生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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<再掲示シリーズ> 「偽(ニセ)生長の家・マサノブ教」VS「正統・生長の家」・・・ニセモノは「無の世界」へ追放されて自壊する・・・(28)  他の宗教にはない「国家の成仏」 (6245)
日時:2015年02月11日 (水) 07時17分
名前: 再掲載シリーズ選定委員会



開祖・谷口雅春先生は、在来の宗教の枠を超えて「国家の成仏」を説かれたのであります。「マサノブ教」では「個人の成仏」(病悩苦からの救済)も「国家の成仏」(日本國實相顕現=真理国家の建設)のいづれをも説いてはいないのであります。



@ 新しき宗教の使命
開祖・谷口雅春先生は、昭和42年度「生長の家青年会全国大会」での御講話で

<<・・・従来の宗教というものは、単に個人が悟りを開く、そして自分の生活がよくなるとか云うような問題も、むろん人間を救う上では必要でありますけれども、さらに国家の成仏と云う事が、それが出来る宗教でなければならないと云うわけであります。
 国家の成仏と云うのは、お釈迦さんが示された金波羅華の世界の、その秩序整然たるすがたにこの世界をならしめると云うのが、それが国家の成仏というわけなんです。つまり、お釈迦さんは何のために出現したかというと、この世界が金波羅華の世界、もうひとつ言い換えると蓮華蔵世界、蓮華の荘厳たる姿を内に蔵している蓮華蔵世界である。その有様を地上にですね、完成する。そうすると地上の国家が成仏して(成仏とは“仏のいのちそのまま”になる)、言い換えると実相の世界“そのまま”になると云う訳なんであります。それが新しき宗教の使命でなければならぬと考える訳であります。>>

と、日本国実相顕現運動の真義を説かれたのであります。



A  昭和38年2月28日、第13回全国代表者会議の結語として谷口雅春先生は、―――

<<・・・“人間神の子”を説く宗教は他にもある。“肉体も環境も心の影”と説く宗教もある。万教帰一だから根本は同じである。だがそれでは、特に何故生長の家が出現したのか、生長の家の神は住吉大神である。その住吉大神が、なぜ今ここに、日本の国土にこの時期に顕れ給うたのか。そこが非常に大切なところである。『古事記』に示される如く、住吉大神は天照大御神の御誕生の直前に顕われられた。最後の宇宙浄化の働きとして、宇宙の大神が住吉大神と顕われ給うたのである。天照大御神の御誕生とは、日本の実相の誕生ということである。日本なるものの魂が具体的に宇宙を照らす光となると云うことである。この直前に、最後の浄化の働きとして住吉大神が今ここに顕われ給うたという、ここに生長の家出現の真意があるのである。
 ただ単に、人間は神の子であり、物質ではない。肉体は無い。病気は治ると云う、それだけの事ではないのであって、天照大御神の光が宇宙に天照らすべく、天皇陛下の御稜威(みいつ)を発現せしめて、日本の国を救い、世界を救うと云うところに、生長の家出現の本当の意義がある。従って単に、個人の救いにとどまらず、宗教的自覚をおし進めて、国家の成仏、人類全体の成仏、宇宙の成仏と云うところまで行かなければならないのであって、その一つが政治活動なのである。・・・>>



B 生長の家の「国家観」は、開祖・谷口雅春先生の“大悟徹底”(お悟り)が原点であります。

即ち、開祖・谷口雅春先生は「金波羅華天皇国日本の實相」に御開眼され、これが原点であります。


 << 大日本国体の尊厳無比、宇宙の実相と同体にして久遠無窮なる事実・・・大日本国家は因縁仮和合の国家ではない・・・私は『無』の門関を超えて、釈尊の指頭にある金波羅華が象徴する「実在」の荘厳無二組織完備の大日本国家を把握したのである>>(『無門関解釈』第六則「世尊拈花」の公案解釈P.70−72)

 
 <<金剛不壊の世界・蓮華蔵世界・・・私は此の世界を直接見たのである。直接触れたのである。絶対実在の絶対認識である。その絶対実在の世界は決して無常の『空』なる世界ではなく、金剛不壊にして、『実』なる世界なのである。>>(『驀進日本の心と力』P.133)




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<特集> 満天の 綺羅星 充満 生長の家(28)


谷口雅春尊師を偲びて


<各界識者からの追悼のことば>
(「聖使命」昭和60年8月1日号)


新宿の一夜 ・ 難波田 春夫  関東学園大学学長

<<私が谷口先生にお眼にかかったのは、戦時中のことであって、たった一度しかない。先生がやっていらっしゃる雑誌の座談会に出席したときのことであり、場所は、新宿にある旅館の薄暗い一室であった、と記憶している。ほかに出席された方々がどなたであったか、今は全然忘れてしまった。憶えているのは、人数が非常に少なく、私をいれて四、五人にすぎなかったこと位である。生意気盛りの私は青年客気にまかせて、ひとりでしゃべりまくっていたに相違ない。
 そのとき、先生は、その座談会を重要視されていたからであろうか、その部屋の片隅に、終始黙って私たちの話に耳を傾けていらっしゃった。そうしてその傍らには、奥様が控えてらっしゃった。このときのお二人の姿が、いまもなお鮮明に、私の脳裡に残っているのである。
 なぜこんな些細な情景が、はっきり想い出されるのであるか。それは戦後のいまでも珍しいことであるが、当時としては、こんな座談会の席などに、夫妻で出席することなど、皆無といってよかったからである。戦後、生長の家が今日の大を成すにいたってから、この大業が先生お一人の力ではなく、影の形に添うごとき奥様の御協力、したがって労苦を共にされたお二人の力によるものであることを知り、なるほどそうであったのかと、今更のように感を新たにしたのである。
 先生にお目にかかったのは、後にも先にも、そのときのたった一度だけである。しかし先生は、私のことをよく記憶していて下さった。
 終戦から十年ばかり経った或る日、生長の家の熱心な信者の一人が、「先生のことがここに出ていますよ」といって、生長の家から出ている月刊の小さな機関誌を見せてくれたが、そこには、天皇制について書いた私の小冊子の一部分が引用され、「私の尊敬する難波田博士はこうおっしゃっている」と述べられていた。
 先生は、あんな小冊子にまで眼を通し下さっていたのである。
 その後さらに三十年、戦前のことなんか何もかもすべて「往時茫々(おうじぼうぼう)」となり果てた。けれども私の脳裡には、先生にお目にかかった最初にして最後の新宿の一夜の情景が、くっきりと刻み込まれて離れない。>>
                                合掌






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