生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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4・13「枯れ松模様」−−ーまたまた、「別派・マサノブ教」のマサノブ教祖は、思慮浅き左翼唯物現象論を展開した! 4・12の統一地方選挙・民主党大敗の腹立ち紛れに・・・ (6717)
日時:2015年04月14日 (火) 11時57分
名前:画龍点睛

合掌、ありがとうございます。
4・12の統一地方選挙において、マサノブ君の大好きな民主党は大敗を喫した。特に大阪では府議1、市議ゼロとなってしまったのであります。マサノブ君はこの民主党の大敗に腹が立って仕方がなかった。おまけに、今年に入ってからの各地講習会が何処もマイナスで総裁の威信は地に落ちっぱなし。“踏んだり蹴ったり”とはこのことを言うのでしょう。その激しい腹立ちをマサノブ君は早速「枯れ松模様」で噴出させたのであります。3週間ぶりに吠えたのであります。



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http://masanobutaniguchi.cocolog-nifty.com/monologue2/
平成27年4月13日 (月) 「枯れ松模様」=物質的繁栄をさらに求めて=(概要)


 昨今の一般的な工場生産方式と製品販売戦略がエネルギーと資源の浪費を招き、自然破壊、廃棄物の増加、海水の酸化、地球温暖化などの元凶になってきたという事実・・・それを改める政策が国の政治に取り入れられたことはない。・・・国はもっぱら経済団体の意向を心配しながら、「経済成長」とか「需要拡大」とか「国民所得の拡大」という言葉を使い、それがまるで国家の“理想目標”であるかのように扱ってきた。 しかし、これら4つの“理想目標”を追求する結果として、「エネルギーと資源の浪費」「自然破壊」「廃棄物増大」「地球温暖化」が起こるということ。・・・これらは決して“理想目標”などではない・・・今日の地球規模の生態学的問題を解決するため−−いや、少なくともその緩和のためには、早々に4つの目標を掲げることをやめなければならないのだ。言い換えれば、経済発展至上主義は地球全体にとって“有害である”ことをはっきり認めねばならない。・・・この経済発展至上主義が長く続いたおかげで今、世界的に起こっているのが貧富の格差の拡大である。・・・世界の富の分配に、このような圧倒的な遍在(不平等)があるという事実をよく考えてみよう。これは第二次大戦後、人類が加速度的に進めてきた「地下資源を地上に掘り出して使う」という資源とエネルギーの利用法が、この富を生み出してきたということだ。富の偏在は経済力の偏在であり、技術力の偏在であり、さらには政治への影響力の偏在である。・・・世界の動向に圧倒的な影響力をもつ人々は、これまで積み上げてきた富や技術、政治的利益を犠牲にしてまで、“地球にやさしい社会”などつくりたくないのだろう。・・・こんな書き方をすると、「日時計主義はどこへ行った!」と多くの読者から怒られるかもしれない。だから、上の文章には条件をつけよう。それは、「人間が自己利益の増進を最大の目的として生きると考えた場合」という条件だ。・・・「人間は神の子である」という教えは、そんな考えを否定している。だが、現象的には「人間は自分が信じたとおりのものになる」のだから、「物質的繁栄が人間の幸福だ」という考えが、社会の上層部の人々−−つまり、世界の80%の富を占有している実力者たち−−の間に浸透するにつれて、地球社会は後もどりができない混乱の中に沈潜していく可能性を否定してはいけないのである。「人類光明化」と「国際平和」を希求する私たちの運動が、もっと強力に展開され、停滞してはいけない理由がここにある。 第18回統一地方選挙の前半戦の結果が出た。大阪を除き、自民党が第一党になった。つまり、国民の意思は「現状路線を継続しろ」ということだろう。大規模で後戻りできない地球規模の環境劣化が進むなかで、日本国民の大半は「それでも経済発展を望む」との意思表示をしたことになる。谷口 雅宣



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<講評>


やはり、マサノブ君は、真の「生長の家」の『御教え』が理会出来ていないで、単なる「左翼唯物現象論」という価値観を持つ評論家でしかないのであります。以下の点においてであります。
@ 批判すれども対策なし
A マサノブ経済学は唯物経済学
B 「人間は自分が信じたとおりのものになる」は客観的評論コトバ。なぜ、「人間は自己人生の主人公」と能動的表現が出来ないのか?
C 唯物的価値観の社会では自由と平等は両立せぬ。
D 霊的音痴のマサノブ君には、個生命(タマシイ)の進化道場としての地球の宇宙に於ける霊的存在意義が判っていない。




<詳論>

@ 批判すれども対策なし

1、 「昨今の一般的な工場生産方式と製品販売戦略がエネルギーと資源の浪費を招き、自然破壊、廃棄物の増加、海水の酸化、地球温暖化などの元凶になってきたという事実、それを改める政策が国の政治に取り入れられたことはない。」

2、 「国はもっぱら経済団体の意向を心配しながら、『経済成長』とか『需要拡大』とか『国民所得の拡大』という言葉を使い、それがまるで国家の“理想目標”であるかのように扱ってきた。 しかし、これら4つの“理想目標”を追求する結果として、『エネルギーと資源の浪費』『自然破壊』『廃棄物増大』『地球温暖化』が起こるということ。・・・これらは決して“理想目標”などではない・・・今日の地球規模の生態学的問題を解決するため−−いや、少なくともその緩和のためには、早々に4つの目標を掲げることをやめなければならないのだ。」


3、 「 経済発展至上主義が長く続いたおかげで今、世界的に起こっているのが貧富の格差の拡大である。」

4、 「富の偏在は経済力の偏在であり、技術力の偏在であり、さらには政治への影響力の偏在である。」

5、 「世界の動向に圧倒的な影響力をもつ人々は、これまで積み上げてきた富や技術、政治的利益を犠牲にしてまで、“地球にやさしい社会”などつくりたくないのだろう。」

6、 「『物質的繁栄が人間の幸福だ』という考えが、社会の上層部の人々−−つまり、世界の80%の富を占有している実力者たち−−の間に浸透するにつれて、地球社会は後もどりができない混乱の中に沈潜していく可能性を否定してはいけないのである。」



上記の如く、マサノブ君は現代資本主義社会の工場生産方式と拡大的販売戦略のもたらす弊害について列挙しているけれども、このように列挙する事はやさしいのであります。しかしこのような弊害の列挙は一般庶民だって出来ることであります。大宅壮一氏の言葉である“一億総評論家時代”。しかし大切なことは「然らば如何に改善していくのか?」と言う具体的提案が無ければならないのでありますが、マサノブ君はそこまでは言わないのであります。だから、彼は単なる評論家に過ぎないのであります。なるほど彼は「「経済発展至上主義は地球全体にとって“有害である”ことをはっきり認めねばならない」と提案をしているつもりですが、「認めて、そして・・・」どうするのでしょうか?彼の考えの行き着くところは、「原始的生活に戻る」と言う提案でしかないのであります。


仮に、日本人全体が彼の提案を受け入れた場合どうなるでしょうか? 工場生産はゼロになるのですから、日本の山川空気はキレイになります。そして、自衛隊の装備は、槍・刀・弓矢しかありません。喜ぶのは朝鮮と共産中国であります。言うまでもなく彼らは最新兵器によって装備した軍隊を使って日本領土の侵奪を始めることになり、日本民族はチベットやウィグル民族と同じく隷従民族となります。そして、共産中国から大勢の移民が来て、再び工場生産を開始し、今まで以上に資源を掘り出して山は禿山となり、河川は汚濁し、空気は汚染されることは必定であります。マサノブ君は日本政府に対して吠えているのみで、朝鮮や共産中国に対しては、尻込みしてシッポを巻いて意見する勇気がないのであります。此処のところが、マサノブ理論の最大欠陥であり、金持ちボンボンの“幼児性”の現れであります。


現代資本主義社会のもたらす弊害の指摘は彼の言うとおりでありますが、しからば、その“弊害”の根本原因は何なのかについての考察がマサノブ君には出来ていないのであります。「三界唯心所現」でありますから、人類の持つ「唯物的生活価値観」が根因であります。もっと多くのお金が欲しい。グルメ・旅行・有名品志向・・・絶対的多数の人間の持つこの唯物的生活価値観を唯神実相の霊的生活価値観へと転換していかなければならないのであります。これが最も重要なる根本的対策であり、またこれは一重(ひとえ)に生まれたときからの「教育」しだいであると認識しなければならず、ここに家庭教育・学校教育の重要性があるのであります。マサノブ理論にはこのことが完全に捨象されているのであります。この価値観の転換教育が社会全般に広がって効果を発揮していくときには、マサノブ君の指摘した一連の“弊害”は軽減されていくわけですが、そこまで人類社会が進化を遂げていくには100年単位の時間が必要であります。


ここに宗教の重要な役割があるのであります。人類社会の全般的な唯物論的生活価値観教育の改善は遅々として進まないけれども、霊性進化の時機に達している人たちの個人的霊性進化を促進し、その人の社会的影響力によってその周囲の人達の唯物的生活価値観を徐々にでも霊的生活価値観に転換せしめて行く事は可能であります。そのような霊的生活価値観を身につけた人が政治家になれば、その国の教育全体を霊的教育重視の教育への徐々なる変更も出来ていくのであります。現状においては、道徳教育とか日本精神の復活等への戦後教育の弊害是正は政府に任せ、その支援応援をしながら、宗教者は、主に家庭教育の霊的生活価値観教育(特に真理の自覚と先祖供養の重要性の認識と実践)への切り替えに主眼をおいて真理の普及活動をすべきであります。これは明らかに、“個人の救済・衆生救済”でありまして、宗教本来の使命であるわけであります。


「衆生救済」を行わず、「地球救済」のみにかまけているマサノブ君はこの様な考え方は眼中にないのであります。彼は、宗教家としては不適格者であり、一般大衆と変わらぬ具体的対策を持たない無責任な評論家の一人であります。



A マサノブ経済学は唯物経済学

「 経済発展至上主義が長く続いたおかげで今、世界的に起こっているのが貧富の格差の拡大である。」――このマサノブ理論は、唯物経済理論であります。マサノブ経済理論に於いては、「エネルギーと資源の浪費」「自然破壊」「廃棄物増大」「地球温暖化」が起こる原因である「経済成長」とか「需要拡大」とか「国民所得の拡大」という目標を掲げることを止めよ、と主張している。しかし、マサノブ君は、『人間は無限の可能性を持つ』という『御教え』を理解していないのであります。かつての池田内閣や田中内閣時代の所得倍増・高度経済成長の時には日本全国で大きな公害が発生したのであります。しかし、日本人は、潜在意識に於いては、人間の持つ無限の可能性を信じていたがために、官民あげて公害防止技術の開発に精魂を傾け、その公害問題を克服してきた事実をマサノブ君は敢えて認めないのであります。今後も、地球温暖化対策や原子力発電問題や諸種の災害防止技術は、日本民族の優秀な頭脳によってより進歩したものが開発されていくと信じなければなりません。日本精神と日本民族を嫌っているマサノブ君は、この様な技術開発や技術進歩をも嫌っているとしか思えないのであります。

次に、マサノブ君の取り上げている「所得の格差」(貧富の格差)についてでありますが、彼の考え方はここでも唯物現象論が基礎になっているのであります。マサノブ君は、日本人は貧乏なのが不幸や恥であるとは余り考えてはいなかったと云う事を知らないのでありましょうか? 物質的豊かさよりも精神的豊かさに心の重点を置いた生活習慣であったのであり、又同時に、「教育勅語」精神で刻苦奮励努力して極貧状態から脱出した大勢の人達がいたことも考慮に入れてはいないのであります。ただ、金持ちボンボンの“貧者憐みの情”からの貧富格差論の展開であります。自分は信徒の浄財で豊かな宗教貴族として生活しながら、しもじもの下層の人達の所得格差を眺め、評論しているだけであります。そして、マサノブ経済学の結論は共産党と同じく、所得の高い層から高率累進課税によって納税させて、それを社会保障として所得の低い下層階級に分配せよ、というのであります。
このような形だけの平等は、人間の依頼心を増強するのみで、神の子の自覚から益々遠ざけて、個生命としての霊的進化を妨げ、人類文明を退化させて行くのであります。マサノブ経済学は唯物現象哲学でありますから、このような根本的欠陥を持つ不完全な経済論であります。

マサノブ経済学は、「有限経済学」であり、人間の無限の可能性を考えない「限定経済学」であります。それに比し、本来の「生長の家経済学」は、「無限供給の経済学」であり、「神の子人間の持つ無限の可能性」を信じる前向きの経済学であります。つまり、資源や技術の進歩も行き詰まりナシの「無限経済学」(無一物中無尽蔵)であるのです。如意宝珠観にある如く、「欲するもの好ましきもの、おのずから集まり来り、用足りて去る」のであります。かといってその人の欲するものがすべて実現すると解釈すると間違うのでありまして、その人の霊的進化から見て不必要なもの、不必要なことは実現しないのであります。無理に我の力で実現させたら、必ず動反動の法則によって、時間の経過につれて自懐現象が起こって参ります。宇宙の法則や摂理は完璧なものであります。

さらに申せば、此処に3000万円のお金を持っている人がいたとします。その人は自分の子供たちA,B,Cに平等に1000万円づつ与えたします。そして自由に使って良いと言い渡し、5年後に再びA,B,Cの子供の所持金を尋ねたところ、Aは無限の可能性の智慧を出して仕事をして2000万円に増やしていました。Bは大切な親の財産をもらったのだからという事でタンスの奥にしまい込んで置きました。そのお金は増えも減りもしませんでした。Cは臨時収入だと思って有頂天になり、働かなくなって旅行やパチンコや競輪、競馬、競艇につぎ込みスッカラカンに成ったのでした。マサノブ経済学によれば、Cが能力がなくてかわいそうだからAから1000万円を出させてCに与えて、所得平等を実現するのであります。誰が考えたってこんなことが平等即ち“所得格差”の是正とは言えない訳であります。しかし、マサノブ経済学ではこのことが真面目に議論されているのであります。一方、マサノブ理論の終着点である原始生活に於いても、自給自足の生活でも生活の為の収穫物の格差は生じます。そこでも無理に平等生活を実現したとするならば、結局誰も努力して収穫物を多くするものはなくなり、ナマケモノだらけの社会になるのであります。こうなればマサノブ経済学は破綻であります。
このように、マサノブ経済学においては、内界の想念に応じて外界の結果(格差)が生じるのであるとは言わないのであります。このことは左翼理論の共産党と基本においては変わらないのであります。

マサノブ君には、『御教え』にある人間の一生の運命はどのようにして決まるか? と言う事が判っていないのであります。『生命の實相』を十分に読みこなしていないのですから致しかたがないのであります。

『御教え』によれば、人間の運命は、過去世の業(徳分)が半分、残りの半分は、自己努力と守護霊の加護によって決まって行く。人それぞれ、みな生まれ持って来た徳分も違えば、自己努力の程度や先祖供養の実行度合いも異なります。だから、現象世界に於いては所得格差が生じるのは当たり前で、自己責任であります。だから、宗教家は、この所得格差の生じる根本的原因についての霊的知識を広めなければならないのであります。と同時に怠け心を助長しない範囲内で仁政を敷いて、所得格差を少なくして行くことも政治のあり方としては勿論必要なことであります。更に言えば、他者の犠牲において資産蓄積を励む持てる層の階層には、三世に亙る原因結果の法則としての因果律、因果応報の法則・動反動の法則が存在しているということの理解を広めていくこと、――これも宗教家本来の衆生救済の大切な使命の一つであります。このよなところまで説かず、ただ形の上の格差社会の評論はたいした価値の無いものであります。これもマサノブ経済学の欠陥であります。



B 「人間は自分が信じたとおりのものになる」は客観的評論コトバ。なぜ、「人間は自己人生の主人公」と能動的表現が出来ないのか?

マサノブ君は、「経済成長」とか「需要拡大」とか「国民所得の拡大」という理想目標が人類社会の総体的想念(心の思い)となって、「信じた通りになる」と言う“想念実現の法則”通りに「エネルギーと資源の浪費」「自然破壊」「廃棄物増大」「地球温暖化」と言う結果を生じさせたのであると主張するのであります。しかし、彼のこの文章は、これまた客観的評論文であります。評論家として事態を冷ややかに批評する態度を、宗教者は採ってはならないのであります。マサノブ君は自称にしろ宗教家を自負しているのであるならば、上記のような評論家的態度を捨て、そのような評論文的文章を書くことを止めて頂きたい。宗教家であるならば、“当事者意識”の立場で以って「人間は自己人生の主人公」と能動的表現をすべきであります。人間神の子の真理を知ったからには、大力量人の自覚を信じて自己人生の主人公となって働くべきが本筋であります。宗教家ならば、一般大衆をして、哀れみを誘う心にならせてはいけない。責任を社会や国家に対して向けて権利のみを主張する心にならせてはいけない。依頼心を助長するようなコトバを語るべきではないのであります。自身の努力――それも大力量人の自覚を伴っての努力重視へ善導していかねばならないのであります。「常に、人に物に事に行き届くべし」(信徒行持要目)をマサノブ君はもっと心がけて然るべきであります。この様な評論家的な考えでは個人指導なんかは出来っこないのであります。心に銘じよ、マサノブ君!



C 唯物的価値観の社会では自由と平等は両立せぬ。

地上の現象の世界では、自由と平等とは並存できないのであります。完全自由主義の社会にするならば、社会的強者は社会的弱者を完全支配する事に成るのであります。つまり、格差のある不平等社会と成るのであります。反対に、平等社会にして行こうとするならば、社会的強者の行動を規制していかなければなりません。社会的弱者から見れば平等社会の実現ですが、社会的強者の立場に立てば、自由のない社会であります。平等社会を実現しようとすればするほど、社会全体としては“怠け者”社会となり、誰も努力して働かなくなります。そこで、人間はすべて「神の子」なる意識を潜在的には秘めているわけでありますから、「四無量心」が自然に出て来て、完全自由社会と完全平等社会の両極端に偏しない社会を作っていこうとするのであります。しかし地上現象社会に於いては、何らかの不自由さがあり、何らかの不平等さがあり、否、むしろそれが必要なのかも知れません。不自由さがあるのであであるから、不平等さがあるのであるから、自己責任観念や自己努力の大切さが意識されるのであります。そしてその努力の過程がそのまま各人の個生命としての霊性進化となって行くのであります。まことに宇宙の法則の不思議さ、摂理の完璧さであります。

現象世界では、完全な自由と完全な平等は両立いたしませんが、完全円満にして完璧な實相世界に於いては完全自由と完全平等の両立と実現はなされているのであります。「唯神實相」の生活価値観を十分発揮できれば、たとえ大きな経済的格差のある社会に於いても、障害物に阻まれずに、丁度、ウナギが石垣の隙間を縫って動いていく如く、あるいは盗賊から命を狙われていた高僧が、自然と盗賊の待ち伏せる道を避けていくが如く、不平等格差社会の中に在っても、常にその犠牲にならずに生きていけるのであります。自己の常なる生活価値観という想念が、不平等格差社会の醸し出す想念と波長が合わないようになれば良いのであります。「悪運を避ける唯一の方法は、類でないものは反発するという心の法則を活用する事が最善の生き方であります」と『生命の實相』には書かれているのであります。「心の法則」とは「三界唯心所現の理」のことであり、「思いが実現する」という「想念実現の法則」であります。「格差社会」と言う想念を描かず、所得格差社会であっても自分を害するものではないという心の常なる想いを持ち続けること、金銭的収入の多寡と心の幸福とは正比例するものではないと自覚する事、そうすれば、自分の周囲にはその人に見合った「實相の完全な幸福生活」が現実的に現れて来るのであります。唯神實相の『御教え』からすれば、このように解説すべきであります。以上のことは、個人救済を中心とした考え方でありますが、政治家の立場からは、不平等社会が行き過ぎないよう、格差社会が広がらないよう、かといって怠け者が幅を利かす行過ぎた権利主張型の社会が拡がらないように政治を行うことは必要なことであります。



D 霊的音痴のマサノブ君には、個生命(タマシイ)の進化道場としての地球の宇宙に於ける霊的存在意義が判っていない。

マサノブ君は、「生命の實相」霊界篇の「はしがき」に書かれている次の章句を全然理解できていないのであります。否、信じられないのであります。このこと一つをとってすらも彼が如何に宗教家と称すれども霊的には極めて未熟なタマシイであるかが判るのであります。

<< 地球やその他の天体は、人間の霊魂がそこにおいて修行し、向上し、内在無限の神性をより多く発揮するための「場」だということが出来るのである。・・・人間は決して肉体存続期間だけの存在でもなければ、その生活圏が地球上だけに関係しているのでもない。あらゆる天体はわれわれの生活の「場」であり、進化向上の「場」として造られたもの・・・この霊界の秘密を知らずして人間の運命を予知する事はできない。・・・人間の運命は高級霊の愛深き指導によって間断なく修正されつつある >>

上記の記述から考えるならば、地球は霊魂進化のための道場である事、肉体修行を終えた霊魂は霊界に帰り、そこでの更なる修行を終え、再び地球世界へ再生してくるか、より霊的レベルの高い他の天体へ転生して行くか、又、この地球世界へは、よりレベルの低い天体での修行を終えて更なる修行を続け宇宙の真理を学ぶ為に転生してきた霊魂がいるのであります。すべてが個生命たる霊魂の進化向上のための“道場”であります。“道場”でありますから、そこへ集う霊魂は「未完」のタマシイであります。未完成るが故に切磋琢磨、磨かれて進化向上するのであります。その修行科目の一つが「環境問題」であり、「格差社会」であるのであります。

このように、「霊魂進化」と言う面から「環境問題」や「格差社会」を考えるならば、「環境問題」の解決法として、都会生活からの脱出を考えたり、格差社会を評論するだけに終わることで満足しているということは、霊魂進化向上と言う目的に反することであります。これらは唯物現象論に基づくからそうなるのであって、霊魂進化の道場に於ける試験問題と考えて、真正面からガップリと取り組んで、霊的価値観によって如何に解決を図っていくべきかを考えなければなりません。

もう一つ、マサノブ君は本来の『御教え』の大切な部分を忘れ去っていると云う事柄があります。あるいは知っていても開祖批判と開祖抹殺のために無視しているのかも知れない事柄であります。それは、「物質文明の発達の上にこそ、素晴らしい高度な霊的文明が構築開花されるのである」と云う御言葉であります。開祖・谷口雅春先生は、物質文明は無価値だから破棄せよ。自然に帰り山川と森の中で自給自足の原始生活に戻ってこそ霊的文明が構築される、とは仰ってはいないのであります。物質文明の発達は神の子人間の無限の可能性の発露であります。物質文明の発達過程において弊害が出て来たときでも、神の子無限力の力で新しい技術開発によって克服してゆけるのであります。物質文明を捨てて、都会生活を捨てて原始生活へ戻るということは、神の子人間の霊性退化であります。われわれは、霊性進化の階段を昇り続けてこそ、人間は神の子であるといえるのであります。マサノブ経済学とマサノブ環境論は完全に間違っているといわなければならないのであります。

マサノブ君の唯物現象論に基づく今回の「枯れ松模様」の文章は、全くの評論家レベルの文章であり、誰にでも書ける文章であると云うものであります。決して、「生長の家総裁」に値する値打ちのある文章ではないのであります。「地球環境」・「原発・即廃止」・「所得格差の解消=怠け者社会の実現」これ等の事柄は共産党が常に街宣している言葉であります。マサノブ君の頭脳は、左翼唯物現象主義によって大方占領され、飼い慣わされていることになるのであります。   再合掌








昭和初期はもっと大変な社会だった (6719)
日時:2015年04月15日 (水) 00時48分
名前:桃太郎

社会の批判ぐらい誰だって出来ますよね。

その社会と人類を救わんと立ち上がられたのが谷口雅春先生でした。

谷口雅春先生は雅宣氏のように、社会人類を責める事無く、神の子人間の教えをお説きになり、人間は素晴らしい神の子であるから病なし、貧困なし、そのままで地上天国をお説きになったのです。

それで全国に救いの体験者が続出し、どんどん信徒が増えたのでした。

戦後の左翼勢力によって社会を席巻されていたのを、生長の家の正しい国を思う運動により、左翼革命が叫ばれた、昭和45年には唯一ご皇室を守る事を党是とする自民党が国会で過半数をとる事が出来たのです。








おかしな、おかしな高校生、日野智貴くんも、おかしな、おかしな、おかしなマサノブ君に右へ倣え!!??? (6723)
日時:2015年04月16日 (木) 00時41分
名前:怒りの信徒D



一新派オンライン作家の高校生のブログ

http://ameblo.jp/hinotomoki0411/
高校生オンライン作家・日野智貴のブログ。
生長の家(正確に言えばーー別派・マサノブ教)信徒として地球環境・生命倫理に関心のある理系高校生。
「親中愛台・親土尊回」を訴える。




統一地方選について

2015-04-14 17:46:05
テーマ:ブログ

統一地方選について、生長の家総裁・谷口雅宣先生の見解を引用します。私の見解は雅宣先生と全く同じです。

http://masanobutaniguchi.cocolog-nifty.com/monologue2/2015/04/post-8e6c.html







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