生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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兵庫青年会員・日野智貴への「公開質問状」の回答が来ました・・・有為な高校生でありますが、完全にマサノブ君に洗脳されてしまっています。本来の『御教え』に覚醒されんことを祈る! (5994)
日時:2015年01月03日 (土) 16時11分
名前:画龍点睛




合掌ありがとうございます。
12月8日、私の投稿した兵庫青年会リーダーの日野智貴君への「公開質問状」に関する回答が彼のブログに掲載されました。ここに転載して感想を述べさせていただきます。



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一新派オンライン作家の高校生のブログ

オンライン作家の高校生のブログです。
国際平和信仰運動・自立再生社会建設運動も推進。
読書が趣味、生長の家信徒。反稲田朋美・反学ぶ会。


私への「公開質問状」について

2014-12-31 10:22:55
テーマ:ブログ

http://ameblo.jp/hinotomoki0411/entry-11971219063.html

私に対する「公開質問状」 なるものを、「自称・生長の家本流運動」の一部の方が掲示板に投稿されているのを、昨日確認した。こういったものは、真面目な信徒であれば中学生であっても騙されない内容であるが、『生命の実相』全巻を読んでおらず、さらに、谷口雅宣先生のご著書を一冊も読んでいない様な信徒――不勉強な信徒だけでなく、忙しくて勉強する暇がない信徒も含まれる――ならば、信じてしまうかもしれない、と言う程度の内容である。ネット上では「クレームは無視せよ」と言うのが常識になっており、私も彼らや子宮頸がん予防接種奨励派・堕胎容認派による誹謗中傷は基本的に無視する方針であるが、わざわざ「公開質問状」を出された以上、質問者の神の子であるという実相を礼拝しつつ、一回ぐらいはその質問について回答を行うことも愛の道ではないか、とも思った。従って、今回に限り、大晦日であることにも免じて、彼らによる十項目の質問に回答する。

@ 「生長の家・生命的国家論」について
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=snihonryuu&mode=res&log=2275
回答――『国のいのち 人のいのち』は、私も読みましたが、「国家は有機体である」ということは、日本のみならず世界の他の国にも当てはまる話であります。『大和の国の神事』を正しく読めば、「金波羅華天皇国日本の實相」が、現象の日本を指し示すわけではない、と言うことは明白です。

A 開祖・谷口雅春先生と三代目・雅宣総裁との「大東亜戦争観」の違いについて
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=snihonryuu&mode=res&log=1887
回答――国際法上、大東亜戦争が侵略戦争であることは明白です。『パリ不戦条約』以降、全ての国は「国家政策の手段としての戦争」を非としており、1932年に国際軍縮会議の安全保障委員会の多数が取り上げた以下の「侵略国」の定義として比較的完全なものとして認められております。
「侵略国」とは、次の行為の一つを最初に行った国家を言う。
一、他の国家に対して宣戦の布告を発した。
二、武力によって他国の領土へ侵入した。
三、同様に、他国の領土、船舶、飛行機等に襲撃した。
四、他国の海岸又は湾岸を、海軍によって封鎖した。
五、他国を侵略したる武装団を、非侵略国の要請にもかかわらず自国内において支援し、または保護若しくは援助を遮断するためのあらゆる手段を講じない。(兵藤二十八『『日本国憲法』廃棄論』47ページ)
谷口雅春先生も、現象としての大東亜戦争は「神の戦いでも聖戦でもない」(『生長の家』昭和二十一年四月号、二十四項)とされており、「日本は神国である」という「民族的迷信は本来は撥無しておかなければ」ならない(『生長の家』昭和五十八年十二月号、九十二項)と述べておられました。なので、現象としての大東亜戦争を「侵略戦争」と呼ぶのは、何ら問題はありません。

B 雅宣総裁に対する「重破門状」について
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=snihonryuu&mode=res&log=2021
回答――この文章は事実誤認をもとにして書かれています。一例をあげると「鎮護国家を捨て、「御斎神」を入れ替え」た事実は存在しておりません。また、最も重大な事実誤認は、「生長の家の大神――総裁・副総裁――御教え」という、生長の家信徒ならば誰でも知っている中心帰一の御教えを谷口雅宣先生の発案であるかのようにしていることです。そもそも、この文書は「開祖・谷口雅春先生の『御教え』を信奉する公称70万人の生長の家全信徒」の執筆とされていますが、生長の家には開祖は存在しないこと、正統な生長の家信徒の総数は『宗教年鑑』の調査によると58万人であることなどから、これが偽書であることは明白であり、よって回答いたしません。

C 三代目・雅宣総裁の「生長の家30年暗黒史」について
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=410
回答――生長家政治連合活動停止や、日本を守る国民会議からの撤退などを、谷口雅宣先生の判断とするなど、事実誤認が多すぎるため、回答いたしません。

D 三代目・雅宣総裁の「法燈継承」について
http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=2613
回答――私とこの方々とでは、「法灯継承」の定義が異なるようですので、回答いたしません。

E 「マサノブ教」ってどんな教え? について
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=snihonryuu&mode=res&log=2228
回答――谷口雅宣先生が「神啓の根本聖典『生命の實相』・聖経『甘露の法雨』を捨て」た事実は存在しません。司法ファッショの裁判官を含む守旧派権力による宗教弾圧によって、強制的に奪われたのであります。この文章は事実誤認をもとに書かれているため、回答いたしません。

F 貴君は、「生長の家社会事業団も、「生長の家本流運動」に参加し、『生命の実相』の著作権を主張、司法ファッショの裁判官の不当判決によって、生長の家から『生命の実相』の版権を奪いました。」と主張されています。貴君が、東京地裁・高裁・最高裁の審理を経て『生命の實相』の著作権が「生長の家社会事業団」にあり、と認められたことを“不当判決”というのであれば、その法的根拠について明確に具体的に答えて下さい。
回答――『日本国憲法』第20条の信教の自由に対する侵害であると考えます。

G 貴君は、「雅宣先生が愛国心を持たれていることは、よくわかっています」と言う現在の時点に於ける具体的根拠をお示し下さい。
回答――私がブログ等で「雅宣先生が愛国心を持たれていることは、よくわかっています」等と言う上から目線の文章を書いた記憶はございません。尚、私は決して左翼ではありませんが、中心帰一の御教えに基づき、仮に雅宣先生が「再び愛国運動を行いなさい」と言うのであればそれに従う所存でありますが、あくまで個人的見解としては、現段階で青少年相手に愛国心や日本の独自性を強調するような運動には反対です。

H 貴君は、雅宣総裁が真性保守の宗教家であるという根拠を具体的にあげて説明してください。
回答――「真性保守」と言う日本語は存在せず、文意不明瞭のため、回答は致しません。

I 貴君は、マサノブ総裁の環境運動を褒めておられますが、雅宣総裁のマニフェスト、即ち< “森の中のオフィス”でのワークスタイルやライフスタイルの様子をウェブサイトなどで公開し、生長の家の各拠点の職員や信徒が低炭素の生き方を実践できるように支援します。また、国内外の職員や信徒に向けて研修会を実施し、一般市民に向けての情報発信も行う>という一般市民レベルでのノウハウ作りが、既に一年以上経過するのに一向に進んでいない、マサノブ総裁のブログやフェースブックに掲載される自然との共生生活の内容は、高収入に恵まれた一部の人たちしか実践できぬものばかり、この宗教貴族といわれる環境運動に対するご見解をお答え下さい。
回答――生長の家では個人崇拝を教義とはしておらず、仮にご指摘のような運動方法の問題が存在していましても、『神を演じる前に』『足元から平和を』『今こそ自然から学ぼう』『次世代への決断』等々の著書においてなされた、地球環境問題と生命倫理問題に対する谷口雅宣先生の問題提起の正しさを覆すものとはならないことは明白であります。

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<感想>


日野智貴君、明けましてお芽出度うございます。
貴君の年末の上記回答文を読ませていただきました。貴君は、非常に頭脳優秀な方であると感じました。将来性ある青年の一人として大きく飛躍されますよう祈念申し上げます。願わくば、「生長の家」信徒としては、本当の悟りの世界へ霊的向上飛躍をされますことを願っております。今の貴君に望むのは無理ですが、現状の貴君の頭脳明晰さは、肉体頭脳のことで信仰や霊的真理への求道の道を進むには却って障害となるかも知れません。その好例はマサノブ君であり、貴君の文章から感じる波動はマサノブ君の文章から発している波動と類似のものなのです。学者や評論家の波動であって、真剣な求道者の波動は感じられないのです。貴君の現在の思考は現象唯物的思考です。マサノブ君と同じです。このことに関しては、最後の<総括>のところでも述べることとして、次に、今回の貴君の回答内容に関して、わたしの感想を各項目ごとに述べることにいたします。



@、「生長の家・生命的国家論」について

<「金波羅華天皇国日本の實相」は現象の日本を指すのではない>――貴君の思考は此処で止まっているのですよ。このままでは、単なる“評論家”にしか過ぎないのですよ。生長の家信徒として肝心なことが判っていないのですよ。「金波羅華天皇国日本」というのは實相世界の理念であって、決して肉体頭脳知で思索して考え出されたものではありません。これは、開祖・谷口雅春先生のお覚りなのです。即ち、開祖・谷口雅春先生が現象世界についての矛盾とか過酷な体験の根因に関して肉体頭脳知の思索の極限に達せられた時、遂に霊的機縁が熟し、『無』の関門を透過せられ、實相世界に超入せられた絶対実在の絶対把握(實相覚による直截認識)であったのですよ。この大悟徹底の御様子は『生命の實相』自伝篇(134〜137頁)に書かれている通りであります。『無門関解釈』や『驀進日本の心』に於いても次のように記述されています。

<<・・・正法眼蔵・・・悟りの光の眼で見たる法体宇宙の実相はなんであるか、涅槃妙心にならなくては分らぬ・・・宇宙の微妙本体と一つになった妙なる心――絶対実在の絶対把握の妙心――を顕した時にのみ解るのだ。・・・「正法」と言い「実在」と言い「妙法」と言い「妙心」と言い、大日本國體であることを知らねばならぬ。・・・「引き寄せて結べば柴の庵なり、解くれば元の野原なりけり」・・・大日本国家はそんな因縁仮和合の国家ではないのである。若し仏教が一切の存在を「無」と見るならば、日本国家も無なのである。私は「生命の実相」<神示を受けるまで>の最後の章に示すが如き過程に於いて、既に「無」の門関を越えて釈尊の指頭にある金波羅華が象徴する「実在」の荘厳無二組織完備の大日本国家を把握したのである。・・・>>(『無門関解釈』71−72ページ)

<<・・・私が霊感を受けて、「実相は空ならず」と知ったときの光景を次に序述する・・・<生命の実相・第20巻P.135>・・・この引用文の中で注意すべきは「無いものを無いとしたところに本当にアルモノが出て来るのだ」・「有るものは唯神のみ」というところである。即ち、「空」と「実」とのけざやかな峻別であるのである。・・・一切現象が空であって、其の空々寂々の相が実相だと言うのではなく、実相は「実」であり、「本当にあるもの」であり、無限荘厳の世界である。・・・無限次元・肉眼を超ゆる世界ではあるが、現象界の無常流転不確かな世界と異って金剛不壊の世界なのである。この世界こそ「空」とか「変化すべき仮相」とか「万物流転の原理」とか言う在来の仏教が説明に使った言葉では表現し能はざるところの厳として金剛不壊の世界なのである。この世界を華厳経で「蓮華蔵世界」と称して、空とか無常とか言はず「衆宝あまねく地に敷き、金剛の厚地にして破壊すべからず」と形容されている世界なのである。“私は此の世界を直接見たのである。直接触れたのである。”絶対実在の絶対認識である。その絶対実在の世界は決して無常の「空」なる世界ではなく、金剛不壊にして、「実」なる世界なのである。吾々は、第一義諦の世界と、因縁仮和合の世界とを混同してはならない。・・・蓮華蔵世界(それが日本国家である)は因縁仮和合の世界に非ずして第一義諦の世界であり、他に依って立つ世界ではなく、それ自身にして立つ世界であり、既に中心帰一せる久遠不滅の世界である。さればその悠久なること限りがない。(見よ日本国家の天壌無窮を)それは真理国家そのものにして、大日本真理国家の天降って来る事によって、現象界の本来「空」なる国家は本来の非実在を暴露して蓮華荘厳の――スメラミコトを中心として円成せる荘厳極まりなき――国家が現象界に成就するのである。ここにキリスト教式に言えば「御心の天に成れるが如く地にも成る」のである。天に成れる実相が若し「空」であって煙の如き空しき変化無常のものであるならば、「天に成れる実相」が地上に天降って来た時に現象界は煙の如く散乱して了うであろうが「天に成れる真理国家」は実在の金剛不壊の世界であるが故に、それが現象界に成就するとき、現象界が蓮華荘厳となるのである。・・・>>( 『「驀進日本の心と力」第三章・日本学的大乗仏教の確立133−134頁)

「理念は現実に先立つ、日本の現実は未だ理念の完全さに達せずとも宇宙を照らす大理想をもって天降り来った」(『第二青年の書』(266〜267頁)

このことは、宇宙大生命の御意思として、「金波羅華天皇国日本の實相」を地上に顕現するモデル国家としてその理念が天降って来て、つまり現象の日本国家が地上に現われて日本民族がその真理国家実現の崇高な使命をを帯びているだと考えなければならないのです。現代を生きる日本人はこの使命を遂行しつつあるのだと言わねばなりません。日本人はこの大使命の自覚が大切なんです。この大使命が解らないで、「現象の日本を指し示すわけではない」という脇道へ論点を批判的に移すことは間違いですよ。

生長の家信徒である限り、大悟徹底された開祖・谷口雅春先生の『御教え』を先ず素直にその儘の気持で読み受け取ることが何よりも大切です。反論を感じたりした時は、「我々はまだ開祖・谷口雅春先生のような大悟徹底のレベルには達していない」という謙虚な気持になって判るまで読み返すことです。それでも納得できないで『御教え』批判を続けたいならば、潔く「生長の家」を去るべきです。信徒のままで『御教え』批判を続けることは間違っているのですよ。

なお、「大和の国の神示」は昭和21年1月6日に降ろされています。当時はGHQによる徹底的な文書検閲がなされていました。従って、開祖・谷口雅春先生は昭和57年6月2日の「大和の国の神示講義」に於いて「占領軍の天皇への風当たりを避けしめるためその表現には配慮がなされているわけです」と書かれている事に注意して読んでくださいね。



A、 開祖・谷口雅春先生と三代目・雅宣総裁との「大東亜戦争観」の違いについて

貴君は、あくまでも「大東亜戦争は侵略戦争である」とマサノブ君と同じように確信的に断定していますね。その理由として、貴君は1928年の「パリ不戦条約」と1932年の国際軍縮会議安全保障委員会の「侵略国」の見解を挙げています。しかし、アメリカ国務長官のケロッグは「自衛戦を禁止するものではない。自衛か否かは各国に決める権利がある。自衛の概念は広範で、経済的脅威に対するものまで含められる」という趣旨のことを議会で述べている。極東軍事裁判では、パール判事はこれらを指摘し、「不戦条約を破ったとして日本を断罪することはできない」としたのです。

大東亜戦争に関する第一級資料としての「東條英機宣誓供述書」があります。これを読むと、対日経済封鎖網(ABCD包囲網)と対日最後通牒と言われた「ハルノート」でアメリカが日本をして開戦決意をせざるを得ない状況へと積極的に追い込んできたことが解ります。また、それを裏付ける事柄として、――

アメリカは、日露戦争の日本の勝利を分析し脅威感を抱き、日本を将来の仮想敵国とした「オレンジ計画」を策定し、この政策に従ってその後の対日戦略を展開して行った。そして、スチムソン米国陸軍長官の日記には、ルーズベルト大統領による緻密かつ狡知な演出として、「如何にして日本を操り、我々の損害を少なくし、如何にして最初の一発を打たせるように仕向けるかが問題だ。とルーズベルト大統領は語った。」と書かれているのですよ。さらに、連合軍総司令官であったダグラス・マッカーサー元帥の昭和26年5月3日アメリカ合衆国上院の軍事外交合同委員会での証言<大東亜戦争は日本の自衛戦争であった>――「日本は、絹産業以外には固有の産物は何も無いのです。彼らは綿が無い。羊毛が無い。石油の産出が無い。錫が無い。ゴムが無い。その他実に多くの原料が欠如している。そしてそれらの一切のものがアジアの海域には存在していたのです。もしこれらの原料の供給を断ち切られたら一千万から一千五百万人の失業者が発生するであろうことを彼らは恐れていました。従って彼らが戦争に飛び込んで行った動機は大部分が<安全保障>の必要に迫られての事だったのです。」と嘗ての敵国のマカッサー元帥でさえ、「大東亜戦争は日本の自衛戦争であった」と認める発言をなしているのです。

また、開祖・谷口雅春先生は「日本の国難を救わんとして献身を行った特攻隊その他の兵士達をすべて侵略に協力した者として攻撃する人もあるけれども、<結果>ばかりによって論ずべきではない。一粒の麦となって同胞愛のために生命を捨てんと挺身した兵士達をば十字架にかかったキリストのように傷ましくも仰ぎ見るのである。(「新生の書」)」と愛の心を以て書かれています。貴君にはこの様な愛の心はあるのですか?

そしてまた、開祖・谷口雅春先生は「歴史と言うものは、現象界に實相が如何に投影し表現されて来るかということの、その現われ方、即ち實相が現われる場合の作用、反作用という風なものを次第に追うて並べて行くことによって、その民族に如何様に實相が現われ、實相が現われんとするに当って如何に反作用を起こし、自壊作用を起したかを知り、それをずっと時間的に貫いて観てそこに實相が如何なる相を以って現われるかという事を知ることによって、大宇宙に於ける日本国の位置及びその将来性を知り、現在自分が国家構成の一員として及び個人として如何に生きて行くべきものであるか、将来この世界は如何に発展して行くべきものであるかということをはっきりさせるためのものが歴史の研究であります」(『古事記と日本国の世界的使命』4〜5頁)と書かれております。このように歴史とは後世の価値観で徒に批判断罪すべきではなく、歴史から何を学ぶかが大事であると云うことなのです。

これでも貴君は、「大東亜戦争は日本が起した侵略戦争である」と日本悪玉論をどこまでも貫き通すのですか? 自分の生まれ育った国に対して、自虐的に過去の歴史を断罪する事は、正常な意識を持つ国民ならば出来る事ではありません。普通の感情を持つ人間ならば自虐史観は持てないものなのですよ。それを敢えて日本悪玉論「侵略国――我々の先祖は悪人であった」と断罪して憚ることはマチガイであります。故に、貴君もマサノブ君も反日的日本人であり、そんなに日本を悪い国と言い貫くのなら、貴君が「善良な国」と考える他の国へ国籍変更したらよいのですよ。

貴君は、「谷口雅春先生も、現象としての大東亜戦争は、神の戦いでも聖戦でもない(『生長の家』昭和二十一年四月号、二十四項)とされているから、侵略戦争だと主張していますが、@で説明しましたように昭和21年はGHQの厳しい言論統制状態という特別な執筆環境時の御文章であったという事を忘れてはならないのです。また、「日本は神国である」という「民族的迷信は本来は撥無しておかなければ」ならない(『生長の家』昭和五十八年十二月号、九十二項)と書かれたことは、単なる過てる“選民思想”の間違いを誡められたものであって、戦前の日本人が、日本は神の国であるから民族意識が高揚して、日本民族が全世界を統一するのだとは一部の特殊な人たちを除いて、当時の日本人は為政者を含め誰もそのようなことを考えてはおらなかったのです。だから、大東亜戦争はそのような目的のために戦われたのではないのです。



B 雅宣総裁に対する「重破門状」について

先ず、信徒数のことですが、今回改めて「生長の家公式サイト」を検索しますと、1,683,227人(日本国内 651,119人/日本以外 1,032,108人)とあります。以前の記憶に因りますと、国内70万、国外80万、合計150万とありました。その後、変更されたのでしょうから、今後は対外発表の公式信徒数は国内65万、国外100万という事に変更します。この数字自体はそんなに重要な数字ではありません。こだわらなくてもよいのです。

それよりも、「重破門状」の内容ですよ。貴君は<「鎮護国家を捨て、「御斎神」を入れ替え」た事実は存在しておりません>と言いますが、「鎮護国家」をマサノブ君が外して「世界平和」という言葉に入れ替えたことは事実です。住吉大神に加えて造化三神を合祀したのは、将来的には「住吉大神」を外す予備行動である事は明白ですよ。丁度、「大自然讃歌」と「観世音菩薩讃歌」をマサノブ君が作ったときも、最初は「聖経『甘露の法雨』に取って代わるものではない。補強するものだ」と説明をしていましたね。そして著作権裁判の敗訴を利用して、聖経『甘露の法雨』を実質的に捨て、“補強”として説明していた「大自然讃歌」と「観世音菩薩讃歌」の読誦を奨励し、次第に公式祭事でも一斉読誦を増やして次第次第に実質的に「聖経」化を推し進めている、――このため信徒の反発を買って信徒脱退が広がってきている。この様な客観的情勢を貴君はあくまでも事実誤認と主張するのですか? 私の青年時代の全国大会には1万人が東京の武道館に集まりましたが現在は1000人とか?この青年会の壊滅原因はマサノブ君の所業にある事は明白です。貴君はこの青年会の壊滅現象という事実についてマサノブ君は関係ないというのですか?

貴君は、<「生長の家の大神――総裁・副総裁――御教え」という中心帰一の御教えを谷口雅宣先生の発案であるかのようにしている>と言いますが、これは中心帰一の教えではありません。此処のところは重要なことですから間違わないようにして頂きたい。この図式は『生長の家』の教えがその本源から流れて通過して出るパイプの系列であると『菩薩は何をなすべきか』の第9条の解説に書かれていますよ。それをマサノブ君の時代になってから、特に白鳩会が「中心帰一、マサノブ先生ジュンコ先生に中心帰一」と叫び出したのです。第一、開祖・谷口雅春先生は「自分はラッパである」と言われていたのであり、総裁・副総裁に中心帰一せよなどとは言われてはいないですよ。

更にマサノブ君の時代になって、本部講師や白鳩会の役員などが、マサノブ先生は生長の家大神様から直接に啓示を頂いておられる。だから「生長の家大神――総裁・副総裁――御教え」は「生長の家大神――マサノブ総裁――(今の)教え」であると勝手に解釈しているだけであるのです。これに対してマサノブ君は否定も肯定もしていないのです。「ラッパである」などとも言ったこともない。非常にズルイ態度だとは思いませんか?

もう一つ、看過出来ないことがあります。貴君は、<「生長の家」には開祖は存在しない>と書きましたね。貴君は正気なのですか? おそらく、貴君は、<「生長の家」=大宇宙そのもの>と考えて、このように書いたとも思えますが、それならそれで行き届いて説明すべきですよ。我々が今問題にしているのは、地上現象界に於ける宗教法人「生長の家」のことなのです。宗教法人「生長の家」の開祖は、開祖・谷口雅春先生であります。そして、三代目がマサノブ君なのです。實相と現象の明らかな混同ですね。シッカリして下さいよ。

「重破門状」の項目は、全部で15項目あります。貴君は、“事実誤認の偽書”として、上記の2項目以外は回答を避けていますね。これ等の15項目にまとめられた原因が客観情勢としてあるわけで、そのため大勢の信徒の皆さんがマサノブ君の宗教家としての適性にNO!を突きつけて信徒脱落現象が起きているのです。信徒脱落と言う教勢衰退は紛れもなき事実ですね。この15項目が最近の教勢低下現象と無関係であると貴君は言い切れますか? 貴君は、この教勢低下現象の説明が出来ないのですね。だから、「偽書」と言う名目で以って回答を避けたのですね。



C 三代目・雅宣総裁の「生長の家30年暗黒史」について
貴君は、答えに窮すると“事実誤認”という言葉で「回答しません」と逃げますね。生政連の活動停止や日本を護る国民会議からの撤退等に関しては当時「理事」の一人であったマサノブ君の考えが背後で大きな影響力を及ぼしていたことは間違いないのです。彼の人並みはずれた強引な性格から判断されます。貴君は事実誤認と言うならば、貴君は正確な当時の事実を知っているのでしょうね。是非その事実を書いて反論すべきです。客観情勢などを加味せずに“事実誤認”とだけ言うのは間違いですよ。その他の事項についても同様です。



D 三代目・雅宣総裁の「法燈継承」について

貴君は、「定義が異なるから回答しない」と言うならば、その“定義”とやらをハッキリと書いてください。私は、生長の家の「法燈」とは、「生長の家大神=開祖・谷口雅春先生=『御教え』」であると思います。従って、第二代以降の継承者である総裁は、開祖・谷口雅春先生の説かれた『御教え』の全相をそのまま継承しなければならないのです。マサノブ君は、この『御教え』の根幹部分を自己の個人的思想(左翼唯物現象論)に入れ替え、あまつさえ、『御教え』の内容を詳しく説かれている開祖・谷口雅春先生の御著書を多数絶版(再販中止)、所謂“焚書”にしたのです。貴君はマサノブ君のこの“焚書行為”をどのように正当化しますか、説明をしてください。と同時に、二代目の清超先生が、最後までマサノブ君に「法燈継承」の認可を与えられなかった事実、この理由を説明してください。ここでも、貴君は真正面からの回答が出来ないので、“定義の相違”という理由で逃げましたね。



E 「マサノブ教」ってどんな教え? について

貴君は、<谷口雅宣先生が「神啓の根本聖典『生命の實相』・聖経『甘露の法雨』を捨て」た事実は存在しません。>と書いていますが、現実的事実として講習会のテキストには『生命の實相』は使われていないし、販売用の教団の在庫も亡くなっているようです。聖経『甘露の法雨』に替わって、補強するために作ったとされるマサノブ君の「大自然讃歌」や「観世音菩薩讃歌」の読誦が公式行事のプロブラムにまで書かれるようになりましたね。今や、実質的には『甘露の法雨』は聖経の座から次第に外されつつあります。この事実を貴君は如何に説明出来ますか。

又しても貴君は“司法ファッショ”という言葉を使っています。法治国家において、地裁→高裁→最高裁へと正式手続を経て判断された『生命の實相』の正当なる著作権は「生長の家社会事業団」にあり、との最終判決を、自分達の意が通らなかったとして“司法ファッショ”という言葉で認めようとしない。こんな論法が社会的に通じると思っているのですか。貴君の態度は傲慢すぎます。全くマサノブ君のコピーですね。更に“守旧派権力”とか“宗教弾圧”とか“強奪”とか聞き捨て出来ない言葉の数々、貴君こそまさに「左翼ファッショ」ですよ。ここでも答えようがないため、「事実誤認をもとに書かれているため、回答いたしません」とまた逃げているのですよ。事実誤認と言うならば、貴君は12項目の一つ一つについて正確な“事実”を挙げて反論すべきです。結局は、12項目については客観情勢としては反論しようがないわけですね。



F 貴君が、東京地裁・高裁・最高裁の審理を経て『生命の實相』の著作権が「生長の家社会事業団」にあり、と認められたことを“不当判決”というのであれば、その法的根拠について明確に具体的に答えて下さい。――

この質問に対して、貴君はこれまた真正面からは答えることが出来ないために<回答――『日本国憲法』第20条の信教の自由に対する侵害である>としていますが、こんなことを言っている限り、マサノブ教青年会のレベルの低さを示しているのですよ。気に食わない判決は認めようとせず、我意だけを貫徹する、――貴君は、全くマサノブ君と同じ思考であり性格ですね。ボロがボロボロ出て来ていますね。それだけ開祖・谷口雅春先生の正統の『御教え』がイヤなら、それこそ「信教の自由」の権利行使をしてマサノブ君と二人三脚で「生長の家」を去り、新教団なりNPOを立ち上げたらいかがですか。



G 貴君は、<私がブログ等で「雅宣先生が愛国心を持たれていることは、よくわかっています」等と言う上から目線の文章を書いた記憶はございません>と書いていますが、https://www.facebook.com/tomoki.hino.5/posts/530006840462765?pnref=story
の「フェースブック」の中で<日野 智貴さんが日野 智恵子さんの投稿をシェアしました。>として鈴木教化部長の発言「雅宣先生が愛国心を持たれていることは、よくわかっています」を紹介し<学ぶ会の連中や稲田朋美に聞かせてやりたい言葉ですね>とまで言っていますね。敵意があらわですね。

ということは、貴君もまた鈴木教化部長の「雅宣先生が愛国心を持たれていることは、よくわかっています」という表現に賛同していて同じ意見だと受け取れます。責任逃れのような理由をつけずにマサノブ君が愛国心を持っているかどうか、持っているならその根拠を示しなさい、というとに質問の趣旨がある事がわからないのですか。的を外して逃げないで答えをしなさい。

<尚、私は決して左翼ではありません>とも貴君は書いておりますがが、<現段階で青少年相手に愛国心や日本の独自性を強調するような運動には反対です>との貴君の考えはいわゆる「左翼」の考え方そのものではないのですか。自国についてこのように考える国民は世界の中では「自虐思考」とか「反・祖国思考」であって、貴君もまたその一人でマサノブ君と共に「反日的日本人」ですね。



H 貴君は、<「真性保守」と言う日本語は存在せず、文意不明瞭のため、回答は致しません>という回答をしていますが、貴君はハッキリと、――

http://ameblo.jp/hinotomoki0411/entry-11962941275.html
生長の家兵庫教区相愛会教区大会&合同生命学園 2014-12-10 15:44:16 のきじの中で、――

<<12月7日、生長の家兵庫教区の相愛会教区大会がありました。私は、小学生四年生の頃に谷口雅宣先生の『神を演じる前に』と『足元から平和を』を読み、地球環境問題と生命倫理問題に関心を持ちました。私は自分では真正保守のつもりですが、その根本は、谷口雅春先生と谷口雅宣先生が伝えられた御教えです。雅春先生と雅宣先生の言っていることが違う、と言う方もあるかもしれませんが、雅春先生も、清超先生も、雅宣先生も、同じ事しか言われていません。ただ、今の小学生・中学生の信徒に、例えば雅春先生の『占領憲法下の日本』や『限りなく日本を愛す』を読ませたりするのは――私は小学五年生の時にそれを読みましたが――避けるべきでしょう。>>と書き、「私は自分では真正保守のつもりですが、その根本は、谷口雅春先生と谷口雅宣先生が伝えられた御教えです。」と云っているではありませんか。貴君は自分で「真性保守」のつもりと書き、それはマサノブ君から教えられた教えが根本になっていると言っているのではないですか。だから、貴君はマサノブ君は「真性保守」の立場の人と思っているのです。「文意不明瞭」などとして逃げてはいけませんよ。



I 貴君は、<生長の家では個人崇拝を教義とはしておらず>と書いていますが、貴君は<仮に雅宣先生が「再び愛国運動を行いなさい」と言うのであればそれに従う所存であります>と書いているところを見れば、マサノブ君崇拝者であります。矛盾していますね。私は、マサノブ君の提起した環境問題を全面否定しているのではないのです。環境問題はあくまでも「生長の家」の運動にあっては第五位とか六位とかの順番であって、第一位は「衆生救済」であり、「日本國實相顕現」であります。マサノブ君は、環境問題を「生長の家」の第一位の運動としているところが間違っていると言っているのですよ。それに、マサノブ君が「環境問題」を「三界唯心所現の理」として観ず、「唯物的現象問題」として捉えていることはマチガイだと言っているんです。「問題提起」としては正しくとも、「生長の家」の問題提起としてはあまりにも“偏向”しているといっているのです。ここのところを間違わないで頂きたいのです。



<総括>


 貴君が、私の書いた「公開質問状」の答えとしての冒頭部分にある、<こういったものは、真面目な信徒であれば中学生であっても騙されない内容である>と書き、さらに<『生命の実相』全巻を読んでおらず、さらに、谷口雅宣先生のご著書を一冊も読んでいない様な信徒――不勉強な信徒だけでなく、忙しくて勉強する暇がない信徒も含まれる――ならば、信じてしまうかもしれない、と言う程度の内容>とまで、頭から傲岸不遜な態度で挑んで来ております。貴君が「生命の實相」全巻を何回熟読したかは知りませんが、マサノブ君同様、評論的態度で読んだことだけは推測出来ます。

<公開質問状」を出された以上、質問者の神の子であるという実相を礼拝しつつ、一回ぐらいはその質問について回答を行うことも愛の道ではないか、とも思った>との書き方、さらに<今回に限り、大晦日であることにも免じて、彼らによる十項目の質問に回答する>とは、――高校生としては、あまりにも思い上がった傲慢そのものの言葉と態度ですね。貴君はまだ社会経験がないのですよ。ただ頭の中だけで考えているだけです。

貴君は、「マサノブ教」と言われる「今の教え」の絶対的信奉者ですね。ならば、なぜ、教勢急落現象が起きているのか、信徒が集団で脱退して行くのはなぜか、について明確に答えることが出来ますか、出来ないでしょうね。貴君の今回の回答文も回答にはなっていません。真正面からまともに答えていません。それも無理のないことです。所詮は虚説であるマサノブ君の「左翼現象唯物論」では、世界最高峰の開祖・谷口雅春先生の「唯神實相論」にはまともに太刀打ちできないのです。この辺のところが貴君には理解がまだ無理なようですね。

貴君の回答文は「逃げの一手」です。貴君は、開祖・谷口雅春先生の『御教え』をただ“ツマミ食い”しているだけでね。貴君は、反日的日本人の一人、実質的には左翼思想の方が強い、マサノブ君に洗脳された一人と言えます。貴君は確かに高校生としては優秀な頭脳を持っていることだけは確かです。しかし、上手くマサノブ教に洗脳されてしまったことはまことに残念ですね。惜しみても余りあるものです。『生命の實相』の読み方は、海綿が水を吸うが如き素直な心で読むことです。疑問があれば、その疑問が解けるまで開祖・谷口雅春先生の他の御著書をも読まねば生長の家を信仰しているとはいえないのですよ。それでも開祖・谷口雅春先生の言に納得が行かないならば、憲法にある「信教の自由」に従って「生長の家」信徒を辞めて、自分の信ずる道をすすんでいただきたい。「生長の家」信徒を名乗りながら開祖・谷口雅春先生の「生長の家」の中で『御教え』批判を続けることだけは間違いですよ。謙虚さを保って脚下照顧をお願いします。 再合掌







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