません。同じ材料で作られた兄弟太刀があります。御神霊は正しき心の持ち主が持つ護国の真剣に宿られるでしょうから、雅宣氏が美術品として八ヶ岳あたりに持って出ても御神霊はその太刀には居られないと言う事になりますから、ご心配無用です。
私は兄弟護国の真剣は御存在を確認致しております。




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