生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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<再掲示シリーズ> 「偽(ニセ)生長の家・マサノブ教」VS「正統・生長の家」・・・ニセモノは「無の世界」へ追放されて自壊する・・・(31) 暴走機関車「マサノブ号」シリーズ@ (6268)
日時:2015年02月14日 (土) 11時38分
名前: 再掲載シリーズ選定委員会





 暴走機関車 雅宣号!



日時:2012年05月07日 (月) 10時35分
名前:鳶(とんび)


雅宣総裁は独裁教主
「教規」の無視すら平気の平左
『生命の實相』などもう要らぬ
俺が新聖典、書き上げる


「大調和の神示」もう要らぬ
あれは兄弟追放批難の元凶


聖経『甘露の法雨』もう要らぬ
聖経『大自然讃歌』こそ時代即応


副総裁など不必要
置けば派閥の形成・地雷源


教勢低下も気にしない
手元資金は余裕しゃくしゃく


茶坊主達は反抗できず
やはり人間、お金に弱いもの


小さい時の“ミソ汁の恨み”
あれは俺の生涯のトラウマ
恨みは晴らさでおくものか
「生長の家」解体、わが使命
教祖反逆は貫くぞ


「森のオフィス」俺の趣味
セレブ生活、なに悪い


奉納金、一旦入れば俺のもの
森のオフィス、株式投機
総裁決済は自由なり
これが独裁教主の特権だ


俺はもともと冷酷非情
教団の将来、どうでもよし
最期は解散すればよい


それまで蓄財! それ蓄財! スイス銀行最も安全
純子よ、老後はカナダ湖畔で優雅に暮らそうぞ。



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永遠地獄の良き住民となりぬ


日時:2012年05月12日 (土) 03時55分
名前:蒼穹


そこに丹波哲郎顕れて
太くこもった声を出し
雅宣よ貴兄の行く先は
無限地獄界の良き住民となろう

夫婦揃って現世の
蓄財重荷を両肩に
背負わされて
八ヶ岳の山道を
青鬼、赤鬼達にむち打たれ
早く登れと、徹夜で歩かされ
全身血だらけ、よたよたと

現世で我欲に溺れた者の行く末は
如何に総裁の地位であれ
世界の救世主の孫であれ
地獄絵図の生活待っている

これに続きし現信徒達
この地獄まで付いて行く覚悟ありや
今なら間に合う
今立ての声に従い
総裁交代の声上げよ

かくして生長の家
「生命の実相」に復りたもう
天皇信仰に復りたもう
皇祖々の神霊、歓喜され
本流復活信徒を守りたもう
ありがたきかな、ありがたきかな

本部正面のご神像姿した
谷口雅春先生顕れて
「生命の実相」の巻物を手に
よくぞ守ってくれた
これは、人類救済の為
地上の人間に是非必要だ
今後も益々本流復活信徒を守り続けよう

その時、周囲は一瞬明るくなり、観世音菩薩が顕れ
菩薩の冠には光輪卍十字架が輝いていた。

有り難うございます
有り難うございます



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<特集> 満天の 綺羅星 充満 生長の家(31)


谷口雅春尊師を偲びて


<各界識者からの追悼のことば>
(「聖使命」昭和60年8月1日号)


谷口雅春先生を偲んで ・ 夜久 正雄  亜細亜大学教授

<< 若い頃、朝寝夜更かしの習慣を改めることができなかった。随分努力したが駄目だった。その頃、病気の先輩が、谷口雅春という人の「生長の家」の全集でよくなった、ということを聞いたので、半信半疑で谷口雅春の本を読んだ。読み終わって、朝、早く起きられるようになった。それで、私は、谷口雅春という人の言葉の治癒能力を信じたのである。
それは昭和十二、三年頃のことではないかと思う。もちろん谷口雅春に会ったこともなくその思想についても知らなかった。
 降って、昭和三十四年に私は『歌人今上天皇』という本を明治書院から出した。時はちょうど、六十年安保闘争の学生運動のさ中だった。当時のジャーナリズムは急進的な左翼学生運動を煽り立てるのに急で、もちろんこの本には一顧も与えてくれなかった。著者も無名で仲間意外には買ってくれる人もなかった。
 その時、谷口先生が、『生長の家』の「明窓浄机」欄にこの本を取り上げてくださって、今上御製についての感想をも書かれたのである。つづいて谷口清超氏も今上御製についての感想を書かれた。それで生長の家関係の青年諸君が、当時としては珍しく本書を購読してくれたのである。仲間いがいの若い人の中にもそういう人がいることが力強く有難かった。
 それからもう二十五年になる。爾来、特にお目にかかったことも文通申し上げることもなかったが、先生の言動はつねに現代思想改革の先達であり師であった。>>
合掌








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