生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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「マサノブ教団」最高役員・教区五者・本部一般職員の必読の書!!−−−「生長の家、マサノブ(自称)総裁の暗黒30年史」 (5879)
日時:2014年12月16日 (火) 11時41分
名前:公平なる観察者



「光明掲示板」依り転載させて頂きます。



<生長の家・30年の暗黒史>(改訂版) (2296)
日時:2014年12月12日 (金) 19時34分
名前:破邪顕正


<生長の家・30年の暗黒史>

○昭和58年…「生政連」解散(活動停止)(総裁は、当時、生長の家理事)

○昭和59年…「日本を守る国民会議」脱退

※愛国運動からの事実上の撤退!谷口雅春先生はその前身である「日本を守る会」の結成において「生長の家の一つや二つ潰れてもかまわない」とまで仰いました。

生長の家は祖国・日本のためにこそあるとの尊師のご覚悟を垣間見る思いが致します。

○昭和60年6月17日…谷口雅春先生ご昇天
          「實相無相光明宮大真理説授正思惟大聖師」

○昭和60年…青年局(青年会中央部)解体

※谷口雅春先生の教えに純粋に生きようとして青年会運動を牽引していた当時の青年会長等が次から次と処分を受け、青年局が解体される。

これ以降、青年会組織はみるみる弱体化していくこととなります。

○平成元年…「両軸体制」のスタート

※このときに、谷口雅宣・広報編集部長(当時)は、「神誌」という呼称を否定し「普及誌」とします。

「普及誌」には、谷口雅春先生のご文章が殆ど掲載されないということになりました。

ここに谷口雅春先生否定の萌芽を見ることができます。

○平成2年…『理想世界』誌上に「ネットワーク考」を連載
      大東亜戦争侵略論を展開(11月、副総裁になる)

○平成3年…「宇治盂蘭盆供養大祭精霊招魂神社大祭祝詞」の書き換え

※『聖霊天降る宇治』の巻末には「祝詞集」が収められています。

その217頁の「尽忠の精霊に告ぐる詞」と219頁の「精霊招魂神社大祭祝詞」とを読み比べると、両者の違いがはっきりとわかります。

そこには、谷口雅春先生と谷口雅宣総裁との「大東亜戦争観」の遠いが如実に示されています。

即ち、後者には、大東亜戦争における日本の使命、役割が見事に剥落しているのです。

意図的に削除されたとしか言いようの無い重要な文言を前者から抜き出すことにします。

「…今や人類進化の一周期の終りにのぞみすべての人類は その皮膚の色彩の相異にかかわることなく平等の尊厳を恢復し平等の取扱いを受け その国土は独立し万民平等の自由が確保せらるべき理想実現の時期が近づきたりしがこの理想実現のためには 何れの国の民族かが尊き犠牲となって有色人種に“神の子”の実相を自覚せしめその独立精神を喚起せしめる天使たるの役割を演ずる必要ありしなり…」

谷口雅春先生は、ここにおいて、はっきりと大東亜戦争における日本の役割を「天使たるの役割」と仰せられたのです。

ところが、谷口雅宣総裁は、この箇所が気に入らなかったのか、全部、削除しています。

大東亜戦争を“侵略戦争”と位置づける谷口雅宣総裁にしてみれば、それはとても容認できることではなかったのです。

こうして、祝詞は改竄されてしまいました。

そして、それを知られたくないと思ったのか、その証拠を抹殺するために、谷口雅宣総裁はこの「祝詞集」が収められた『聖霊天降る宇治』を絶版に処したのです。

○平成4年…谷口雅春先生『新刊書』の発行停止、既刊書重版停止
     (「内容上の理由」32点…事実上の絶版)

※平成4年7月15日、渋谷東急インでの取締役会(中島省治、鈴木卓朗、宮本三男、永井光延、辻信行、谷口雅宣、三浦晃太郎、磯部和男の8名)

この「取締役会」で暗躍したのが、言うまでも無く、「谷口雅宣、三浦晃太郎、磯部和男」の3氏であります。

「日本教文社」の社外取締役でしかない3氏が、裏で示し合わせて、谷口雅春先生の『新刊書』の停止へともっていったのです。

そのときに言われたのがこの言葉です。

“谷口雅春先生の『聖典』はもう古い”

この会議に谷口雅宣総裁がいなかったら、絶対に、この決定はありえないはずのものでありました。

つまり、今から思えば、このときに、「日本教文社」は、この社外取締役3氏によって乗っ取られ、骨抜きにされ、魂までをも奪われてしまい、その社会的使命を終えたのです。

※ご存知のように、谷口雅春先生は毎月、『神誌』に数多くの原稿を書いておられました。

それらを編集して、様々な『聖典』が発刊されてきたわけですが、それでも未収録のお原稿がまだまだたくさん残っております。

ある人に言わせれば、それらを編集すれば優に100冊を超える新刊書が可能だといいます。

だからこそ、この決定を見る前には、理事会で毎年、谷口雅春先生の新刊書を数冊、出版していくということが決まっていたのです。

それをしも、このような強引な手法、強権発動によって新刊書を出さないという決定へともっていったのです。

それを誤魔化す意図があったのでしょう、今では、谷口雅春先生の既刊書のリニューアルという形態にして、谷口雅春先生の『聖典』を出版しているというポーズだけはとっているということなのです。

※絶版処分の本当、本音の理由とは?

@大東亜戦争を肯定する内容の『聖典』は絶版に

その代表とも言うべき聖典が『神ひとに語り給ふ』です。

この聖典は、「はしがき」に『本書は生長の家発祥以来の神示のうちの教への中心となるもののみをあつめて「教の巻」としたのであり』とあるように、生長の家の教義を知る者にとって、決して外せないものの一つであるはずです。

そもそも、生長の家の教えの代名詞ともいうべき「大調和の神示」についての講義もまたここに収録されているのですから。

ところが、この聖典すらも絶版処分の憂き目にあってしまいました。

本書の中に「大東亜戦争の意義」と題して次のように記されているからです。

「私は別に戦争を謳歌するといふわけぢやないのですけれども、起るべくして起つてゐるものを、日本民族の侵略だと言ふのは間違なのであります。」(294頁)

これが「侵略論」を採る谷口雅宣総裁には看過し得なかったということなのです。

たとえ「神示」であろうとも、自分の考え、思想に合わない、不適切と判断されたものは世には出さない、それが谷口雅宣総裁の方針だということです。

自分の考え、思想が「神示」に優先する。

そういう考えが、今日の「ご祭神」の変更にまで及んでいると私は見ています。

A「占領憲法」を批判した『聖典』は絶版に

谷口雅宣総裁が、「占領憲法」を擁護する、所謂“護憲派”であることが明確になりましが、それは本部に乗り込んできたときからの一貫したものでした。

それゆえに、谷口雅春先生の「占領憲法」を批判する『聖典』も絶版とされました。

B「生長の家」の歴史を覗わせるものも絶版に

革命家がまず為すことは「歴史」を封印することから始まるといいますが、谷口雅宣総裁も同様のことをやりました。

それが端的に表れているのが、生長の家の30年史、40年史、50年史の絶版です。

更に、谷口雅宣総裁は、『明窓浄机』まで絶版にし、あまつさえ、昭和35年以降の『明窓浄机』の出版を止めてしまいました。

これについては、当時、日本教文社社長であった中島省治代表の証言がありますから、これは間違いのない事実であります。

昭和35年と言えば、日米安保で日本が大きく揺れた時代であり、それ以降、谷口雅春先生の愛国の至情あふるるご発言がどんどん発表されていきます。

谷口雅宣総裁は、そういうものが発表されることを悉く嫌ったのだと思われます。

C自分を脅かす存在を排除するために

絶版聖典の一覧表で、異彩を放っているのが、『奇蹟を生ずる実相哲学(下)』であります。

つまり、その上巻は発刊されているのに下巻だけは絶版にされている…。

その理由は、下巻の「はしがき」に、谷口雅春先生が、宮澤潔先生と「朝の神想観を倶にすることにした」と書いておられるからであります。

谷口雅春先生から直に指導を仰いだことのない谷口雅宣総裁にとって、これは実に都合の悪い話だったということなのです。
 
○平成5年…「国際平和信仰運動」を提唱

※これ以降、「日本国実相顕現運動」という言葉が事実上、消えてしまいます。

その際のスローガンが“国をこえ、民族をこえて”であります。

○平成7年…「国際平和信仰運動」のシンボルマークとして
      “鳩葉っぱ”のマークが制定

※「聖旗」の“光輪卍十字架”のマークが「ナチス」を連想させるという名の下に、これが制定されました。

○平成11年…谷口雅宣氏総裁代行

※谷口雅春先生を心から慕う信徒を「原理主義者」としてレッテル貼りし、そういう幹部・信徒がどんどん左遷されるようになります。

○平成12年…ISO14001取得の提唱

※ここから、環境保護運動一本への傾向が強まります。

○平成13年…「参議制度」が新設

※この規約改正によって、谷口雅宣総裁が金も人事も握る権力を有することになります(教団完全支配)。

この制度がどんな経緯で誕生したのかを解説しておきます。

話は、平成12年5月2日に遡ります。

ここで、谷口雅宣総裁は自分の意向に添った理事の選出を図ります。

ところが、教化部長の多数決により、総裁の意中の人物の殆どが落選します。

これに腹を立てた谷口雅宣総裁は、自らの意向がストレートに反映する機構改編に着手します。

それが「参議制度」の導入でありました。

この「参議制度」というのは、分かりやすくその本質を指摘すると、教化部長の多数決を経ないで、自分の意のままに参議として任命できるという制度です。

しかも、それを「最高首脳者会」として生長の家の意思決定機関とし、ここで教化部長の任免の決定権を持つということにしたのです。

これが通れば、谷口雅宣総裁に反対を唱える理事及び教化部長は徹底的に排除され、イエスマンのみを本部の役職者とすることが可能となります。

平成13年11月20日、志ある教化部長が立ち上がり、公然とこれに反旗を翻しました。

その結果、この案は、継続審議となります。

この結果にまた腹を立てた谷口雅宣総裁は、平成14年1月の教化部長の定期異動において、反対した教化部長の多くを左遷、及び更迭します。

この報復人事を目の当たりにした教化部長は、平成14年1月22日、雪崩を打って、賛成する側に廻ります。

これで勝負あり。

以降、この「参議制度」の導入により、谷口雅宣総裁の独裁権限が大手を振って罷り通ることとなっていくのです。

金も人事権も握られたら、谷口雅宣総裁に抵抗することはもはや不可能です。

平成13年から14年にかけてが、生長の家教団が大きく変質する、その一つの大きな転機であったということができます。

○平成15年…“森の中のオフィス”構想の発表

※このとき谷口清超先生は原宿の本部を移転することはまかりならんと言われたと言います。

○平成16年…「新教育者連盟(新教連)」を教団から切り離す

○平成18年…総本山の「鎮護国家特別誓願券」の書き換え

※「鎮護国家」を外し「世界平和」が入ります。

その後、平成26年、総本山の手水舎の柱からも「鎮護国家」の文字が消され、「世界平和」に替えられます。

○平成19年…環境保護運動が本格化

○平成20年…「誌友会」のテーマが「絵手紙」「ノーミート料理」等カルチャー化が顕著に

※宗教本来の「魂の救済」が脇においやられ、環境問題ばかりが強調されるようになり、「誌友会」もカルチャー化の一途を辿るようになります。

○平成20年10月28日…谷口清超総裁先生ご昇天

※諡号に「大聖師」が入り「實相無相光明宮弘誓通達大慈意大聖師」。

「大聖師」は谷口雅春先生のみ、という谷口清超先生のお考えは無視されました。

※谷口清超先生のお通夜で、荒地浩靖先生、宮澤潔先生の出席が拒否される。

この時、お二人を出席させようとした谷口恵美子先生に対して、谷口雅宣総裁は「アンタ」呼ばわりする。

こののち、谷口恵美子先生は、子供や孫、友人の方と自由に会うことができなくなり、所謂、軟禁状態におかれます。

あまつさえ、毎月、家賃等で100万円(うち40万円は家政婦)を徴収されることとなります。

○平成21年…「朝日新聞」を推奨し、民主党支持を表明

※「産経新聞」に代わって「朝日新聞」を読むよう、信徒に薦めるとともに、「自民党」を猛烈に批判し、「民主党」支持を表明して、教団の左旋廻がいよいよ明らかになりました。

○平成22年…「四無量心を行ずる神想観」ニューバージョンの発表

○平成22年…宇治別格本山の盂蘭盆大祭での「霊牌」焼却をやめ、燻炭化

※「霊牌」のいわばミイラ化です。

CO2削減のためが表向きの理由でした。

○平成23年…「総本山は聖地ではない」と発言(谷口雅春先生26年祭にて)

○平成24年…『大自然讃歌』『観世音菩薩讃歌』を発行

※「聖経」を補強する必要があるということで創られます。

最初は、「聖経」に取って代わるものではないと言われていましたが、今では、どんどんこの「経本」の読誦が行われています。

○平成25年5月27日…『生命の實相』等の著作権裁判の最高裁判決において、教団側の完全敗訴が確定

※『生命の實相』、「聖経」等の著作権は「公益財団法人生長の家社会事業団」にあることが法的に確定いたしました。

これにより、教団は、『生命の實相』も「聖経」も失うこととなりました。

○平成25年…「ご神像」の撤去、“森の中のオフィス”へ移転

※「ご神像」は汚い毛布にくるまれクレーンでつりあげられ、作業員の土足にふみつけられました。

移転に祭し、教団は何の儀式も執り行いませんでした。

○平成25年…会則の変更

※「栄える会」の会則の目的から「本会は聖典『生命の實相』の精神を信奉し、―世界的視野に立つ有為な産業人の養成を図る」の部分を削除。

「教職員会」の会則の目的から『人間神の子の実相』『日本国の実相』『天皇の実相』を顕現し真に平和な世界の建設に寄与する」の部分を削除。

○平成25年…安倍首相の靖国参拝を批判

※中国・韓国の反発を招いたとして安倍首相の靖国神社参拝を猛烈に批判しました。

○平成26年2月…東京都知事選挙で、共産党が推薦した宇都宮候補を支持

※「日の丸」「君が代」に反対の共産党推薦候補を支持すると表明した総裁は、明らかにサヨクであることがこれで明らかになりました。

○平成26年3月1日…総本山で執り行われた「立教記念式典」において「実相額」が覆い隠される

※国旗「日の丸」も「聖旗」も掲げられず、国歌「君が代」の斉唱もなし。

ただ、壇上には「鳩葉っぱ」の旗のみ。

その上、顕齋殿が土足履きになりました。

○平成26年4月3日…「神武天皇陵遥拝式」後の「大日本神国観」が
         「基本的神想観」に変更

※総本山では、4月3日、この日に、神武天皇が崩御されたことをお偲びし「神武天皇陵遥拝式」を執り行います。

そして、その後は、「大日本神国観」を実修するということが長年の伝統でありました。

それが谷口雅春先生のご指示だったからです。

ところが平成26年から「基本的神想観」に変えられました。

○平成26年4月…谷口恵美子先生の高知への脱出

※谷口恵美子先生は「成年後見制度」を強要されて、通帳と実印とを取り上げられる。

そして、谷口恵美子先生は軟禁状態のお山から高知の宮澤先生ご夫妻の元へと脱出されます。

○平成26年5月…「原宿本部会館」の解体が始まる

○平成26年9月27日…「大調和の神示祭」が中止となる

※これにさかのぼること、5月より「神示祭」が廃止となりました。

この「神示祭」は谷口雅春先生のご指示により執り行われてきたもので、この廃止はまさしく谷口雅春先生のご意思を踏みにじるものであります。

○平成26年…「集団的自衛権」に反対を表明し、改めて「大東亜戦争」を否定し「占領憲法」を平和憲法として擁護する立場を鮮明に

※谷口雅春先生は「占領憲法」を一貫して批判してこられました。

しかし、谷口雅宣総裁はこれを擁護するとはっきりと表明しました。

谷口雅春先生の思想・信条とは全く相容れないのが谷口雅宣総裁であることが、これで明らかとなりました。

○平成26年11月21日…総本山の「ご祭神」が変更になる

※「ご祭神」が、「住吉大神」のほかに「天之御中主神」「高御産巣日神」「神産巣日神」が加えられました。

これは、明らかに谷口雅春先生の「教え」に反するものであります。

昭和15年4月、「宗教結社生長の家」が生れた際、本尊について、次のように「奉齋主神」が明記されます。

>道場又は集会室に特に顕斎せる主斎神又は安置仏なし。

心に幽斎する主神としては宇宙大生命(その幽の幽なる神として天之御中主神、幽なる神として天照大御神、現人神として天皇)を礼拝す。

宇宙大生命は宏大無辺にしてその仁徳一切に及び一切を包容するが故に、各自は祖先伝来の宗教を信じ又は自宅にて如何なる斎神又は安置仏を奉ずるも差支えなし。

宇宙大生命の道を顕揚し、日本国威を発揚し、皇威を顕揚する。

道(みちびき)の神として心に幽斎する副神として生長の家大神(古事記、日本書紀に顕れたる住吉大神即ち後に塩椎神(しおつちのかみ)、仏典に顕れたる釈迦観世音菩薩及びその応化仏、基督(キリスト)教の黙示録第一章に顕れたる七つの燈台の点燈者を礼拝す。

宇宙大生命は宇宙生命の根本実相にして、宗教に偏らざる哲学的表現を用ふれば「生命の実相」なり。

この意味に道場又は集会室に、「生命の実相」又は単に「実相」の掛軸を掲出する事あり。<

これについての解説が、谷口雅春先生著『神の真義とその理解』(102〜103頁)に記されています。

>さて吾々生長の家の団体では、心に宇宙大生命(みおやのかみ)を祭るのであります。

その宇宙大生命と云う文字の下に括弧して、「(ソノ幽之幽ナル神トシテ天之御中主神、幽ナル神トシテ天照皇大神、現人神トシテ天皇)ヲ礼拝ス」と書いてありますが、「幽」とは「幽玄」の意味であって、現象の幽(おく)の幽(おく)にましますところの大実在として、日本の称名(よびな)を以てすれば天之御中主神と申上げる大神であります。

…天之御中主神は斯くの如く、幽(おく)の幽(おく)の大実在であられますが、この宇宙の大神が、依然として幽玄にましまして、吾等の思慮の及ぶところではございませんが、幽之幽なる天之御中主神よりも一段ハッキリと、『日本書記』に録されたる通りの「光華明彩六合(ひかりうるわしくりくごう)に照徹れる」神として顕現あそばされたのが天照大御神であらせられ、更にその天照大御神様が御肉体を以て現人神として現われていらせられる神様として天皇を礼拝する―これが生長の家誌友が心に主斎する神様でございまして、御宮のような眼に見える形で御祭りするのではありませんから幽斎と申すのであります。

即ち吾々は天皇様を宇宙大生命の全徳の御顕現としてそのまま現人神として拝し奉るのであります。

歴代の皇霊に対して尊崇を捧げるのも同じ意味であります。<

ここに「御宮のような眼に見える形で御祭りするのではありませんから幽斎と申すのであります」とありますように、「御宮」の「御祭神」にはなじまないのが、「天之御中主神」なのであります。

さて、このことの重大さを知るためには、なぜ、谷口雅春先生が総本山をご造営になさったのかを知らなければなりません。

当時、総本山のご造営に、信仰的な面から反対の声があがりました。

「神示」に「吾れに神殿は不要である」とあったからであります。

それに対して、谷口雅春先生はどうお答えになられたか。

>宇宙創造の大神は、神示に、「われに神殿は不要である」と仰せられているのである。

絶対者にまします大神にとっては神殿は不要であるが、住吉大神と名を示して個別的にあらわれ給うた神については又別の相対的意義があるのでありまして、信仰心の集中の一点として、崇敬の心を散乱せしめないためには神殿が必要なのであります。

しかし神殿に奉斉する御神体は偶像ではないのであって、護国の神剣≠もって御神体とするのであります。

(『生長の家』誌 昭和53年11月号 45頁)<

このお言葉に照らして考えてみるに、谷口雅宣総裁が今回やったことは、「ソノ幽之幽ナル神トシテ」の天之御中主神を、「住吉大神と名を示して個別的にあらわれ給うた神」と同列に扱うということを意味します。

「絶対者にまします大神」を勝手に「個別的にあらわれ給うた神」にしてしまう。

こういうのを神をも恐れぬ所業というのではないでしょうか。


[まとめ]

以上、この30年を俯瞰すれば、谷口雅宣総裁は谷口雅春先生の「生長の家」を解体するために、そして自分の色(サヨク)に染め替えるために、教団に乗り込んできたことが明らかになるだろうと思います。

この歴史を踏まえて、今後、どう行動すべきか、信徒一人ひとりに、ぜひお考えいただきたいと思う次第です。




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生長の家・30年の暗黒史に追加して頂きたい事項 (2308)
日時:2014年12月13日 (土) 08時43分
名前:亀の子


いつも貴重な情報を提供していただき、ありがとうございます。

さて、<生長の家・30年の暗黒史>も改訂版まで出していただきましたが、前々から気になっていることがあります。

それは、平成15年の教修会に於ける自称法燈継承の発表と光明化運動現象論、妹尾長老による大東亜戦争侵略論のダメ押し、純子先生のよる百万運動否定、「今の教え」・・・。

といういずれも「生長の家」にとっては、重要事項のものばかり。

平成15年の本部講師(補)対象の教修会は大きなターニングポイントであったと思っています。

是非、付け加えて欲しい事項です。

合掌





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『台湾人と日本精神』の発刊中止 (2311)
日時:2014年12月13日 (土) 10時33分
名前:山ちゃん1952

蔡焜燦先生 『台湾人と日本精神』の発刊中止は日本教文社というより当時副総裁として、日本教文社の理事として販売中止として強権を発動した。
これはまさしく平成4年の雅春先生の新刊の発禁と更に焚書の手始めである。これから更に焚書は聖典とよばれるところまで及ぶ。
傍若無人ぶりは宗教家としての恥である。
これも是非付け加えて下さい。


平成13年3月7日発売中止、その後裁判となり、和解とされるが、内容は日本教文社の敗訴である。

それと教えて欲しいのですが愛国書というのはいつごろから発刊されなくなったのでしょうか?
これも生長の家を似非教団と宣言した年だと思います。





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こんな提案は無視ですか? (2317)
日時:2014年12月13日 (土) 20時48分
名前:転載


>>平成13年11月20日、志ある教化部長が立ち上がり、公然とこれに反旗を翻しました。
その結果、この案は、継続審議となります。

この結果にまた腹を立てた谷口雅宣総裁は、平成14年1月の教化部長の定期異動において、反対した教化部長の多くを左遷、及び更迭します。

この報復人事を目の当たりにした教化部長は、平成14年1月22日、雪崩を打って、賛成する側に廻ります。

これで勝負あり。

以降、この「参議制度」の導入により、谷口雅宣総裁の独裁権限が大手を振って罷り通ることとなっていくのです。

金も人事権も握られたら、谷口雅宣総裁に歯向かうことはもはや不可能です。

平成13年から14年にかけてが、一つの大きな転機であったことがこれでご理解いただけると思います。


破邪顕正さんへの提案 (2142)
日時:2014年12月04日 (木) 10時42分
名前:元職員
忘れかけていた忌まわしい暗黒史?をまとめていただきありがとうございます。

さらに具体的に幹部信徒の皆様に判りやすくするために、雅宣総裁(代行含め)により左遷・更迭された理事や教化部長の名も書かれたらいかがですか。

宮澤先生をはじめとして、森田・安東先生。その後松下・荒地先生 谷口貴康先生などがどの時点で左遷・更迭されたのかが分かるとはっきり関係者の皆さんや信徒に判るのではないでしょうか。




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どんどん追加してください… (2334)
日時:2014年12月14日 (日) 19時09分
名前:破邪顕正


ご意見、誠にありがとうございます。

もとより、私の観点だけで30年を網羅できるとは到底、考えておりませんし、また私がその任にあるとも思いません。

今回、30年史をまとめようと思ったのは、私の自論であった谷口雅宣総裁“確信犯論”を広く知っていただきたいと思ったからにほかなりません。

私が、何故、総裁追い出し論に与しなかったか。

何故、“八ヶ岳教団”の受け皿こそが急務だと言い続けてきたのか。

そのことを知っていただきたかったからです。

私にとっての問題意識は、“八ヶ岳教団”から脱会する信徒の受け皿をどう構築するか、そこにしかありません。

“八ヶ岳教団”の事実を知らすこと、歴史的視野でその今をとらえること、そうすることこそが、最も脱会への道を切り開く上で有効であるという思いで、まとめさせていただいたものであります。

この30年史をたたき台として、より精緻な30年史が作成できればと願っております。

諸賢の更なるご意見を心より仰ぐ次第であります。




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<「新・本流復活掲示板」より転載>


マサノブ(自称)総裁の平成11年の退職と復職は、全権力奪取のための自作自演劇であったのだ! (5693)

日時:2014年11月20日 (木) 10時54分
名前:元・相愛会連合会長T


マサノブ(自称)総裁は、平成11年に「副総裁」を辞任退職した。しかし、これは、『生長の家』の全権力を奪取するための巧妙な“復職”を前提として仕組んだ彼独特の深き陰謀であった、――
(尚、このとき支給された破格の退職金は復職に際して返還されていない、未だに“ポッポ内々”と聞く)




<「本流宣言掲示版」より転載>

http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen

雅宣氏の陰謀NEW (10024)

日時:2012年06月06日 (水) 23時34分
名前:蒼穹


雅宣氏の現在の独裁カルト的教団は雅宣氏が仕立てたものだ、副総裁時代に本部を退職すると駄々をこね。

周囲が慌てて事を収めた、雅宣の計算通りとなったのだ。
その陰謀の始まりは次の退職通知を全国教化部長宛に出した事に始まる。

全国の教化部長に出せば大騒ぎになる事を計算している。

素直に退職するので有れば本部内で言うだけで良いはず、むしろ教団の事を考えるのであれば、大事にしないで静かに去れば良かったのです。

さてその脅しの文章を四回に分けて掲載致します。怪文書ではありません、雅宣氏の名前入りです。


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>> 全国の教化部長の皆様へ:(FAXの全文)

平成11年度の講習会がいよいよ始まりました。出足は「一勝一負」という感じですが、新年度の運動方針で決められたように、講習会の受講者は前年度対比ではなく「基準数対比」を全面に出すことになったようです。

「ようです」などと他人事のような書き方をしましたが、この「基準数」についての考え方(なぜこれを採用し、今後どう運動するのか)講習会推進運動の光明化運動全体における位置(比重)、講習会に代わって何を運動の中心とするか等々の問題か、皆様 の参加した拡大最高首脳会議でも生長の家代表者会議どもほとんど議論されなかったのは、誠に残念なことです。理事長を初めとする理事の先生方には、こういう重要なことが明らかなのかもしれませんが、私には少しも明らかでないため、教区に於いて熱意をもつて無償で運動して下さっている幹部信徒の皆様が集まる幹部会で、私は本年度の運動に関して何を言っていいのか分かりません。

こんなことを書くと、皆様には不思議な感じがすると思います。副総裁は、教団の組織運動について知悉しており、しかも指導する立場にあるのだから、運動の今後について教区の人達を励ますことなどたやすいことではないのか? こう考える人も多いのではないでしょうか。ところが、事実はそうではないことをみなさまに知っていただきたいのです。
昨年度の講習会での幹部会でも、私は「誌友会を充実して」とか「会員の増える運動を」など当たり前のことを言っていましたが、実は「こんな当たり前のことは」教化部長がいつでも言っていることだろうから、 何故私が改めて言うのか?」という疑問がいつも脳裏にありました。では、当たり前でない、もっと運動の細部にわたることを言うべきなのかと考えると、それは相・白・青の中央部の仕事と教化部長の仕事、さらにはそれらの役職を統括する理事長の仕事と重なってしまいます。そういえことを、地元の事情を詳しく知らない私が幹部会の席上で言うと、影響が大きいゆえに、本部の責任部課の仕事に干渉することになり、間違った発言をした場合には組織に混乱を起こす結果となります。
しかし、副総裁は、そういうことをすべて考慮に入れて、なおかつ運動の士気を鼓舞するような適切な指導をすべきだ、と皆様は思われるでしょうか?谷口雅春先生も谷口清超先生も別の形であれそうされたのだから、雅宣先生も同じようにすべきだ、と考える人も多いかもしれません。ところが、この人類光明化運動においては、雅春先生の時代とも清超先生の時代とも根本的に違う制度的な変化(革命?)が起こったので、私は前任の先生方と同じ事は最早出来ないと判断しています。いったい何が起こったというのでしょうか?

それは、オウム真理教の問題に端を発した宗教法人法改正により、平成8年9月に行われた規則・規約類の大幅改正です。この改正は、この教団に於いては何か“税金対策”のように考えられるフシがあり「税金を払わされるのはたまらないから、政府(というよりは文部省の役人)の言うことは何でもやれ」という感じで、改正案の説明を私はロクに受けず、理事会に於いてもロクに論議されずにスイスイと通過してしまいました。(これが偽らざる私の感想です)が、改正が行われたものを何度も読み直した私は、「これは、副総裁はあまり仕事をするな」という意味の改正だと理解せざるを得なかったのです。


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>>生長の家副総裁の職務について、以下の3つの変化がありました。

1.従来の理事会の機能を2つに分け、1つを宗教上の諸事項を決定する宗教上の機関として「理事会」という名で残し、新たに「責任役員会」を設けて、その他の宗教法人の(宗教上でない)事務を決定させるようにした、つまり、“聖俗分離”により、従来の理事会の機能は“聖”に属するもののみに縮小された。

2. 従来の理事会では、その決定事項は「総裁及び副総裁に1よる承認を得」ることが実施の条件となっていた(旧理事会内規第9条)が、この改正により、「総裁の委任」が無い限り副総裁の承認は不要となった。

3. 緊急事態に対応するために開かれる「持ち回り理事会」も、従来は「総裁及び副総裁の承認」がなければ開催出来ず、その事項も「総裁及び副総裁」の承認を経なければ実施に移せなかったが、この改正により、「総裁の承認」さえあれば開催も決定事項の実施もできるようになった。(旧理事会内規代6条の改正)

本部の意志決定機関としては、上で触れた理事会や責任役員会のほかに常任理事会と中央五者会がありますが、後の二つの機関の決定事項に関しては、従来から副総裁は何も関与していませんでした。ですから、この平成8年9月の変化により、副総裁が持っていた権限は大幅に縮小され、宗教上でない法人の事務(“俗”の領域)ばかりでなく宗教上の諸事項に関する(“聖”の領域の)理事会の決定事項にも、ほとんど(総裁の委任がないい限り)関与することができなくなったわけです。誤解のないために言っておきますが、副総裁ばかりではなく、生長の家総裁の権限も大幅に縮小されたのが、この改正です。

この大幅改正の後に、制度的に変わったと言えることが2点あります。一つは、平成10年1月17日から、生長の家教規10条の規定にもとづき、総裁先生の発意により、中央五者会の決定事項の「承認」の職務が副総裁に委任されたことで、もう一つは、同月28日に生長の家教規第21条が改正され「理事会には、総裁及び副総裁が出席して助言を行うことができる」ようになったこと(それまで1年以上も、制度的には総裁も副総裁も 理事会に出席出来なかった! )です。これら大幅改正の中心となった松下明理事によると、この「承認」や「助言」についても、法的にはややこしい制限がついているそうですから、結局のところ、現在の宗教法人「生長の家」の意志決定制度は、副総裁という立場の私の力はほとんど及ばない形になっています。

これに伴い、私が副総裁就任当時、副総裁のスタッフ部門として発足した「講習会企画室」も、いつのまにか私の手から離れて理事長の直属組織となりました。同じ頃、「副総裁」という私の立場の英語表記が「Vice President」から 「Honorary Vice President」に変更されました。英語で「Honorary」と言えば「名誉上の」とか「肩書きだけの」という意味であり、この語を正確な日本語に訳せば「名誉副総裁」であり、その場合は「無報酬の」とか「無給の」という意味も暗示しています。(研究社『新英和大辞典』)


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>>これらすべてのことは、理事会等の正式機関に於いて“慎重審議”の末に決定されたことです。この新しい制度の特徴を一言でいえば、それは「理事長の権限の大幅拡大」で、それとの比較上で総裁先生の権限は縮小し、副総裁の権限はほとんど何もなくなりました。「なぜそうなのか?」という理由を、私はいまだによく理解できないでいます、「税金対策のため」というのが、表向きの理由のようです。しかしこれって何かおかしくありませんか? 私は、生長の家は「中心帰一」を説くと思っていたのですが、これでは「税金対策を最重要とする」というように受け取れないでしょうか?

ふたたび誤解のないようにしておきたいのですが、私は何も「かつての権限を戻してほしい」とタダをこねているのではありません。もっと合理的に、納得のいくような説明をしてほしかったと言っているのです。また、このような大幅改正を行ったわけですから、当然、私の実際の仕事の中身にも影響が出てくるはずです。権限が縮小されれば当然、責任も減るはずです。権限のない領域での仕事はする必要がなくなるはずです。これは、別に悪い事ではありません。その空いた時間とエネルギーを、私は別の仕事に振り向ける事ができるからです。(仕事はいくらでもあります!)

新年度の開始にあたり、この考え方に則って私の従来の仕事を総点検してみたところ、講習会は生長の家教規第10条と第11条に定めた通りの副総裁の任務でありますが、その後に教区の幹部の方々とともに行ってきた幹部会は、どこにも規約上の定めがなく、また、地元の組織運動の細部にわたった指導を求められる場があるにもかかわらず、私の任務としてはそのような仕事の規定が明文化されていないので、これをやめることにしました。

ついでに申し上げますと、私は平成11年3月末日をもって宗教法人「生長の家」を退職致しました。その理由は、現行制度の下では、生長の家副総裁は悔いんでも職員でもなく、役員でも職員でもない者は宗教法人「生長の家」とは直接的な雇用関係が生じる考えをもっている場合は、採用されるはずがなく、また自分が信念をもてない方策は、責任有る立場の人間は採用してはいけないのです。何といっても、新しい制度下にあっては理事長に責任と権限があり、私には責任も権限もないのです。そして、この新体制は私以外のすべての理事皆様の総意にもとづくものでした。この冷厳な事実に気づいた時、私は自分の誤りを知りました。

私は“我”の意志で教団を動かそうとしてはいけないのだ、ということです。運動の方向を決定し、教団の運営を行うのは、副総裁ではなく「総裁先生と理事」の皆様 なのであって、私は「助言者」としてその脇に立っているだけで、先生に助言を求められた時にのみ何かを言えばいいのでした。そのような制度になっているのだから、そのように行動すべきなのです。そこで考えたことは、私は現在の新制度を定める諸規約に書かれたことことのみを行い、書かれていないことは原則として行わず、例外的には顧問弁護士の正式見解が肯定的である場合にのみこれを行う、ということです。


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>>新年度の開始にあたり、この考え方に則って私の従来の仕事を総点検してみたところ、講習会は生長の家教規第10条と第11条に定めた通りの副総裁の任務でありますが、その後に教区の幹部の方々とともに行ってきた幹部会は、どこにも規約上の定めがなく、また、地元の組織運動の細部にわたった指導を求められる場があるにもかかわらず、私の任務としてはそのような仕事の規定が明文化されていないうえ、運動の“俗”の部分も“聖”の部分も副総裁の任務から切り離した新制度の精神から考えてみると、相・白・青の組織運動に横車を押す危険性が大きく、また運動の実情に疎い副総裁が誤った指示を行う危険性もあるため、これをやめることにしました。

ではなぜ退職までする必要があったのか、と皆様は思うでしょうが? その理由はこの文章の最初に書いた通りです。つまり、現行の制度の下では、役員でも職員でもない者は宗教法人「生長の家」とは直接的な雇用関係が生じないからです。これを弁護士の若菜允子先生は、次のような言葉で表現されています:

「副総裁の宗教上の職務は、宗教上の教義・規範に拘束され、宗教上の最高位者である総裁の総櫝の下にありますが、法人との間では、高度の宗教的信頼関係に基づくものであって、支配従属関係にあるものではなく、また、法人に対して労務を提供するものでもありません。」

上の見解に私が賛成であると言っているのではありませんが、理事長や松下理事等の有力者が「唯一正しい見解」であるかの如くこれを扱っているため、今や法人の意志決定過程に関与しえない私は、そのような見解を甘んじて受け入れるほか仕方ないのです。この文の冒頭部で私が「不本意ではありますが」と書いたのは、そういう意味です。

今後、私に副総裁としての手当を支給するか否かは(あるいは法的に支給できるか否かは)、すべて理事・役員の皆様の判断に任されます。私としては今後、家族を含めた生活のこともありますから、また新たな道を模索してまいりたいと思います。

皆様、長い間、有り難うございました。

谷口雅宣  拝







「光明掲示板」より追加転載 (5916)
日時:2014年12月21日 (日) 09時49分
名前:公平なる観察者




なぜ、谷口雅宣総裁は日本教文社の社外取締役になったのか? (2374)
日時:2014年12月16日 (火) 11時50分
名前:破邪顕正


谷口雅宣総裁が谷口雅春先生の『聖典』を絶版にすること、またはその『新刊書』を発刊停止にすることに、どれだけの執念を燃やしたかは、日本教文社の社外取締役に就いたことがすべてを物語っています。

つまり、日本教文社を押さえ込みさえすれば、あとは何とでもなると思ったというわけです。

そして、念には念を入れて、生長の家理事会では、聖典の出版については、それまで審議事項として取り扱われていたのに、すべて報告事項に変えさせました。

審議事項にすれば、その出版について、理事からの様々な意見や注文があると考えたからです。

しかし、報告事項にしてしまえば、いろいろと言いたくても口出しできない。

株式会社である日本教文社が決定したことに、教団側から、異議を差し挟むことは筋が違うということになるからです。

敢えて、そこに狙いをつけて、谷口雅宣総裁は、日本教文社を自分の言いように操るために、社外取締役として入っていったということです。

何という狡猾さでありましょうか。

裏を返せば、それほどまでに谷口雅宣総裁は、谷口雅春先生の「教え」を破壊したかったということです。

谷口雅宣総裁を谷口雅春先生のお孫さまだと見ていては、事の本質を見誤ります。

30年の歴史を俯瞰してはじめて、谷口雅宣総裁の恐ろしいまでの本性が見えてくると私は思っております。

心ある信徒の皆様には、それをぜひご理解いただきたいと思うばかりです。





「亀の子」さんへ (2384)
日時:2014年12月17日 (水) 17時26分
名前:破邪顕正


貴重な投稿、誠にありがとうございました。

ご指摘の通り、この「教修会」は、その後の展開を見ても、決して看過されてはならない、極めて重大なポイントだと私も感じました。

そこで、次のように付記させていただきます。

○平成15年7月16日…教修会において“法燈”は既に継承されていたと発表

※本部講師(補)対象の教修会において、谷口雅宣総裁は、“法燈”は副総裁に指名された時点で既に継承されていたと発表します。

これ以降、“法燈”継承者である谷口雅宣総裁に「中心帰一せよ」という動きが顕著になっていきます。

また、「大東亜戦争侵略論」が教団の公式見解となったのもこの教修会でありました。




追加転載 (5959)
日時:2014年12月28日 (日) 11時00分
名前:公平なる観察者






「アンタ」という言葉は、常日頃からそう思っていないと出ては来ない… (2512)
日時:2014年12月26日 (金) 17時18分
名前:破邪顕正


「30年史」を振り返って、谷口雅宣総裁が如何なる人であるのか、その人間性≠フ一端を窺い知るのに決して看過しえないのがこれです。

>谷口清超先生のお通夜で、荒地浩靖先生、宮澤潔先生の出席が拒否される。

この時、お二人を出席させようとした谷口恵美子先生に対して、谷口雅宣総裁は「アンタ」呼ばわりする。<

どんなに自分の意向にそぐわない行動をとられたにせよ、自分の母親なのだから、普通は、「恵美子先生」とか「お母さん」とか「おふくろ」とか言いますよ。

ところが、谷口雅宣総裁は「アンタ」と言い放ったのです、これは驚くべきことです。

侮蔑に等しい言葉遣いだからです。

咄嗟にこれが出たということがまた重要だと私は思います。

谷口雅宣総裁の深層心理には、何か得も知れぬ「谷口家」への憎悪が蠢いているのではないのか?

私はそんな気がしてなりません。

谷口雅宣総裁が、教団に乗り込んでくるまでは、三代目≠襲ぐ気などさらさらなくて、自分の好きなように生きていたのは、そういう心理があったからではないのか。

そういう人を三代目≠ノしてしまった不幸…。

それは生長の家教団にとってもそうであるし、谷口雅宣総裁自身にとっても不幸であったのではないのか…。

私はそのように思っております。




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「山ちゃん1952」さんへ (2528)
日時:2014年12月27日 (土) 09時32分
名前:破邪顕正


返事が大幅に遅れて申し訳ありません。

ご提案にもとずき、次のように追加しておこうと思います。

○平成4年前後から…絶版リストの作成に基づき、次々と重版ストップに、計32点。

○平成4年…谷口雅春先生の『新刊書』停止

※それ以降、谷口雅春先生の新刊聖典の発行は無し。

例外1点として「谷口清超編纂『大聖師御講義「続々甘露の法雨」』」(平成5年)がありますが、それとても、わざわざ、谷口雅春先生の御講義であるにもかかわらず、「谷口清超編纂」としなければ発刊できませんでした。

○平成13年3月7日…蔡焜燦著『台湾人と日本精神』を「日本教文社」が一方的に回収する方針を出したことにより裁判に

※谷口雅宣総裁は親日派≠フ書物が気に入らないのです。

それは、平成26年、呉善花先生を生長の家栄える会の出講講師リストから突然、外したことにも顕れています。

親日派≠ナあることが理由で講師として呼ばれなくなるというところに、今の教団の本質があると言えます。





追加転載 (5978)
日時:2014年12月31日 (水) 18時03分
名前:公平なる観察者




全ての過ちの根源は、谷口雅宣総裁が条件をつけて乗り込んだことに… (2592)
日時:2014年12月30日 (火) 14時34分
名前:破邪顕正

「30年史」を俯瞰して思うことは、ただ一つ。

谷口雅宣総裁が教団に乗り込むにあたってつけた条件にあります。

“何でも自分の好きなようにやらせてもらう”

この条件を呑んだことが、その後の谷口雅宣総裁の横暴を許してしまった諸悪の因だと私は思っております。

そこで、「30年史」の一等最初に、この条件の話を掲げるべきではないのかと今、思っているところです。

それがなければ、なぜ、谷口雅宣総裁がこんなにもやり放題のことができたのか、創始者の谷口雅春先生のことをも否定するようなことができたのか、それが判然としないと思うからです。






批判されることを覚悟して言うのなら (5980)
日時:2014年12月31日 (水) 20時52分
名前:HONNE

生長の家の人は、お人好しなのです。
雅宣さんの「現実の人柄」より、「実相である神の子・人間」を信じたのでしょうね。人を見る目がなかったということなのでしょうね。無知だったということなのでしょうね。
かくいう私も、当初は雅宣さんに賛同しておりました。
雅春先生の教えと雅宣さんの言動との間に矛盾を確信するまでには、数年要しました。
でも、私は末端の者で、教団の意思決定の場にいた人たちは、師と呼ばれて当然の人たちだったのでしょう?
当時も何も言えない、いや、何を言っても通らない体制だったということでしょうか?
そのような欠陥のある組織を作ったのは、雅宣さんだけの責任じゃないですよね。

「文句のある者には関わるな。」
このような雰囲気は、本流側にもあります。



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