生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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出た! 「元青年会員です」氏と「雅宣総裁」の共通点が・・・ (443)
日時:2013年03月13日 (水) 15時22分
名前:鵜の目・鷹の目



「公平なる観察者」殿の記事、大変関心があります。
その後の展開を待っていましたところ「トキ掲示板」に早速続きが出ました。



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Web誌友会 板2
583 名前:元青年会員です 投稿日: 2013/03/13(水) 06:38:27 ID:Jt3SRsQg


皆さんへの返事を長々と書いていたのですが、どうも話が暗い方へ暗い方へと流れてしまい、・・・・・



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ご自分でも書かれているように「元青年会員です」氏は“暗い性格”なんですねえ。そこで思い出したのが、以前「本流宣言掲示版」に出ていた雅宣総裁の性格を如実に現している次の様な投稿文でした。


■■■  ここに「穴グラから」と題する文章があります。
その後半部分にこんな箇所が出てきます。

…自分はいったい何がどこまでしたく、そして何をどこまでできるのか−。しかしこのトライアルは、ぼくの中では、家と両親とのきわだった対立として現れた。(中略)すべてにわたってぼくは自分の家、とりわけ両親との対立を意識した。さまざまな行動は、ぼくの親の目には「息子の我儘」と映ったことであろうが、ぼくにとっては真剣な戦いだった。なぜなら、ぼくはそれまでの生き方を続けていれば、永久に「生き甲斐」を感じられず、そして永久に「欠落した人間」として生きなければならないという危機感を抱いていたからだった。おかげでぼくは「親不孝な息子」として母から幾度も罵られたが、幸か不幸か弟がぼくに輪をかけて「反抗的」であったため、ぼくの罪は相対化して薄められていたように思う(後略)

この作者は誰だと思われますか?
「谷口雅宣」とそこには署名されているのです。
青山学院大学を出て、「日本教文社」に勤務していた頃の文章のようであります。 ■■■


この文章の題名は<穴グラから>となっている点に注目すれば、雅宣総裁の性格も“暗い穴グラ”に潜んでものを見る性格である事が分かります。“類は友を呼ぶ”――

とすると、やはり「元青年会員です」氏は、「雅宣総裁」自身である可能性がいよいよ濃厚となって来ました。客観情勢も整っています。「初心者=雅宣総裁=さくら」を見破られ、知れ渡り、この頃ではウッカリ文章を書けば“『御教え』に反する文章だ”とやり込められ、「唐松模様」の記事更新もままならず、しかし大閑であってひねもすパソコンに向かっての引き篭もり、何か書きたくても書けない!

このジレッタさ! そこで、この度の新しいハンドルネームでの自己弁護と自己称賛! しかし簡単に見破られました? みなさまの仰る通り、もう退け時ですぞ、総裁辞去しかありませんね、雅宣さま!






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