生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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「マサノブ教」批判ではない! 「マサノブ教」という“虚説”の摧破なのだ! 以後、本流信徒は“批判”という言葉を使わないようにしようではないか!! (6128)
日時:2015年01月25日 (日) 12時23分
名前: 怒れる信徒代表




われわれ、開祖・谷口雅春先生の本来の『御教え』復活を目指している信徒は、「マサノブ教」(今の教え)を単に“批判”しているのではない。「マサノブ教」は“虚説”であるからその反・『御教え』の正体を指摘して、本来の無の世界へ帰してしまうという“虚説”の“摧破・駁撃”である。このことは、本流掲示板に於いて、これまで幾度となく指摘されてきたことであるが更に徹底して認識して置かなければならない事柄であります。



@ われわれ本流信徒が「マサノブ教」を“摧破・駁撃”するのは、「生長の家」の正式な法燈継承資格のないマサノブ君が、自作自演の法燈継承劇をでっちあげて、事情を知らない純真無垢な一般信徒を騙し、本来の『御教え』を換骨奪胎して“時代即応”という理屈をつけてマサノブ君の個人思想(左翼現象唯物論)に入れ替えた、そして中味が変わっているに拘わらず依然として「生長の家」という看板を使い続けているからであります。マサノブ君が、現教団から独立して「地球環境の家・マサノブ教」を名乗ってどのように左翼唯物論の教義を広め、環境運動を展開しようが、そのことに関してはわれわれは何も言わない。「生長の家」の看板を“金の成る樹・打出の小槌”として抱かえて放さない、この看板詐称罪という宗教的詐欺罪を駁撃しているのであります。マサノブ君が「生長の家」の名称を詐称していく限り、この「虚説」の“摧破”は続けなければならないのであります。



A また、「マサノブ教団」の人たちは、マサノブ君の實相を本流信徒は礼拝していないという。此処ではっきりといわねばならない事は、マサノブ君の實相は完全円満な神の子である事はその通り。問題なのは、その完全円満な神の子の實相が、迷いによって幾重にも取り巻かれ、神の子の光が完全に遮断されてしまっていて外部に輝き出ていない、つまりマサノブ君が完全な“神性隠蔽”の状態にあると云う事である。別な喩えで言うなれば、真赤に燃え輝いているマサノブ君の神の子の“火種(炭火)”が、“迷妄”という大量の灰によって埋没してしまっている状態、これが「虚説」を説いて恬として恥じない現象マサノブ君の姿としてわれわれは認識しなければならないのであります。この厚き迷妄からの解放が“虚説の摧破”であります。マサノブ君が自己の神性隠蔽に気付き、左翼唯物現象論を完全に捨て去り、本来の唯神實相の『御教え』に100%立ち返って霊的覚醒をなさぬ限り、われわれはマサノブ君の教団からの退去を求め続け、その時が来るまで、「非生長の家・マサノブ教」の虚説摧破駁撃の矛を収めることは出来ないのであります。



B マサノブ君の最終目的が「生長の家」の完全解体と開祖・谷口雅春先生の『御教え』の地上からの完全抹殺である事は、今日に於いては多くの信徒の皆様が知るようになったのであります。そしてマサノブ君は、信徒の大量脱退を内心では大歓迎――その証拠に、教勢急落と教団の連続赤字経営に対して最高責任者としての責任の自覚は全くなく、これまでの信徒の浄財で造られた教団資産1000億円を独裁権力で終身総裁の保障のもとに蕩尽し尽す、――衆生救済と日本國實相顕現という立教の精神と目的を完全放棄、共産中国の元寇の再来や国防に全く無関心――それでも“著名人・宗教家”と自負して自己紹介して憚らない。このニセの神の子の姿は本来ナシとして、無の世界へ還帰・追放しなければならないのであります。故に、単なる批判ではなくして<摧破・駁撃>なのであります。



C 上記のごとく、マサノブ君の神性隠蔽は100%であります。その他に高度の神性隠蔽状態に陥っている人たちがいる。それは、一般会社で言えば、専務・常務・取締役の地位にある者で、本来ならば赤字経営の責任を感じて社長・副社長に諫言し経営立て直しを計り、社長・副社長が聞く耳持たぬ場合は潔く、専務・常務・取締役の職を辞すべき人たちであります。現・生長の家教団に於いて言えば、イソベ理事長・ユキシマ副理事長をはじめとする理事・参議の職にある全員である。彼らは、マサノブ君にその間違いを諫言せぬばかりか、マサノブ君に完全同調して押し黙って、年間報酬1500万〜2000万円(5年で1億円)を信徒の浄財から得続けている。そして、定年が早く来て、少なくとも5000万円以上の退職金を得ることを望みながら忍耐強く、“見ざる・言わざる・聞かざる”の「三猿主義」に徹しきっている。宗教人の風上にも置けない最低の輩、お金と地位のためにチャウシェスク・マサノブにタマシイを売り渡して生きている最低の輩であります。彼らもまた、その昔、「生命の實相」を読み、開祖・谷口雅春先生の御講義を聞き、魂が打ち震えて一生を衆生救済と日本國實相顕現に捧げる決意のもとに教団職員となった人たちであった筈。しかし、左翼唯物現象論で『御教え』を改変した「マサノブ教団」に幹部役員として在籍し続けているということは、彼らもまた本部講師でありながら、「生長の家の『御教え』」の深き理会には達していなかった、『御教え』が彼らの潜在意識の底の底まで浸透して、「生命の實相」の真理と自己生命とが一枚岩になっていなかったことの証明であり、この点においても彼らは理事参議の霊的資格はなく、また本部講師としての指導力はないのであります。理事参議以外の教化部長や本部講師も同様であり、現・生長の家教団の理事・参議・教化部長・本部講師全員が深き迷妄に包まれた“神性隠蔽”の状態にあるのであります。



D マサノブ君から生活の糧を得ていない各教区の正副講師会長・相愛会連合会長・白鳩会連合会長・青年会執行委員長・栄える会会頭を始めとする教区役員の人たち、――マサノブ総裁への中心帰一を声高に叫ぶ役員のみなさん、――全員やはり深き神性隠蔽状態にあるのであります。逆から言えば、開祖・谷口雅春先生の御講義を直接聴いていながら、また「生命の實相」を読んでいながら、本当の「生長の家」の『御教え』の真髄把握まで達していなかったが故に、マサノブ君から「時代即応」とか「地球救済」という理屈コトバで容易く丸め込まれてしまっているのであります。マサノブ君による催眠コトバで以って神性が眠らされてしまったのであります。眠らされていないまでも、「寄らば大樹の下」・「先生病」・「先生ゴッコ」の快感に酔っている人たちであり、一般信徒側から言えば、「生長の家」の立教の使命と目的を正しく伝えられず、『御教え』の真髄を教えてもらうことなく、「生長の家」の正しき理会と把握から益々遠ざけられていくのであります。現在の「地方講師試験」は「生命の實相」の全巻読破は受験資格条件には入っていず、マサノブ君の著書から試験問題が出題されているのです。ということは、開祖・谷口雅春先生の「唯神實相哲学」ではなく、マサノブ君の「左翼唯物現象哲学」に則った回答を書かなければ合格しない、――衆生救済の原理・日本國實相顕現・憲法改正・鎮護国家・・・を肯定すれば不合格となります。侵略戦争・地球救済・国家と民族を超えた世界平和・人間至上主義・・・を肯定すれば合格です。この様な「地方講師」さんたちが今後とも出てくる、――これは「マサノブ教」の講師であって「生長の家」の講師ではない、しかし、「生長の家」の講師と名乗っている。明らかに信徒の皆さんを騙しているのであります。



E 教区の役員や講師のみなさんは、理事参議や本部講師のように、お金のためにタマシイをマサノブ君に売っているのではない。しかし、「議員を辞めれば只の人」と言うように、「生長の家」の役員・講師と云う肩書は彼らにとっては「ただの人」ではないぞ!という一種の自己顕示のためのステータスである事には間違いはない。タダの人にはなりたくないと云う隠れた潜在意識願望を無意識の意識として持っているのであります。だから、「マサノブ教」は間違いだけれども、脱退はしたくない、――これは明らかなる迷妄による「神性隠蔽」であります。如何にして、この潜在意識内の無意識の意識の迷妄の壁を越えるか、――これこそ現代の「マサノブ教」と化した教区幹部・講師に課せられた一大公案であります。



F このように考えて参りますと、『生命の實相』第14巻の次の章句が千金の重みとなって、現代に生きる生長の家信徒(マサノブ教信徒を含めて)に迫ってくるのであります。

<< 
1、 われわれは天地一切のもの(実在)と和解しなければなりませんけれども、虚説に対して和解してはならないのであります。

2、 虚説に和解したら実相をくらますことになります。

3、 実相をくらませば、みずから迷うことになるのであります。

4、 異端・盲説・妄念・妄想は、<本来無い説>―虚説―でありますから、その実相をみれば「本来ない」ことが判るわけでありますから、本来ないもの「虚説」に和解することは絶対に出来ないのであります。

5、 光は闇と和解することは出来ない。光が近ずけば闇は消えるほかはない。 それと同じく、真説は虚説に近ずけば虚説を消す働きをする。

6、 虚説を許さないことをもって、和解と寛容の徳が無いように思うのは間違いであります。 また、虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。

7、 虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、 それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

8、 「天地一切のものと和解せよ」との生長の家の第一最大の誡命(いましめ)は、「天地一切のものの実相と和解せよ」ということであって、仮想や虚説にたいしては「サタンよ去れ!」と排撃すべきなのであります。

9 釈迦もキリストも同じような態度で虚説を駁撃せられたのであります。 >>






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