生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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“人類光明化運動指針”第9条について (6305) |
- 日時:2015年02月19日 (木) 23時49分
名前:百合の花
「今の教え」ではこの“人類光明化運動指針”第9条をもって、金科玉条の如くに守ろうとされております。 将に、水戸黄門さまの“印籠”のように!
では、実際にその条文の意味するところを検証してみたいと思います。
第9条 生長の家の各員は、如何に運動の分野が多岐にわたり組織が複雑化すると雖も、光明化運動の中心が何であるのかを常に見失ふことなく明らかに自覚して行動すべきである。生長の家大神―総裁―副総裁―御教。 この 三つを 結び貫く神意の展開が、光明化運動の不動の中心である事を、生長の家人たるものは一瞬たりとも忘れてはならない。
・「今の教え」では、ここの所を “生長の家大神―谷口雅宣総裁―御教” と解釈し、 第三代目総裁谷口雅宣先生に<中心帰一>しなければならないと説くのであります。
・雅春尊師の時代に書かれたものをそのまま現代に継承することにおいて、多くの書物 が“原理主義”の名のもとに焚書(絶版)されております。 しかし、この部分につ いては、頑なに固守されているのであります。
・しかし、“人類光明化運動指針”が提起された時の「総裁」は誰だったのでしょうか? 谷口雅春尊師だったのであります!!
・さすれば、谷口雅春尊師が帰幽されたその時に、この部分は “生長の家大神―谷口 雅春開祖―御教―総裁” と修正しなければならなかったのであります。
・そして、“この三つを結び貫く神意の展開が、光明化運動の不動の中心である事を”と 書かれております。 「神意の展開が不動の中心」であるのであって、特定の人間が 中心とは書かれていないのであります。
・「第三代目総裁谷口雅宣先生の述べられたこと=神意」なのでありましょうか? 講習 会のテキストとされている「小閑雑感」等々に述べられていることが、「神意」なので しょうか?
・第三代目総裁谷口雅宣先生の 「主義主張」や「趣味」は断じて<神意>ではありませ ん。
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続き・・・・・ (6306) |
- 日時:2015年02月19日 (木) 23時53分
名前:百合の花
中心者が 如何にその人が有力者であろうと長年光明化運動に献身して来やうと、素晴らしき体験をもつ指導者であらうと、断じてその人を中心にしてはならない。 若しも人を中心にすれば、その人が理解し把握してゐる以上の運動の展開は不可能となり、歪んでゐれば運動も歪むほかなく、その人とそりの合わぬ者、反動意見の者は身を引くか、対立して禍痕を残すであらうし、若し或る人が情熱的な信仰を持つ場合、その人が眞に中心を明らかに自覚してゐる場合はよいが、唯熱心であるだけならば、何時かその人に頼り過ぎ、その人が転任或いは他界した場合は、忽ち火の消えた様に衰微してしまった如き事例は往々にしてある。 すべて皆中心を誤ってゐることに気がつかなかった為である。 光明化運動に於いては人は中心ではない。 神意が中心である。 その神意現成の組織に於ける自己の部署と役割とを誤りなく遂行して、始めて人はその使命を果たし得るのである事をよくよく銘記して行動すべきである。
・“断じてその人を中心にしてはならない” “光明化運動に於いては人は中心ではない。 神意が中心である”
・如何に「第三代目総裁谷口雅宣先生」であろうとも、個人としての「谷口雅宣先生」 を中心に光明化運動があるのではなく、<神意>が中心なのであります!!
・「第三代目総裁谷口雅宣先生」は、“ご自身が述べていることこそが「神意」である” とお考えなのでしょうか?
・もしも、その様にお考えであるならば、雅宣総裁の述べる「神意」が正しいと誰が証 明できるのでありましょうか?
・雅宣総裁は“私の『理性』が正しいの判断する”と言われるのでありましょうか?
・雅春尊師は“天界からの啓示”によって書を為されたたが、第三代目雅宣総裁におい ては、“現象智”でもって書く以外にないのであります。
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