生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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生長の家「今昔物語」・霊界篇の再掲示<第十八話> (440)
日時:2013年03月13日 (水) 14時04分
名前:信徒連合




生長の家「今昔物語」第五篇 霊界篇



第十八話(通算第259話)


霊界への誕生について(その二)



 
三途の川を渡って我らは何処へ行くか

(『人生を支配する先祖供養』P.10−11)


<<三塗(さんず)というのは“三途”とも書く、肉体死後の霊魂の行くべき“三つの途”であるからである。それは普通、地獄道、餓鬼(がき)道、畜生道の三つの道のこと、即ち“三悪道”のことだと解せられているが、私はそのようには解しないのである。欲界(よくかい)、色界(しきかい)、無色界(むしきかい)の三界だと解したい。何故なら人間はみんな三途の川を渡って、地獄道か、餓鬼道か、畜生道に堕(お)ちて行くより仕方がないのだったら救われようがないからである。もっと立派な天国的な浄土に落ち着く霊魂もあって好い筈である。>>




幽界と現実界との境

(『人生を支配する先祖供養』P.11−12)


<<ここで私は、こんな素晴らしい霊魂もあるのだということを『生命の實相』第十巻・霊界篇にある高級霊からその子に寄越した“霊界通信”の一節を諸君に紹介したいと思うのである。

この高級霊は其の子に向かって、「お前はわたしの語ろうとするところの真義を捉(とら)え得るであろうかね。この真義をすべての人類が捉え得たならば、全世界は相(すがた)を変えてしまうということがお前には解るだろうか-----」 と言っているのである。

そんなに重大な真理がこの霊界通信には盛り込まれているのである。彼(父の霊魂)はその子の手を借りて、自動書記現象によって次の如く自分自身の臨終を書くのである。

「わたしは、街路で突然病気に襲われて病床に運ばれて、そしてそこで死んだのだった。家族のうちでお前だけが、父の意識の最後の残りが、微(かす)かに漂っている臨終に間に合って来てくれたのだった。愛するわが子よ。私はお前を感じたよ。お前というものが、わたしの最後に浮かんだ『念』だったのだ。お前は私の手が力なくお前の方へ垂れ下がったのを思い出すであろう。それはわたしの現実界における最後の運動であり、最後の力であった。そしてわたしは現実界から没し去って死んだのだ」

(これで、彼の肉体を通しての意識は消滅し、その次は肉体を脱した霊魂が、現実界をのぞき込んでいる意識に換(かわ)るのである。――(谷口註)>>




思いやりある死者の霊の力

(『人生を支配する先祖供養』P.12−13)


<<この父の霊魂は高級霊であるから、肉体を脱した直後、すぐ現実界を見ることができるのである。それで次のように自動書記現象で綴るのである。――

「わたしの愛する児よ、お前は立ちながら父親の肉体の上に覗きこんでいた。しかし、その時お前の心に浮かんだのは、お前の不幸な母親のことであって、私のことではなかった。お前の魂は意識していなかったが、その考えはわたしの魂の中に織り込まれていてわたしと同じことを考えていたのだ。『どうして此の憐(あわ)れな母を助け、慰めてあげようか』と。--------彼女よりも先にわたしが他界するということは、彼女にとって太陽が没したことになる。絶望と悲歎とのきわみが彼女を襲うであろう。

(註・肉体を脱した父の霊は、その息子が何を考えているかを霊的知覚によって知っていたのである)

わが児よ。その時、お前の母親がやって来たのだ--------その時お前は自分の手で母親の手を握りしめ、彼女の腕を抱き上げた――そうしたのは本当はお前ではなく、わたしだったのだ。お前は眼の前に横たわっている父親を忘れて母親に囁(ささや)きかけた――そうしたのは、本当はわたしだったのだ。わたしはお前に力を与え、お前の母親に内から力を与えていた。母がその夜お前が心配したようには悶絶(もんぜつ)もせず悲しみに耐えることが出来たのはそのためだったのだ」(『生命の實相』第十巻・霊界篇下巻P.102−103)>>





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