生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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<再掲示シリーズ> 「偽(ニセ)生長の家・マサノブ教」VS「正統・生長の家」・・・ニセモノは「無の世界」へ追放されて自壊する・・・(25)  三代目・マサノブ君の「法燈継承」の“怪” (6221)
日時:2015年02月08日 (日) 09時40分
名前:再掲載シリーズ選定委員会




http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=2613
「本流宣言掲示板」投稿記事NO.11050

日時:2012年07月08日 (日) 08時36分
名前:信徒連合


雅宣総裁『今の教え』は、開祖・谷口雅春先生の『御教え』を継承していない!


< 最大の仕組まれた演出、『法燈継承』>


第三代目・谷口雅宣先生が指導された平成15年度生長の家教修会の最大の開催目的はご自身の法燈継承を教団組織全体に広く認知徹底させる事にあったのであります。



(1)先ず、第三代目・谷口雅宣先生は当時の磯部和男教化・講師部長の基調講話に於いて次の如く語らせておられます。<『歴史から何を学ぶか』(P.3−4)>

<<「今の生長の家は谷口雅春先生の教えを曲げて伝えている」と言って、現在の生長の家の運動を非難する冊子を発行したり、海外の被包括団体の“独立”を唱える人がいることは、皆さんもご存知とおもいます。こうした中、私たちは生長の家の法燈継承の意義を改めて確認し、徹底したいと思います。生長の家の法燈継承のあり方については、ご存知のように「生長の家教規」第10条に規定されていますが、その第10条の改正履歴をたどるとともに、その改正の意味合いを探ることなどを通して、生長の家の法燈継承の意義を心に銘記したいと思います。>>



(2)次に、第三代目・谷口雅宣先生は、第2シンポジウムの指導講話に於いて次の如く話しておられるのであります。<『歴史から何を学ぶか』(P.179)

<<生長の家の法燈継承というものは、単に「師と弟子」の二者間でいわば“個人的”に“内密に”おこなわれるのではなく、公に発表する形でもおこなわれるし、そのことを「教規」にも書いてきちんと制度化しているのであります。

具体的に申し上げますと、私が生長の家副総裁になったのは平成二年の十一月の秋季大祭の時です。だから、この黒河内講師の資料によると、昭和五十一年九月二十五日に改正された生長の家教規において法燈を継承したということになるのですね。その教規の条文では、十条ですね、『副総裁は総裁の逝去(せいきょ)によって総裁の位置を襲(つ)ぐ。新総裁襲任する時は、その期間中にその後継者を創始者の家系に属する者のうちより適当なる者を推挙し、推挙されたる者は次期の総裁候補として副総裁の位置につく』。

まあ、そういうことで、私は自分で言うのは非常にもったいないことでありますけれども、この規定に従ってわたしが副総裁になったので、そのとき法燈は継承されたというのが正しい答えであります。>>



(3)このように第三代目・谷口雅宣先生は自信を持って、<生長の家教規第10条によって副総裁就任時に法燈を継承した>と、明言されているのであります。そしてその継承の時は副総裁になった時とも明言されたのであります。このことはP.178に書かれているのであります。

その部分を引用いたします。<<・・・それから、最後に確認しておきますが、法燈継承がいつ行われるかという問題です。みなさん、どう思われますか?・・・実はですね、私も完璧な自信があったわけではない。(笑い)それで、この教修会のプログラムを谷口清超先生のところへ持っていって、「こういうものをやりたいと思いますが、この法燈継承の問題で参加者から質問が出ると思うので、一応確認の意味で教えていただけないでしょうか。私への法燈継承はあったのでしょうか?」(笑い)――ズバリそのまま聞きました。すると、先生は不思議そうな顔をされましてですね、「それはあなたが副総裁になった時に---------」とおっしゃった。(拍手)>>



(4)上記二つの第三代目・谷口雅宣先生のご発言から次のような疑問点が浮かび上がって来るのであります。


(イ)生長の家教規第10条は「総裁及び副総裁」に関する規定であって、「法燈継承」に関する規定ではない。第10条の中には、「法燈継承」という文字はどこにもない。


(ロ)第三代目・谷口雅宣先生は平成15年の教修会直前に清超先生に「私への法燈継承はあったのでしょうか?」と尋ねられている。ということは、第三代目・谷口雅宣先生は清超先生から未だ法燈継承の認可(申し渡し・面授)を受けていなかったということであります。しかるに一方に於いては、第三代目・谷口雅宣先生は「師と弟子」の二者対面しての継承に関するテストと認可(面授)は「教規第10条」に書かれてキチンと制度化され公に発表するようになっていると説明されている。即ち、第三代目・谷口雅宣先生は清超先生からの認可(面授)は完了していると説明されている。公に発表する資格のあるのは清超先生のみ、しかし清超先生による公の発表もなければ、「聖使命新聞」の公表記事もない。要するに、「第二代目・谷口清超先生による第三代目・谷口雅宣先生への『法燈継承の公式認可(面授)』は、為なされなかったのである」というのが真相であります。


(ハ)「このままにしておくと、いつまで待っても清超先生からの面授もなければ全信徒への公式発表もないであろう。既成事実を積み上げていかねばならぬ、と考えられたのでありましょう。誰も疑問を持たない既成事実の積み上げ、その第一は清超先生から「法燈を継承した」との言質を得た既成事実を演出して「教規第10条」の“類推拡大解釈”(総裁・副総裁=法燈継承者と解釈)と抱き合わせて、平成15年度の教修会で“公の発表”を行なう.そしてその“公の発表”を「聖使命新聞」に掲載させると共に、各教化部長から組織幹部、全信徒へと浸透させていく。

以上の筋書きを既成事実化するために、第三代目・谷口雅宣先生は、一世一代の自作自演の寸劇――<<「こういうものをやりたいと思いますが、この法燈継承の問題で参加者から質問が出ると思うので、一応確認の意味で教えていただけないでしょうか。私への法燈継承はあったのでしょうか?」(笑い)――ズバリそのまま聞きました。すると、先生は不思議そうな顔をされましてですね、「それはあなたが副総裁になった時に---------」>>を着想せられて緻密な計画を練って実行に移され一応この自作自演劇は成功を見たのであります。これが最も筋道だった矛盾のない解釈であると思えるのであります。


(ニ)かくの如く考えますと、第三代目・谷口雅宣先生の『法燈継承』についての結論は、

@ 生長の家教団に於いては、「法燈継承に関する規定」はない。

A 第二代目・谷口清超先生から第三代目・谷口雅宣先生への『法燈継承』は行なわれていないのが真相である。それは、第二代目・谷口清超先生御自身による公式発表が最後までなかったという事実によって証明されている。

B 常識的に考えても、開祖・谷口雅春先生の「本来の御教え」とは異なったことを説き、あまつさえ、開祖・谷口雅春先生の御著書を50冊以上に亘って絶版処分(平成の焚書)を強行した者へは、如何に吾が息子といえども清超先生は開祖・谷口雅春先生の法燈だけは継承させることは出来ないと判断されていたと思われる。極めて当然な事である。清超先生は雅宣副総裁がここまで暴走するとは夢にも思われなかったと考えられるのであります。

C 第三代目・谷口雅宣先生は総裁ではあるが、“法燈継承者ではない”。法燈継承ドラマを自作自演した自称の法燈継承者である。というのが結論であります。以上の諸点を組織幹部の一人が質問として教化部長に尋ねたところその教化部長は何も答えることが出来なかったと聞き及んでおります。

D 最後まで残る疑問点が一つあるのであります。其れは、“然らば、ナゼ法燈継承の資格と資質を欠くと判断されたのに最後まで清超先生は第三代目・谷口雅宣先生の更迭を決断されなかったのであろうか?この疑問に対するお答えは清超先生のみぞ知る!しかし、これは今となっては永遠のナゾであります。(但し、推測は可能ですが省略いたします。)

E 最大の被害者はお孫さま信仰に生きる末端の高齢者信徒の皆様であります。この意味からも第三代目・谷口雅宣先生の教団からの辞去を求め、『盃の水を一滴も残さず、零さず、そのまま次の盃へ移しかえる』本当の「法燈継承者」による真の生長の家教団の復活を何としてでも成し遂げなえればならないのであります。
                              


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<特集> 満天の 綺羅星 充満 生長の家(25)


谷口雅春尊師を偲びて


<各界識者からの追悼のことば>
(「聖使命」昭和60年8月1日号)


永遠生き通しの生命 ・ 片岡仁左衛門  歌舞伎俳優

<<新聞で谷口先生の御逝去を拝知しました時、私はかつてその事に行きあった時のことを想像しただけで言い知れぬ悲しさと不安にうろたえましたのに、それが現実となった今、誠に心静かに合掌している自分が不思議でなりませんでした。心の片すみでは涙がでないのが不満でもありました。しかし考えますと長崎へ移られて此の方毎朝夕、御神前において先生御夫妻に感謝のおいのりをささげて久しい私には、先生はすでに生死を超えた神であり御仏であられたのだと気がつきました。それが聖使命紙で御最後の御様子や御葬儀のことなど拝読いたしますに及んで悲しさ懐かしさがひしひしと胸に迫って来たのでございます。
 何年か前のお正月、家内が御年始にお山へうかがいますと、二日ほど前に長崎へお移りになったとの事で大変残念がっておりましたが、その頃はお芝居へ御案内申し上げますとおいそがしいなかよくお出かけ下さり最後まで楽しそうに御見物下さいました。ある時先生は鰻がお好きとのことに家内が幕間に御用意いたしますと奥様が「こんなに沢山は頂けませんヨ、今度からはもっと少なくネ」とおっしゃるのを先生はニコニコとおうなずきになっていらっしゃったそうですのに思えばお芝居もその時が最後になったのでした。
 何や彼や思い出しつつ私は懐かしさに先生のテープをおかけしました。
 先生はやはり私たちの中で生き通してお導き下さるのだとしみじみ有難さでいっぱいになりました。>>
                                     合掌







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