生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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「雅宣教」(今の教え)の根本的間違い――それは、雅宣総裁が“現象”の立場に立って「今の教え」を構築していることである! <事例 6> (483) |
- 日時:2013年03月16日 (土) 19時57分
名前:画龍点睛
開祖・谷口雅春先生の『御教え』と「雅宣教」といわれる「今の教え」との根本的相違点は何処にあるのか? それは一言で言えば――
開祖・谷口雅春先生の『御教え』は、「實相」という観点から説かれているのであります。しかし、雅宣総裁は、講習会では生長の家の教えの基本は「唯神實相・唯心所現」とは概論としては説明しておりますが、個別的なことがらに関しては、實相の観点からではなく“現象”の観点から、“現象=実在”という理解の上に立って論じているのであります。この点が「雅宣教」(今の教え)の根本的誤謬であります。以下、個々の事例によってこのことを確認いたします。
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<事例 6> 「理念」と「理性」について
@ 開祖・谷口雅春先生は「理念」という言葉をよく使われた。しかし、教えの後継者を自認しながら雅宣総裁は「理念」という言葉を(私が知る限りに於いて)使ったためしが無い。そのかわりに「理性」という言葉を多用するのであります。
A 辞書の定義は別として、開祖・谷口雅春先生の『御教え』から判断しますと、「理念」とは、<實相世界に実在する“純粋形相”>であり、その「純粋形相」なるものは<無限相にして完全円満至美至妙なる形相>を有しているものであると理解させて頂いております。このように、「理念」なる言葉は、實相世界に属するコトバでありますので、「無の関門」を超えることの出来ない雅宣総裁にとっては“辞書的理解”は出来ても“生命的悟得”は不可能であります。だから雅宣総裁は「理念」という言葉を的確に自由自在に使うことは出来ないのであります。實相世界からの「理念の天降り」なんて信じられないのでありましょう。さらに、「理念は現実に先立つ」、「現象界の条件が整った時に理念が現実化する」という表現も雅宣総裁の書く文章に於いては一切ないのであります。雅宣総裁にとっては、教えの継承者の位置にありながらも、「理念」という言葉は“猫に小判”の如きものであります。
B その代わりに雅宣総裁は、「理性」という言葉が大変好きなようであり、あちこちで多用するのであります。その影響で、純子夫人などは「“理性”について書いて欲しいわ」と夫君に懇願したり、自らも「聖典・教典は“理性”で解釈しなければ狂信的信仰となる」と白鳩誌に書いているのであります。わたしの知る限りでは、雅宣総裁が「理性」とは何ぞや? について明確に定義づけている文章を読んだことが無いのであります。雅宣総裁の「理性」という言葉の内容は<科学的合理性>・<現象的整合性>・<冷静なる判断力>・<社会的一般許容性>といった意味で使っていると推測するものであります。このほかにわたしは<神の叡智>という意味もあると思うのでありますが、雅宣総裁は<神の叡智>という意味は排除しているものと思われるのであります。
C 雅宣総裁は、現象的立場で現象を見ているわけでありますので、「理念」という言葉の使いようは無く、「理性」という観点から現象を分析するのであります。これが「今の教え」という「雅宣教」の思考特徴なのであり、「理念の現象化」という立場の開祖・谷口雅春先生の本来の『御教え』(唯神實相哲学)とは根本的に相容れないところなのであります。
D さらに考察を進めていきますと、雅宣総裁の深層心理の思想は、「初心者」なる名前を使って言わしめているように,“バサラの思想”(破壊蕩尽思想)であります。権威あるものに対抗して破壊して行こうとの思想であります。具体的には開祖・谷口雅春先生の『御教え』を“原理主義思想”で破壊し、教団資産を蕩尽し、天皇制を女系天皇制導入によって実質的崩壊に導き、国家概念は戦争の温床であるとして世界統一国家思想、世界市民思想へと洗脳誘導を為して行きつつあるのであります。
E この雅宣総裁の考え方は、1776年にドイツのインゴルシュタット大学の教会法教授であったアダム・ヴァイストという哲学者が創設して全欧に広まった秘密結社「イルミナティー」の結成思想――<神に代わって“理性”が人間の宗教となる。そのときに人類社会の諸問題が解決される>と述べられていることと奇しくも符合しているのであります。 (現在ではフリーメーソン・イルミナティーという「ロスチャイルド・ロックフェラー世界的金融財閥を中心とした世界的共同謀議組織」となって世界を実質的に動かしているのであります。) 少し極端な言い方ではありますが、雅宣総裁の開祖・谷口雅春先生御創始の「生長の家」つぶしは、上記の「イルミナティー」の思想との共通性が大いに感じ取れるのであります。いや、むしろ雅宣総裁は何らかの形でその支配を受けて動いているかも知れないとの危惧も感じられます。
F 雅宣総裁は、「価値観の多様性」という言葉をよく使う。これとよく似たことを言っているのが文部科学省中央教育審議会(中教審)の山崎正和会長であります。山崎正和氏はいう――「現在の教育システムの下で倫理教育を行うのは無理だと思っている。なぜかというと、現代社会は一面で価値観の多様性を認めているからだ。だから、現在の道徳教育も要らない。その代わり、法の教育をすればよい」、このように公然と道徳教育不要論を唱えているのであります。雅宣総裁も「日本精神は既に死語となっている」、と日本精神の復活を日教組の言う“逆コース”(戦前の軍国主義への舞いもどり)といっているのであります。だから、憲法改正反対の立場で、「あんな良い憲法を何故変えなきゃならないの?」とも言っているのであります。
G このように、雅宣総裁は「生長の家」の後継者としては完全に不適格者である事が分かるのであります。全信徒はこの雅宣総裁の実像を冷静に見つめ、速やかに総裁を辞去してもらって「環境の家・雅宣教」として独立してもらう声を全国的に挙げていかなければならないのであります。お孫さま信仰信徒の皆さまも、一日も早くこの事実に気付き開祖・谷口雅春先生の本来の『御教え』復活を成し遂げねば成らないのであります。
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