生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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『別派・マサノブ教』マサノブ教祖の虚構の「新文明論」に洗脳されるな! 特に兵庫青年会リーダー・日野智貴君に御注意申し上げる!! (6871)
日時:2015年05月06日 (水) 07時26分
名前:怒れる信徒D

今年の相・白・青の全国幹部研修会・全国大会で『別派・マサノブ教』のマサノブ教祖は、「新文明論」の話をしたらしい(下記参照)。しかし、彼の「新文明論」の中味が一向に発表されないところを見ると、「本流」信徒からの反発を大層に怖れているらしい(?)。ということは、「新文明の構築」と大上段に振りかぶったが、その内容はどうせ宗教貴族の道楽としての足が地に着いていない“コトバのお遊戯”程度のものと推測されても文句は言えまい。しかし、お孫さま信仰信徒や戦後教育に浸ったニュー信徒の中には、「新文明」というハイカラな言葉の力に引かれてウッカリとマサノブ教独特の虚構の「新文明論」にコロッと洗脳されてしまう危険性があるので注意を喚起しておきたいと思うのである。先ず、マサノブ流の「新文明論」に関する部分だけの投稿記事を次に掲げる。



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https://www.facebook.com/Seichonoie.Sosai
4月29日・生長の家総裁「フェースブック」

<<生長の家の幹部等を対象とした全国行事ーー生長の家白鳩会全国幹部研鑽会、同相愛会・栄える会合同全国幹部研鑽会、そして同青年会全国大会が今日、3日間の日程を終了した。東京・調布市の生長の家本部練成道場をメイン会場として、インターネットで全国の各会場をつなぎ、3日間で 9,810人が参加、“新しい文明”の構築に向けて運動の推進を誓った。>>



http://ameblo.jp/hinotomoki0411/
5月3日・「兵庫青年会リーダー・日野智貴君のブログ」

<<生長の家青年会全国大会に参加!新しい文明を築くため日々「脱・唯物論」の実践を!
去る4月29日、生長の家青年会の全国大会の大阪会場に参加しました! 地元の中学生を引き連れての参加です。中学生の神の子たちも、慣れない講話の連続でしたが、一生懸命聞いていてくれてうれしかったです。そこでの谷口雅宣先生のお話を、私なりに敷衍すると、次のようになります。
・日米首脳が「核兵器は非人道的」とする声明を出したが、それでも核兵器がなくならないのは、人類のこれまでの(唯物論文明の)業の力があるからだ。
・(現象世界での)唯物論文明は、崩壊の時が近づいている。
・地球環境問題や生命倫理問題を引き起こした唯物論文明を続けていては、人類に未来はない。
・安倍政権の原発再稼働の動き等は、古い唯物論文明に戻る動きである。(註:雅宣先生が過去に言われた「動物性集合胚」の研究許可や、私が反対運動を行っていた子宮頸がんワクチン推奨も「唯物論文明、復活・延命」の安倍政権の動きに含まれるでしょう。)
・生長の家は、唯物論文明に代わる「新しい文明」を築こうとしている。
・唯物論文明の問題点は、谷口雅春先生が昔から言われていたことである。
・(現象を見ると)古い文明の方が、財力も資金力もあって、力が強い。
・新しい文明を築くには、実相のほうを見なければならない。
・そのためには、一人一人が日々「神想観」「聖典・聖経読誦」(聖典・聖経の両方を読むこと!)等の三正行を実践し、さらに「自然観察」「ノーミート料理」「絵手紙・絵封筒」等を行っていく必要がある。
また、ノーミートの話もありました。これについては、信徒以外の方でも理解できるように、「食卓から平和を」の動画を紹介します。
https://www.youtube.com/watch?v=yRTT7bKnZzU



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<講評>


[ 1 ] 日野智貴君の投稿内容から、マサノブ流の「新文明」の中味を推測する文章を拾い出すと、――

1、唯物論文明は、崩壊の時が近づいている。
2、唯物論文明を続けていては、人類に未来はない。
3、生長の家は、唯物論文明に代わる「新しい文明」を築こうとしている。
4、古い文明の方が、財力も資金力もあって、力が強い。
5、新しい文明を築くには、実相のほうを見なければならない。
6、そのためには、一人一人が日々「神想観」「聖典・聖経読誦」(聖典・聖経の両方を読むこと!)等の三正行を実践し、さらに「自然観察」「ノーミート料理」「絵手紙・絵封筒」等を行っていく必要がある。



[ 2 ] マサノブ君は、「新しい文明の構築」を生長の家の次なる中心活動としているが、全然具体的な姿が見えてこない。単に「新文明の構築」と言うコトバだけを打ち上げただけなのか? まさか、「自然観察」「ノーミート料理」「絵手紙・絵封筒書き」を中心とする金持ち連中の宗教貴族の道楽文明を考えているのでもあるまい。しかし、マサノブ君が「自然観察」「ノーミート料理」「絵手紙・絵封筒書き」を新文明と考えているとすると、三代目の「生長の家」はこんなレベルにまで成り下がってしまったのか、と笑われるだけである。まさか如何なマサノブ君と雖もそのような低能児でもあるまい。そこで、私なりに彼の考えている「新文明」を彼のこれまでの価値観と主張から類推してみると次のように推測されるのである。

1、人間至上主義の価値観を改める為、人間の肉体的欲望を捨てる生活に改める。

2、都会は肉体的欲望が渦まいているところだから、住居を自然に囲まれた田舎や山や森の中に移して生活する。

3、一切の工業生産物は、資源を略奪して製造されたものだから、全て自然の素材から手造りで造り生活する。便利快適な電化生活と称するものは、人間至上主義の環境破壊の典型であるから、自給自足の原始的生活に最高の価値を見出し満足する生活を送らなければならない。

4、貨幣制度は富の偏在をもたらすから、必要なものを必要な分量だけ作って分配する物々交換経済の制度にすれば、大規模な環境破壊は行われない。

5、大統領制の共和制民主主義体制を採用する。

6、土地は人間だけの占有物とする思想は、人間至上主義思想であるから、地球上の全生物の為の土地と考えて、私有財産制から脱却しなければならない。

7、このことを敷衍していけば、国家概念、民族概念の存在は戦争に繋がって行く事は明白であるから、最終的には、地球上から国境を廃止して、国家・国民意識を無くして、地球国家・世界市民意識に改めていくことである。

8、自然を観察して愛で、一切の肉食を廃止して穀類と野菜と果物中心の食生活を送り、聖経を読誦し、静かに絵封筒や絵手紙を書いて芸術的生活を送ること。


まあ、マサノブ君の具体的内容の「新文明論」はこの様なことなのでしょう。

マサノブ君は「大調和の神示」や「食事の神示」を説くが、義兄や実弟とは不調和で一向に和解しようとはしない。マサノブ君は「教育勅語」の復活には猛反対である。そこである人が「マサノブ流の逆・教育勅語」を作った。実によく出来ているので、ここに紹介させて頂くことにする。――


<マサノブ流の逆-教育勅語>

@親に孝養をつくしてはいけません。
A兄弟・姉妹は仲良くしてはいけません。
B夫婦はなかよくしてはいけません。
C友達を信じて付き合ってはいけません。
D自分の言動を慎んではいけません。
E広く全ての人々に愛の手をさしのべてはいけません。
F職業を身に付けてはいけません。
G知識を養い才能を伸ばしてはいけません。
H人格の向上につとめてはいけません。
I社会のためになる仕事に励んではなりません。
J法律や規則を守り社会の秩序に従ってはいけません。
K勇気を持って国のため真心を尽くしてはいけません。

この逆・教育勅語もマサノブ流の「新文明論」に含まれるのである。以上、総合して考えれば、「マサノブ流の新文明論」は、<正気の沙汰でない>と評価されるのだ。全くの現実遊離の虚説虚構の世界の白昼夢である。これが“實相”の方を向いた文明論とはとても言えない。精神分裂症患者の考えた独りよがりの「新文明論」で、世界のまともな識者から総スカンを食うものである。仮にこの通りの地球世界が招来出来たとすれば、その果てには今以上の地球上の混乱と戦争と自然破壊が為される状態が現出する事になる。信徒の皆さん、努々(ゆめゆめ)マサノブ君の言葉遊びに騙されて、洗脳されないように御注意あれ!!



[ 3 ] 開祖・谷口雅春先生が説かれている唯物論を超えたその先の「新文明論」とは、――


<別冊・真理>(生死を超える道)P.16〜25

@ << 大自然を見渡せば、鉱物の王国から植物の王国、動物の王国へと、「生命」と云うものが、いづれも次の一段高い王国の到来を預示しているのであります。人類の王国も亦、一層高次の高い王国を預示すしていると私は思うのであります。 >>

A << 私は生命原理の進化の段階に、更に現在の人間の上に、尚一層すぐれたる段階が出現すると云うことを期待しているのであります。それは生命の第五王国――超人――の出現であります。この第五王国に位する超人は、今の人類が動物に勝る程度に、今の人類に勝るでありましょう。>>

B << 人間よりも一段上の王国の可能性は人間の内にあると云うことであります。これは人間の身体的性質と構造が変化することを意味しないのであります。それは人間が自己の内に超人となるための新しい力を発見すると云う意味であります。要点は、第五王国の獲得は、人類が一層大なる力を獲得することを意味するのだと云うことであります。>>

C << 上位の力を獲得したる新しき人類は物質意識の標準から出て、キリスト意識、超人意識の標準にまで上るからであります。第五王国の新しき人間とは貧乏、病気等を克服し得るのみならず、恐怖、不安、その他すべての精神的感情的不自由から解放された人であります。>>

D << 精神科学を知って、心の法則を現実人生に応用せんとする人々は、謂わば第五王国に到る梯子を一段一段と昇りつつあるようなものであります。と云って、第五王国の人々は、下位王国の人々を見捨てるのではなく、精神科学を知って応用し得るに従って、カペナウム、サマリヤ、エルサレム、その他のパレスチナの町々で教えを説いたイエスの如く民衆と共に住み民衆と共に生活すべきであります。>>

E << 第五王国の人民は隣人の間違いや悪についての噂話を決してしない。虚栄と偽善とがない。彼らには心配、恐怖、憤慨、嫉妬、自責のような、みづからの活力を消耗し、力を滅ぼす種類の精神的習慣がない。彼らは思想に於いても、行為に於いても、他の人と公正正直に交わり、人間の思想が破壊的であるならば、それは荒々しい声や残酷な行為と同じ程度に、他人に有害であることを知っているのであります。彼らは他人に属する物を欲しがらないで、必要なもの、欲しい物を手に入れるために、心の法則を正しく応用することによって誰をも犯すことなしに獲得する道を知っているのであります。>>

F << 本質的に言えば、第五王国は平和と調和の満ちた内的世界であります。あなたが精神科学を知って第五王国の人民となれば、内界が平和であれば外界を平和に保つことが出来る事を知るでしょう。感情的精神生活の統制が出来ていれば、あなたの生命は力学的均衡状態にあるのであって、何の争いも緊張もなく人や状況と調和することが出来るのであります。これが精神的力学の実証であります。そしてあなたの希望と一致しない状況は、あなたの利用し得る力を用いて変更することが出来るのであります。あなたの力を単に受動的なものとして所有し、他人や状況に屈服することによって平和を得るのと、あなたの力を積極的に使用することによって、あなたの計画と理想とに適した状況を造り出すこととは全然別の事柄であります。あなたの目指すところは後者でなければなりません。>>

G << あなたが求めるためにしようする力は実はあなたの求めている實在そのものから来る力なのであります。あなたの心は磁石であって、疑ったり動揺したりすることなく信念の電流を通じておけば求めるものを引き寄せて呉れるのであります。>>

H << 然し、この「生命」上昇の段階は、人間の知識と技術との究極に来ると、其処で止まってしまってそれ以上進むことができない。なぜなら知識と技術とは物質的なもののみを取扱うからである。物質の彼方に霊界が存在する。そして人間は物質的な體(たい)に包まれた「霊」である、それゆえに人間の霊は、人間の念願を触覚として物質と空間を超えて超感覚世界に達しようとするのであります。人間は夢を見る、そして自己の不滅の生命の幻と無限の可能性とを見るのです。たとい、足は物質の地上を踏んでいても、霊は高き世界に昇り、謂わばキリストと共に「神の右側に坐す」のであります。>>

I << この人間の理想への夢を、生活の幻を、そして無限の可能性を現実に翻訳することが必要なのです。人間はアダムの子孫として肉体と云う物質的な低い本性の上に立ちながら、その實相に於いては神の子たる霊的存在であって、吾らは、その霊的實相を自覚することによってのみ一段高い世界の市民となることが出来るのである。この一段高い市民となると云うことは、物質界とは異なる新しき秩序の世界に入り、精神的にも、道徳的にも、完全なる自由を獲得すると云うことを意味するのであります。



[ 4 ] 総括コメント


@ マサノブ君は、<唯物論文明に代わる「新しい文明」>そして<新しい文明を築くには、実相の方を見なければならない。>と云う。然し、彼の説明によると、「新文明の構築」といっても、自然との共生、自然と人間の調和、環境回復と云った外界の改善行動を「新文明」と云っているのである。人間の持つ価値観の転換を彼は強調していない。内界の改革(心の価値観の転換=宗教的なコトバを使うとすれば“廻心”である)よりも外界の物理的変革を重視しているのである。外界の物理的変革(例えば、CO2排出抑制や乱開発防止等)は政治と行政の役割である。一宗教団体が出来る規模は政治・行政の出来る効果と比すればものの数ではないのだ。宗教者のなすべき役割は、人間の心の内界からの改革である。つまり、人間社会の唯物的生活価値観を霊的生活価値観へと導いてゆく役割なのである。なぜ、マサノブ君の「新文明論」が唯物論の域を出ていないかといえば、此処にその理由がある。更に云えば、彼は「神性隠蔽」からの脱却には言及しない。人間至上主義を強く非難し、無言のうちに人間の本質を「罪の子」意識へと誘導している。彼は本質的に人間嫌いなのだ。人間以外の自然と大の仲良しなのだ。「人間は神の最高の自己実現」という『御教え』を捨て、「人間は自然界の一部をなす生物(動物)」と本音で考えているのである。依って、マサノブ君の「新文明論」は「實相の方を見る文明論」というのはマヤカシであり、どこまでも唯物現象論に立った「新文明論」である。


A 開祖・谷口雅春先生の『御教え』によれば、上記の別冊『真理』の引用文の如く、次なる「新文明」は、現代社会を支配している唯物的価値観の霊的価値観への「観の転換」からスタートするのである。即ち、内界からの変革である。内界の変革が唯心所現の理によって、外界の変革を来す。このことは、政治・行政の世界では実行困難である。だから、宗教界が行わねばならないのである。マサノブ流の「新文明論」は形の世界の「新文明論」であるが、心の内界からの「新文明論」は、より次元の高い「文明論」である。これこそが「霊的新文明論」なのである。


B サヨク唯物現象論のマサノブ君は、「新文明論」の展開に於いて二つのことを見落としているのである。
その一つは、形の世界(外界)の変革を優先して、人間社会全体の霊性進化を考えていないこと。および、個生命(霊魂)の霊的進化向上を考えに入れていないことである。人類社会全体の霊的向上、人間一人一人の個生命(霊魂)の霊的向上進化が達成されてこそ「新文明」といえるのではないか。故にマサノブ君の「新文明論」は何も目新しいものではないのである。にも拘らず、「新」をあえて意識付けるために、「ノーミート料理」「絵手紙・絵封筒書き」等をする事を新文明の特徴とするとはまことに浅はかなことである。


C もうひとつのマサノブ君の見落としは、「真の霊的文明は、ある程度の物質文明の発達の上に花開く」と云う事を彼は気付いていないのである。マサノブ君の自論である「都会生活を捨て田舎暮らしへ」、「人間至上主義の近代工業社会の否定」の行き着くところは、全てが自給自足の原始共同生活社会へ帰る事である。此処まで行き着くと、成るほど地球環境の自然は元通りに回復するが、現実的には、日本滅びて地球残ることになる。こんな「環境論」や「新文明論」は総スカンである。宗教貴族・マサノブぼんぼんの独りよがりがいいところ。世間さまにまことに恥かしいお茶らけ文明論。お孫さま信仰信徒以外の世の人達は誰も付いていかない。『別派・マサノブ教』の自滅である。マサノブ絶賛論者の堀講師や日野智貴君にはお気の毒であるが・・・







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