生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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復習: 聖経『甘露の法雨』の奇蹟 N (426)
日時:2013年03月12日 (火) 08時47分
名前:ハスの華




合掌、ありがとうございます。
< 小は個人の病を癒し、大は国家の病を癒す > といわれて数えきれないほどの奇蹟が生じた天来の聖経『甘露の法雨』も、今や三代目の雅宣総裁は捨て去り、自分の頭で考え出した人間罪の子意識による「大自然讃歌」・「観世音菩薩讃歌」に置き換えようとことを進めております。果たして雅宣総裁の新・聖経?は『甘露の法雨』を凌ぐ奇蹟を生じさせるでしょうか? この際、これまで生じてきた『甘露の法雨』の奇蹟の数々を復習する事は大変意義のあるところであり、ニュー信徒さんにも認識を新たにして頂きたいと思います。

なお、『甘露の法雨』がどうしても手に入らない方々は、(株)光明思想社 TEL: 03−5829−6581 へ申し込めば手に入ります。また、末端の誌友会では、まだまだ『甘露の法雨』による地方講師の指導が依然として自信を持って行われておりますので、奇跡的な結果も指導を受けた信徒さんの身の上には起っていることも沢山あります。其の際には、間違っても「大自然讃歌」・「観世音菩薩讃歌」による奇蹟だとすりかえられないようにご注意願います。



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聖経『甘露の法雨』の奇蹟(15)



火中にあって焼けず

新講『甘露の法雨』解釈(p.336−337)


<<・・・長崎県の佐世保市の講習会で瀧口清太郎と言う人が次の様な体験を話されたのであります。瀧口さんの体験談は長崎特有のバッテン言葉で話されたので、そのまま朗読しても一般人には意味がわかりにくいのでありますが、その要旨を述べますと、村の敬老会で神前で読誦した『甘露の法雨』が中身だけなくなり紛失したのでありましたが、その祭礼の後始末にシメ縄や茣蓙のような藁工品を焼いて、熱灰を其の儘にしておいたのであります。翌朝、何も知らない村人によって前夜燃やしたわらの熱灰を取り片付けようとすると、その中から光り輝くものが出て来た。それは表紙はよごれていたが、経文の文字のある中身は全然燃えていなかった『甘露の法雨』だったというのであります。生命の実相は「火にも焼けず水にもおぼれず」と教えられておりますが、生命の実相(ほんとのすがた)を説いた『甘露の法雨』が火にも焼けなかった。これは実話なんです。・・・>>




三日間、雨中にあって濡れざる聖経

新講『甘露の法雨』解釈(p.337−338)


<<これは、滋賀県の東浅井郡浅井町の清水広彦さんという農業を経営する人の体験談であります。
『私は、「甘露の法雨」の偉大さというものを痛切に感ずるものであります。私は「甘露の法雨」のお守りさん型のをいただきまして、田んぼへ持っていきまして、シャツのポケットに入れて置いたのですが、シャツを脱いで仕事をして、日が暮れて来たので、急いでシャツと共に「甘露の法雨」を忘れて帰って参りまして五日目に気がついたのでした。その間、大雨が降ることが三日間続きましたけれども、往ってみると、シャツは濡れていましたけれども、その「甘露の法雨」は少しも濡れていなかったのでした。この奇蹟的出来事に痛切に感銘しまして、これこそ生長の家の神様こそ頼み甲斐のある人であることを痛切に感じまして・・・』 ・・・神様を私たちの父として「頼み甲斐のある人」だと言われるような純情な人であるからこそ、このような奇蹟が出て来たのだと思います。・・・不思議な奇蹟が伴うのは、このお経は私が書いたのではないのであって、観世音菩薩が・・・「甘露の法雨を澍ぎて煩悩の燄を滅除し給う」と示されてあるのは、この『甘露の法雨』のことであるという「実証」が、経文の「文証」を証明しつつあるわけであります。>>









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