生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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「いのちの樹林」より「いのちの霊的進化」を!・・・又もや宗教の本質を理解できないマサノブ君の霊的幼児性12・10の「枯れ松模様」!! (5842)
日時:2014年12月12日 (金) 20時06分
名前:怒れる信徒代表




又もや、マサノブ君は脱・宗教、脱・信仰の幼児性丸出しの「枯れ松模様」投稿文を発表しました。彼は時代の流れに乗ったつもりで得意然として発表しておりますが、この文章で彼は又もや宗教・信仰の世界から更に退歩し、霊的未発達の霊的音痴さを暴露し、他人の褌で相撲をとる狡知極まる非宗教家である事を世間に示したのであります。しかし、マサノブ君自身は霊的音痴の為にこのことを何も気付いてはいないのであります。先ずは「枯れ待つ模様」の投稿文の要旨を次に掲げます。




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「唐松模様(枯れ松模様)」平成26年12月10日 (水) =「いのちの樹林」について (要旨)=

 今日は午後1時半から、東京・赤坂の「生長の家赤坂“いのちの樹林”」で同樹林の完成の御祭が行われ、生長の家参議、日本教文社と世界聖典普及協会の役員、東京第一教区幹部、同樹林建造工事関係者ら約50人が参列して、工事の無事完成を祝い、生長の家の“自然と共に伸びる”運動のさらなる進展を誓い合った。私は、御祭の最後に概略、次のような挨拶の言葉を述べた−−・・・そもそもこの樹林の構想は、今から6年前に私の中から生まれたもので、当初は“霊的緑地”という風変わりな名前で呼んでいました。その時の様子が私のブログ「小閑雑感」に2008年2月15日付で、このように書いてあります−−・・・
 鉄とコンクリートの都会の中に、自然エネルギーを利用する装置や機械を設置することにも意味はある。が、都会の中心に“本来の自然”の活動を盛り上げる空間を拡げていくことも、重要なメッセージになると感じた。」(『小閑雑感 Part 12』pp.260-261) 私はこう書きましたが、ここにあるように「本来の自然の活動を盛り上げる」ということは、この大都会の中ではほとんど不可能に近い難しいことであります。が、今、多少の妥協はありますが、私たちは可能なかぎりその考えに近い形で、具体的な樹林を構成し、一歩前に進み始めたと言えるでしょう。現代社会は、「人間が望んだときに望んだものが簡単に手に入る」ということが、幸福であると考えているようです。そして、食材に関しては、日本ではその“幸福状態”がほぼ実現していると言っていいでしょう。しかし、それにもかかわらず、日本人は皆、幸福なのでしょうか? 多くの人たちはそう思わないに違いありません。 幸福とは、自他の一体感を得るときに訪れる、と私は考えます。・・・「自他一体」とは、人間同士の関係はもちろん、人間と自然界の生き物や環境との関係においても、「自他一体」を味わうことで幸福感を得ることができるということです。それが“自然と共に伸びる”生き方・・・自他一体とは、相手から奪うことではありません。相手が望むことが自分の望むことであり、それが得られることで自分は何も得られなくとも、相手の喜びを見て自分も満足することです。・・・この樹林は公園とは違い、立派な宗教施設だと説明しました。・・・昔から世界中で立派な庭園が造られてきましたが、それらは洋の東西を問わず、ほとんど支配者や権力者の手によって造られたもので、一般庶民の生活とは無縁でした。なぜなら、そういう庭園は人間の欲望追究の延長線上に造られたからです。私たちは、そういう庭園や公園を造ったのではありません。

 私たち生長の家は、@土地本来の植生とA生物多様性を重視した緑地を、宗教施設として作り上げたという所に大きな意義があると思うのです。この樹林がつくられる前、“霊的緑地”と呼ばれていた時にこの緑地のコンセプトができましたが、そこには「この緑地では、(…中略…)土地本来の植生を構成する樹木や草花」を配置することが定められ、また、このコンセプトの具体的展開方法として「小動物や鳥、昆虫などが生息できるよう、農薬や化学肥料は極力使用しない」ことが謳われています。これがつまり、庭園や公園の考え方と基本的に異なる点です。その相違点を分かりやすく言えば、庭園や公園は「都市」や「都会」の考え方の延長線上にある人間本位の、人間中心主義的な発想から造られるのに対し、霊的緑地=いのちの樹林は、自然本位の、自然中心主義的な発想から生まれているということです。  @その土地本来の植生であること。 A“自然の恵み”を生物多様性として味わえること。(果実、鳥類、昆虫など)この2つのポイントは、宗教的にもとても重要だと思うので、今回ここにお集まりになった方々、特に、赤坂オフィスの職員の皆さん、そして、これからこの樹林を利用してくださる東京第一教区の信徒の皆さんには、この2つを忘れずに、またこの2つの原則を大切に守り、そして多くの利用者にお伝えくださるよう、この場を借りてお願い申し上げます。 谷口 雅宣



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<講評>


@ 三代目・マサノブ君の教団運営方針は、宗教本来の使命である衆生救済(病悩苦からの救済)活動には眼もくれず、その使命を完全放棄し、もっぱら人間至上主義によって奪われた自然(樹木・動物・昆虫類中心)の回復オンリー活動に特化したと云うことであります。それもマサノブ君が教団内の絶対的独裁権力を持って信徒の意思を無視して強行突破して行って居るのであります。つまり、マサノブ君は自分だけの個人的趣味を満足させる方向で、意識して公の存在である「生長の家」教団の私物運営を図り、脱・宗教、脱・信仰を目指しているのである事を、今回の発表文を読んで、全信徒が改めて認識しなければならないのであります。このあまりにも大きな“公私混同”行為は全信徒が追及して行かねばならないことであります。


A マサノブ君には、信徒の浄財を自己決済だけでこの様な「樹林」造りに費やす権限など無いのであります。「いのちの樹林」と美辞麗句的な格好を付けておりますが、この甘い言葉の響きに騙されてはならないのであります。総裁としての信徒に対する背任行為という外はないのであります。マサノブ君のみならず、イソベ理事長・ユキシマ副理事長・オオツカ参議長以下の全理事参議諸君たちは、全員が超高給というニンジンのために宗教者としての魂を売り、自己保身のために完全なイエスマンに成り下がってしまい、神の子の本性に逆らって欺瞞人生を送り、全然恥じていないのであります。


B マサノブ君の美辞麗句に迷わされた個人的趣味の遂行のために、信徒は「聖使命会費」その他の浄財を奉納しているのではないのです。「生長の家」立教の使命と目的は、「個人の成仏(救済=實相顕現)」と「国家の成仏(救済=實相顕現)」であったのでした。これは、時代が如何に変ろうとも今も生きており、時代もそれを求めて居るのであります。これは、「生長の家」しか出来ないことであります。それは世界史上最高の「唯神實相哲学」に基づくものであるからであります。たとえ自称であれ、「法燈継承者」を名乗る限りは、この「生長の家」立教の使命と目的を正しく継承しなければならない。継承したくなければ教団から退去すべきであります。マサノブ君はこの義務を放棄したのみならず、マサノブ君は『御教え』の中味を、時代即応という理屈を付けて、“左翼唯物現象論”に入れ替え、左翼的宗教に変色したのでありますから、現在「聖使命会費」を奉納している信徒のみならず、今は組織から脱退しているが過去においてが莫大な額の「聖使命会費」を長年収め続けていた信徒も、マサノブ君の巨大な背任行為に対しては大いに抗議する資格を有していることは当然なことであります。


C 「生長の家」立教の使命と目的からすれば、「自然公園」造り等は第一順位の宗教活動ではありません。マサノブ君の個人的趣味に過ぎないのであります。この様な個人的趣味の達成と自己満足の為だけに、「聖使命会費」等の信徒の浄財は使うことは完全に間違って居るのであります。現代日本は、“平成の元寇”という共産中国の侵略に晒されています。現代の日本社会の混乱も各方面において混乱と悲惨さが充満しておりますが、これ等の根因は「占領憲法」による戦後70年を越す自虐史観教育・戦争贖罪意識・物主心従と肉主霊従の過度の権利主張意識の蔓延によるものであります。この戦後体制(レジーム)からの離脱の為には、心主物従・霊主肉従の価値観に基ずく真理国家建設を目指す「憲法改正」を実現する事が第一であります。この点に関しては、マサノブ君は全く関心ナシであります。むしろ、彼は現憲法を護持して共産中国の属国・領土編入を心秘かに望んでいることは確かであります。だから、彼は「生長の家」解体と『御教え』の抹殺を着実に進めながら、その効果を考えるならば「ママゴト」遊びのような環境回復運動を信徒の浄財を元に進めて、優雅に宗教貴族生活を送って居るのであります。


D マサノブ君は、また殊勝にも「幸福とは、自他の一体感を得るときに訪れる、と私は考えます。」と説教しています。更に彼は、「昔から世界中で立派な庭園が造られてきましたが、それらは洋の東西を問わず、ほとんど支配者や権力者の手によって造られたもので、一般庶民の生活とは無縁でした。なぜなら、そういう庭園は人間の欲望追究の延長線上に造られたからです。私たちは、そういう庭園や公園を造ったのではありません。」とも行っておりますが、よくもこの様な言行不一致なことを言えたものです。義兄実弟を追い出し、原理主義者として意に沿わぬ幾多の本部講師を退職に追いつめ、何が自他一体なのでしょうか? 偉そうに「自他一体」など言えた義理ではないのであります。更に、今までの立派な庭園は権力者の欲望追及のために造られてきたもので、庶民とは無縁のものであったと、これまた殊勝なことを行っておりますが、今回の「いのちの樹林」は、信徒の意見など一切聴かずに、マサノブという独裁権力者の趣味と欲望追及のために造られたもので、一般信徒とは無縁のものである事は、これまた明らかなことであります。如何にそれらしき理屈付けをマサノブ君が付け足したとしても、彼のこれまでの実績と悪(ワル)の性格を考えれば判ることであります。


E 宗教家ならば、「いのちの樹林」造りなどよりも、「いのちの霊的進化」の方を説かねばならないのであります。マサノブ君は「霊的緑地」と言う名前を考えたらしいのですが、彼は“霊的”なものと考え方と言葉が嫌いなため、「いのちの樹林」としたのでありましょうが、完全な唯物的発想であります。
マサノブ君は、霊的なことが分らないのでありますから、「人間地上誕生の意義と目的」及び「人間の魂の輪廻転生の意義と目的」が「個生命の霊的進化向上=實相顕現」にあるという理解には達していないのであります。本当に彼は霊的には幼稚そのものであり、無能力者であります。霊的理解力を欠く総裁なんて「生長の家」総裁の椅子に座るべきではないのであります。腰巾着の茶坊主であるに過ぎない理事参議も同然であります。全信徒の力で追放されて然るべきであります。かくして、今回の「枯れ松模様」の投稿文に於いても、マサノブ君の総裁としての不適正さと霊的音痴さが従来にも増して明らかになったのであります。





自他一体を説きながら他の批判ばかり (5843)
日時:2014年12月12日 (金) 23時11分
名前:不動明王

今更唯物思想での発想で箱庭を作って自慢する。

日本中の神社や仏閣は大昔から大自然の樹林に囲まれ、一般の人々の憩いの場となっているではないか。

明治神宮の樹林は人工的ですか?権力者の象徴でしょうか。
恐れ多くも皇居もそうです。

伊勢神宮の神域を歩くとそれこそ命を感じます。

昭和34年伊勢湾台風でその大木が倒れました、谷口雅春大聖師は全国の信徒に「魂のふるさと伊勢皇大神宮復興奉仕錬成会」の実施を号令されました。そして樹木を復興したのです。(伊勢皇大~宮からは感謝をされました)

それは自然云々の小さな事ではなかった、御皇室の安泰と日本国の實相顕現の為、特に青年会、高校生連盟が立ちあがったのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
え、「生長の家赤坂“いのちの樹林”」て、それよりも大規模なんでしょうか??

雅宣さんの話は街角にある児童公園と比べての話なんですね・・・・

しかし児童公園は権力者のものでもないですがね・・・・

とにかく雅宣さんの言う事は訳解りませんなー・・・・・



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