生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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何処も同じ、――独裁者の心理――マサノブ君もその一人! (5887)
日時:2014年12月17日 (水) 19時57分
名前:公平なる観察者



本日(12月17日)の産経新聞の第一面記事――“最後の晩餐”より・・・



<< 金正日は2011年12月16日・・・午後6時前に長女の金雪松宅に到着した・・・居間で短い休憩を取った後、娘と二人きりで食卓に着き、ワインを飲みながら真剣に何かを話していたとされる。控えてきた酒を飲んだ上、健康状態に合わせ、特別に処方された薬もこの日は服用しなかった。娘との会話で気分がすっかりよくなったのか、グラスを頻繁に口に運んでいたと伝えられる。「疲れたから少し休みたい」。午後7時ごろ、こう言い残し、寝室に入っていった。長女宅には父専用の寝室が用意されている。1時間ほど過ぎ、寝室から急を知らせるブザーが鳴り響いた。過去何度か急に倒れた経験から手の届くところにブザーを置くのが習慣になっていた。居間で歓談中だった雪松と彼女の10代の息子、担当医が駆けつけ、目にしたのは卒倒した最高指導者の姿。口から泡を吹き出していた。担当医はその場で心臓マッサージをしたが、意識は回復せず時刻は午後8時30分を回った。すぐさま平壌中心部から東へ約40キロの32号招待所に移送。敷地には競馬場や観覧席付きサッカー場までそろうがなにより世界最先端の医療設備も備えられていたからだ。だが、手の施しようはなく、日付が変わる前に死亡が確認された。ルーマニアのチャウシェスク、イラクのサダム・フセイン両大統領ら「独裁者」がたどった非業の死を何より恐れていたといわれる金正日。限られた人数にみとられた、ひっそりとした死は本望だったのだろうか。その死は一部関係者だけの胸に秘められ、公には人民の現場に向かう「野戦列車」での急病と書き換えられた。 >>



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常識では考えられぬ、最高責任者<総裁>自らが、自らの「生長の家」の完全解体と『御教え』の完全滅却を進める、――この巨大悪霊憑依の稀なる「独裁者」マサノブ君もまた、>> ルーマニアのチャウシェスク、イラクのサダム・フセイン両大統領ら「独裁者」がたどった非業の死を何より恐れている<< と言えるのではなかろうか? 洋の東西を問わず、「独裁者」の心理は同じであるのか???!!!






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