生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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日本教文社からの頭注版『生命の實相』を発行は善の行いではないのか。 (6352) |
- 日時:2015年02月25日 (水) 16時29分
名前:HONNE
生長の家社会事業団(学ぶ会と光明思想社を含む)は、財政力から見ても、頭注版『生命の實相』を出版できない。新編『生命の實相』出版のこだわりもある。日本教文社とは著作権の絡みから、信頼関係が断たれたというが、それは生長の家社会事業団側にとって都合のよい口実だけのことである。雅宣総裁及び指導部層が『真の生長の家の教え』とはかけ離れた教団運営をひたすら進めていいることが面白くないのだ。そこに有るのは憎しみの世界であって、赦しの世界は無い。 神殿であるという『生命の實相』全巻が頒布されていない現状は、本流・正統を唱える者にとっては憂うべきことなのに誰も声を上げようとはしない。まるで、「臭いものにはものには蓋」の教団を見ているようです。
『掛け巻くも畏こき宇宙の大神、人類の苦悩を見そなわし、応化して仮に聖姿を顕じ、広大の慈門を開き給えり、名づけて生長の家と謂う。一切衆生を証入せしめんがためなり。人天誰か入らざるものあらんや。如何なる宗派に属するものなりとも、此の広大なる慈門は、すべての宗派を超越して、人類の苦悩を消滅し、滅罪清浄ならしむるなり。』
本流にも『広大の慈門』は見えない。見えるのは『組織の我欲』です。
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