生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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「雅宣教」(今の教え)の根本的間違い――それは、雅宣総裁が“現象”の立場に立って「今の教え」を構築していることである! <事例 4> (445)
日時:2013年03月13日 (水) 23時22分
名前:画龍点睛




開祖・谷口雅春先生の『御教え』と「雅宣教」といわれる「今の教え」との根本的相違点は何処にあるのか? それは一言で言えば――

開祖・谷口雅春先生の『御教え』は、「實相」という観点から説かれているのであります。しかし、雅宣総裁は、講習会では生長の家の教えの基本は「唯神實相・唯心所現」とは概論としては説明しておりますが、個別的なことがらに関しては、實相の観点からではなく“現象”の観点から、“現象=実在”という理解の上に立って論じているのであります。この点が「雅宣教」(今の教え)の根本的誤謬であります。以下、個々の事例によってこのことを確認いたします。




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<事例 4>  “地震は、自然現象のひとつである”について、



@ 雅宣総裁は、「日本列島では地震が起こるのは、地質学上では当たり前で自然なことである」という。そして、「耐震設計をしないで家を建てて倒壊した人や地震の多い場所へ危険を承知で行くのは自ら災害を求めている人だ」ともいっている。こんなことくらい誰でも言うことである。この様な一般レベルの唯物論的方面のことを言ってこと足れり、とは善くもまあ“生長の家総裁”で御座い、と平気でいえたものだといいたいのであります。信徒として世間サマに実に申し訳ない次第であります。


A 雅宣総裁は、地震というものを、地震に対する対策をも“現象”として捉え、“現象面”からの対策を述べているだけで小学生にも劣る見解であります。雅宣総裁が“宗教家”を自負するのであれば、形而上的観点からの地震発生の原因と対策を述べなければ決して合格点はもらえないのであります。雅宣総裁のこの回答は、宗教家としては零点であります。『御教え』が全然わかっていないのであります。


B 實相の観点から現象を見るならば、本来が完全円満な實相世界には地上の肉体人間の目から観ての災害というものは無いのであります。本来実在し得ない地震という災害現象が起きる原理は「三界唯心所現」の法則、すなわち「心の法則」によって引き起こされるわけであります。比較的広範囲の地域で起こる地震はひとりや二人の不調和な想念や業因によるのではなく、極めて多くの人たちの不調和な錯綜した想念の結果であります。その集合蓄積想念や業因が地震という形で自壊して行くのであります。何故、雅宣総裁はこのように説明できないのでありましょうか? たとえ『生命の實相』の拾い読みにしても、また講習会で「唯神実相・唯心所現」の教義の説明を曲がりなりにも雅宣総裁はしているわけですから、当然この様な説明は知っているのでありますが、然らば雅宣総裁をして『御教え』に反する解説を敢えてするのは、いつも申し上げる如く、開祖・谷口雅春先生に対する抵抗感、深層心理に存在するトラウマのなさしめる所だと言わざるを得ないのであります。


C 雅宣総裁があくまでも宗教家を自称したいのであれば、同じ地震に遭遇しても、ある人は傷つき家が倒壊する被害を受ける人もいれば、無傷でいる人もいるわけです。同じ人間でありながのこの運命の開きの根因はどこにあるのか? このことを敷衍して考えるならば、これからの将来の災害発生に際して、その難を如何にして逃れるかを宗教家は指導できなければならないのであります。


D 『生命の實相』に書かれているように、< 悪運を逃れる唯一の法則は“類でないものは反発する”という「心の法則」>にあると雅宣総裁は説明しなければならないのであります。具体的には、「天地一切のものに常日頃感謝和解した生活」であり、「先祖供養」の実践であり、神の子人間の自覚を深める「神想観」の励行であり、「与えよさらば与えられん」という日頃の徳積み・・・であるのであります。この様なことが説けずに、耐震構造の住宅を立てよ! 地震多発地帯へは近づくな!とは何たる回答ぞ? 速やかに総裁返上しかないのであります。






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