生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

トップページへ戻る

 

↓↓↓ 訪問者数 ↓↓↓

 

名前
メールアドレス
スレッド名
本文
写真

URL
削除キー 項目の保存


こんな総裁、信徒の浄財で養う必要はない!読むに耐えない1・31 「枯れ松模様」! 全信徒よ、目覚めよ!! (6174)
日時:2015年01月31日 (土) 22時01分
名前:怒れる信徒代表

マサノブ君は、本当に大閑であるのか、又もや読むに絶えない自己中心的な宗教貴族の道楽生活振りを「枯れ松模様」に発表した。国内外の山積する問題や共産中国による元寇の再来の危険性や宗教的救済を求めている人達の声なき声を聞かず、毎日毎日、優雅な宗教貴族生活を楽しんでいる。教勢急落や信徒脱退の責任等コレッポチも感じず、むしろ教勢急落を歓迎しているようだ。



//////////////////////////////////////////

1月31日「枯れ松模様」= 「ていねいに生きること(五)」= 谷口雅宣

<< ところで、「ていねいに生きること」を目指して始めた自転車通勤だが、降雪と路面の凍結が頻繁に起こる八ヶ岳南麓では、冬季はほとんど不可能である。・・・できるだけ車を使わず、徒歩で通い始めた。すると同じ通勤路が、自転車の場合と徒歩ではだいぶ印象が違うことに気がついた。そして、自転車よりも徒歩の方が、自然との密着度は相当強いと感じる。機械の助けを借りるのと、借りないで“裸一貫”ならぬ“肉体一貫”で自然に触れるのとでは、感じる世界がかなり違うのである。どう違うかを述べてみよう。・・・(以下略)詳しくは、
http://masanobutaniguchi.cocolog-nifty.com/monologue2/

////////////////////////////////////////



<講評>


マサノブ君は、微に入り細に亘って、ジコチュウの宗教貴族日記を書いているーー

* <<オフィスへ歩いて行くときには、私は自宅を午前9時すぎに出る。路面の雪の量にもよるが、徒歩だとオフィスへは50分から1時間かかる。そんな山道を、荷物を背負い、両手にストックを持って私は出かける。 オフィスへ着くと、体は汗だくだ。>>

* << 銀世界が広がる周囲の景色はまことに美しいのだが、私はそれを眺めて歩く余裕がまだあまりない。すぐに滑って転倒する危険がある。だから、足元の雪の状態とその色や形状を観察しながら、路面の凍っていない箇所を選んでソロリソロリと足を運ぶのである。こんな時、人間が2本足であることのデメリットを切実に感じる。足元の雪には、よく足跡がついている。その形から、シカだったり、イヌだったり、ネコだったり、別の人間だったりが、自分と同じ場所を歩いていることが分かる。そんな時、彼らへの親近感を強く覚える。なぜなら、彼らも滑らないように氷の上を避け、柔らかい雪の上を選んで歩いていることがよく分かるからだ。「獣道」という言葉があるが、凍結した山道では、獣も人も同じ経路を歩くから、自分は同じ動物だと強く感じる。が、四ツ足の彼らは滑っても転ばないが、2本足の自分は滑れば転倒してしまう。 >>

* << これを防ぐのが2本のストックだ。・・・動物の足跡の中に、滑った痕跡がある場合がある。そこは「要注意」の印だ。車が通った後には轍が残るが、そのスノータイヤに刻まれた溝の後がまだ鋭角状にハッキリ残っている場合と、一部溶けて角が丸くなっている場合を素早く見分ける必要もある・・・前日、その坂道のどこが凍結していたかを思い出して、その場所を避けて歩くことにしている。>>  

* << こんな具合で氷点下の山道を小一時間を歩くことは、全身の神経と筋肉を活性化させ、体を内部から熱くしてくれる。空は青く、山は白く、木々は黒く、足元の雪道は謎と挑戦に満ちている。道中、鳥の姿を見、声を聴き、口笛を吹いてそれに応え、足跡から動物たちの行動を想像する。人の足跡は、靴の種類や性別も教えてくれる。自分が全身で体験する世界は、推理小説より面白いと感じる。>>

  

@ このようにマサノブ君の観察は非常に細かい。しかし、こんなことをいくら書いても、単なる自己中心的にしか考えていない人間=マサノブあると言う事が判るだけなのだ。かつての「新潟中越地震遭遇記」である自己中心的な「旅人の被災」と同じマサノブ君の精神構造であって、当時より少しも進歩していないことがわかるだけだ。信徒はこの様な宗教貴族生活日記など読もうとはしないし、読むだけの価値などさらさらないのである。



A 開祖・谷口雅春先生は「全人類が救われるまでは、私には休みはなく、また別荘など必要ではない。日本国の現在と行く末を思うとき、眠られぬ夜が多い」といわれていたことに較べて、マサノブ君の大閑な宗教貴族生活の微に入り細に亘るこんな文章などは、読むに耐えない実にクダラナイ文章なのである。どうせ、「森のオフィス」の総裁室ではパソコン相手に次の人事の駒の動かし方や、教化部の統廃合の仕方を考えているだけだ。道楽事業のメガソーラー売電事業の更なる構想も思い巡らしていることは確実! 教団は赤字運営でも資産は1000億円、換金すれば手元資金は余裕綽々なのだ! 悦に浸れるも無理もないことなのだ。



B この様な信徒の浄財で宗教貴族生活を送っているマサノブ君などは生長の家教団の“穀象虫”的存在だ。信徒の浄財でこの様な総裁をいつまでも養っておく必要性など全くないのである。此処まで来れば、、全信徒の実力行使で追放されても文句はいえない。マサノブ君はもっともっと信徒脱落を歓迎している。彼の希望に沿って聖使命会費の納入拒否、講習会の受講券の買取拒否で一旦、「マサノブ教団」と化した現教団を崩壊させてもよいではないか。信徒の皆様よく考えましょう。一旦崩壊させて再び再構築すべきであります。







Number
Pass
SYSTEM BY せっかく掲示板