生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
トップページへ戻る
↓↓↓ 訪問者数 ↓↓↓
「雅宣教」(今の教え)の根本的間違い――それは、雅宣総裁が“現象”の立場に立って「今の教え」を構築していることである! <事例 3> (433) |
- 日時:2013年03月12日 (火) 22時38分
名前:画龍点睛
開祖・谷口雅春先生の『御教え』と「雅宣教」といわれる「今の教え」との根本的相違点は何処にあるのか? それは一言で言えば――
開祖・谷口雅春先生の『御教え』は、「實相」という観点から説かれているのであります。しかし、雅宣総裁は、講習会では生長の家の教えの基本は「唯神實相・唯心所現」とは概論としては説明しておりますが、個別的なことがらに関しては、實相の観点からではなく“現象”の観点から、“現象=実在”という理解の上に立って論じているのであります。この点が「雅宣教」(今の教え)の根本的誤謬であります。以下、個々の事例によってこのことを確認いたします。
///////////////////////////////////////////////////////////
<事例 3> “病気になれば病院へ行きなさい!”について
@ 雅宣総裁が講習会の質疑応答の時間に、「わたしは○○病ですが、どうしたら治るでしょうか?」という質問に対して「病気になったら病院へ行きなさい」と答え、多くの信徒からの顰蹙(ひんしゅく)を買いました。一対一の個人指導の時には、病院へ行って支払う治療費よりも生長の家の個人指導はタダだから安い、と思って来た人には、時折そのような答えは有益かも分かりませんが、講習会でこの様な質問が出されたときには、医療困難か、医療不治の病気を前提とした質問と解して答えてあげなければならないのではないでしょうか?
A 雅宣総裁がこの様な答え、すなわち『御教え』の真理から見て○○病の治療に対して的確に答えることができなかったのは、『生命の實相』を熟読していないために答がわからなかったためかも知れないのであります。あるいは、真理で病気が消える(治る)なんて現代医学から見ればタマタマの偶然にしか過ぎない。全てのケースで真理の理解と実践によって病気が治るはずなんてない!と思っているからであります。
B つまり、雅宣総裁は、目に見えて存在する病状は実際に在る(実在する)と肯定して、現代医学で治療するのが最高の手段と考えて「病院へ行きなさい」と回答をしているのであります。此処には『御教え』(實相)からという観点が全然ないのであり、雅宣総裁の最新刊の「生長の家ってどんな教え?」にも医界難治の病気に対する対処法等全然取り上げていない、だから「雅宣教ってどんな教え?」と皮肉られているのであります。このように雅宣総裁は、「生長の家」真理の最高指導者でありながら、病気と言う現象に対して唯物現象的手段で対しているのであります。地方講師・本部講師として信徒の病気指導など経験が全然ないのですから致し方のないことであります。
C では、實相の立場に立って病気と言うものを定義しその治療法は如何にすべきか、開祖・谷口雅春先生の時代には、毎年の宇治大祭の時の「詳密講習会」で詳しい講義があり、講師試験には必ず出題されていたのであります。實相の観点からは、病気とは「無」の別名であり本来なきものであります。だから、昔は信念ある指導者の「病気?そんなものはありません。迷いだ!」の 一喝によって病気が消えた人が大勢出たのであります。霊的機縁の熟した病人はこの實相直視の「病気なし!」の一喝で良いのですが、そこまでの機縁が熟していない普通の病人の指導に当ってはどうするか?
D 『生命の實相』第38巻P.174で開祖・谷口雅春先生が書かれています。先ず、病人に対する“同悲同苦”の想いを起こす。然る後に病人の本来病気無き神の子なる實相を諦視する。その時の必要に応じて心の法則に従った導きや懺悔の心境に導いて病気や罪無き實相諦視に導き、最後は神様に全託する心境へと導く。これが基本的なやり方であります。
E しかし、雅宣総裁はまたもや逆質問をしてきます。すなわち、そのように指導したとしてもその病人が死んでしまう場合だってある。それはどういうことなりや?と。これも『生命の實相』を読めばわかるのであります。“個生命の霊的進化(實相顕現)”という観点から説明すればよいわけです。人間地上誕生の意義と目的は、あくまでも霊魂としての個性命の霊的進化向上(無限段階の實相顕現)にあるわけですから、その階梯(梯子段)を登って行く過程に於ける試験問題がその人の今生において遭遇する病気その他の色々な人生問題であるわけであります。今生に於ける霊魂進化の課題が解決し合格した時には、この世を去って(肉体の死)霊界へ帰り、また次なる転生過程へ入って行く、このようにして個性命たる霊魂は無限の實相顕現のための進化を成し遂げていくのです。
F 雅宣総裁はこの様な『御教え』の基本すら解っていないのであって、自ら指導者としての指導責任を放棄し、責任を全面的に病院に転嫁しているのであります。雅宣総裁は本当に生長の家教義の臨床的応用指導ができないわけですから、『御教え』の最高指導者とは言えない、総裁の椅子から降りてもらわねばならないのであります。「総裁更迭!・総裁更迭!」であります。
-
|
|