生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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生長の家「今昔物語」・霊界篇の再掲示<第二十二話> (492) |
- 日時:2013年03月17日 (日) 09時33分
名前:信徒連合
生長の家「今昔物語」第五篇 霊界篇
第二十一(通算第263話)
霊界とは、どのようなところか?(その三)
情死者・自殺者全般
(『人間死んでも死なぬ』P.120、201−207)
<<同じく第一圏中のある場所に於いて、情死者の霊魂ばかりが集まっているところをマ氏は見た。断崖に囲まれたその場所には黒き汚水が湖水のように溜まっていた。その中に男女の各々の一対の首らしいものが黒く点々と見えて浮かんでいる。
その湖の岸らしい所に一対の男女がやって来て立ち止まった。男はその湖の中に投身することを女に勧めているらしい様子である。女の顔は青ざめて水の中に入ることを躊躇(ためら)っているらしい様子である。が、とうとう彼らは水の中に飛び込んだ。
「エヘッヘッ-------」と云う笑い声がその時とつぜん聞こえた。それは湖の中で長いあいだ試みたが、ついにここでは自分の望み通りの欲望を遂げる事が出来ないと云うことを悟って、今ようよう岸へ上がって岩に腰掛けている男から出た声であった。
「馬鹿な!彼奴等(あいつら)は浮世にいたときの楽しみが、まだこの世でも得られると思っているのだ。すぐにさっぱり駄目だって事が分かって来るよ。」こうその男は続けて云った。>> (P.120)
<<自殺者の死後の運命は、罪を犯した人の死後の運命と非常に共通した点があるのである――それどころか、普通の罪人以上の悪い運命をうけるのである。
自殺とは卑怯なる行為であり、その結果に恐怖すべき<報い>を招く罪悪である。来るべき苦痛を避けようと思って自殺した死後の霊魂の言葉を借りて云えば、吾々各人は地上に於いて成し遂げねばならぬ責務または使命をもっているのである。これは吾々自身の「善」と向上とのために耐え忍ばねばならぬ試練である。(この地上の世界を試練の世界と見ることはスピリットたちの一致して告ぐるところであるから信じて好いと思う。)
この試練を避けて定められた時以前に人間的苦痛から逃げ出すのは自然の法則に反逆することである。
自然の法則に反逆する者は自然の法則から恐ろしい復讐を受けなければならない。
自殺は肉体的苦痛を逃れるみちではない。
自殺した者の霊魂は、破壊した肉体から容易に蝉脱(せんだつ)することが出来ないで、その肉体の次第に分解腐朽するにつれて、間断なき苦痛を受けるのである。その苦痛は、決してひと思いに死ぬなどの苦しみとは比べものにならない甚だしさである。>>(P.201−202)
<<地上の生命の糸が断ち切られた時、彼の霊魂は、暗黒と苦痛との世界に自分自身を見出しました。
長い間その霊魂は肉体を離れる事が出来ませんでした。墓穴の蓋が自殺した肉体のうえに閉ざされた後までも、彼の霊魂は、長い間その肉体の周囲にたゆとうていました。
かれは許されずにやって来た他界へ来ても誰も歓迎して呉れもしなければ、落ち着きも得られませんでした。暗黒が彼を取り巻いていました。
そして陰暗朦朧(もうろう)たる闇を通して、同種類のみずから破船した人々の霊魂が、平安なき孤独の状態で、悄然(しょうぜん)と蠢動(しゅんどう)しているのです。」>>(P203−204)
<<良心が目覚めの印の最初の身ぶるいをするまで、彼は自分を教導してくれる霊界の先達を呼びよせる事は出来ませんでした。
それまでは彼のこの悲惨な状態を誰も救うことは出来ないのでした。--------暗黒の中でかれの良心が目覚めかけると、霊界の教導職たちはかれに近寄って、その赤枯れた良心を刺激して、悔恨の情を惹き起こそうとしはじめました。
ながい間この努力は効を奏しませんでしたが、やがて徐々に彼は或る程度の罪の意識を回復してきました。そして今いる状態に嫌悪の情を観じて、この状態から逃げ出そうと考えて滅多矢鱈(めったやたら)にこの世界を出る工夫をこらしました。時々退転の念が起こって彼をあとへ引き戻しました。------->>(P.204)
<<この霊魂の救われる道は、何か人のためになる仕事を懸命におこなって、自己救済をはかる他にはないのです。
この目的のためには一度彼は悔恨した上、自己に適しないような労役に服するほかはないのです。その他の道によっては彼を浄化することは出来ません。利己的行為は自己犠牲によってのみ勦絶(そうぜつ)することが出来るのです。
怠惰は苦しい骨折りによってのみ根こそぎにすることが出来るのです。この霊魂は苦痛によって浄化されねばなりません。>>(P.205)
(つづく)
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