生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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生長の家「今昔物語」・霊界篇の再掲示<第二十三話> (514) |
- 日時:2013年03月18日 (月) 14時24分
名前:信徒連合
生長の家「今昔物語」第五篇 霊界篇
第二十二(通算第264話)
霊界とは、どのようなところか?(その四)
情死者・自殺者全般
(『人間死んでも死なぬ』P.120、201−207)
(つづき) <<霊界の教導職は与え得るだけの助力を与えてくれましょう。向上の道にある霊魂に援助を与え、力尽きんとする霊魂を力づけてやるのが彼らの使命なのです。が、彼らは罪を犯した霊魂を慰め力づけることは出来ても、その苦痛の一つだに減じてやると云うことは出来ないのです。
罪の報いの一つだに宥(ゆる)してやると云うことは出来ないのです。その人の罪は他の人が代わりに積んだ功徳では宥(ゆる)されません。
どんな友達も彼の罪を背負ってやることも出来ねば、彼の背から降ろしてやると云うことも出来ません。衰えつかれた勢力を支えてくれるために絶えず援助は与えられますが罪の<報い>は罪を犯したその人のみが担(にな)わねばならないのです。>>(P.205)
<<M・Cフラウルクス嬢の『わたしの過去』なる自伝のうちに霊媒トセツリ氏にサクソニーの前太子妃の霊魂が憑(かか)って来て語った言葉が載せられている。それによると、自殺した彼女の愛人は、自己のその行為のために罰を受け、「長い間その霊魂は腐爤(ふらん)しつつある肉体を離れることを許されないで、その腐爤(ふらん)し行く恐怖を、まじまじ見つつ居なければならなかった。」と言うのである。>>(P.206)
<<またスェーデンボルグ氏は或る晩、自分のところへ現れた自殺者の霊魂のことについて書いている。――一
「一人の自殺者の霊魂が私のところへやって来たが、自己の胸にそれを突きさしでもしたらしく手に一丁のナイフを握っていた。併し、彼はそのナイフを自分の手からむしろ捨てようとして幾度も無駄に努力している様子であった。私の聞かされている処によると、死の瞬間にとっていた状態が消滅するには随分長い間かかるのである。」>>(P.206)
<<シェーロ氏はその著の一部を「降霊会とその帰結」を論ずることに費やしている。その章のうちに、氏は一人の六十歳の老人――高貴な魂の持ち主であったが、極端な物質主義者の医者――のことを述べている。
この老人は嘗て世話したことのある一婦人と結婚するために二十年間も待っていたのだった。そしてその婦人の良人が死んだ後、とうとう彼女と結婚したのであるが、その婦人はその後十日間も経ないで死んでしまった。
「この老人が突き落とされた涙の谷がどんなに深いものであったかは、言葉で言い表わすことはとても出来ない。彼は慰藉(いしゃ)を求めに行く宗教を持たなかった。彼は互いが再びあうことを祈るべき神をもたなかった。全き絶望のほかには何も、なにもなかったのである。で、彼は直ぐ自殺しようと決心した。
たまたまシェーロ氏は、この老人と一緒に歩いているうちに、霊媒になり得る一友人の前へ来たのである。・・・霊媒はすぐ恍惚状態にはいった。五分間経たないうちにこの医者は亡妻とハッキリした明瞭な言葉で対話をまじえた。
<間違いも無い>彼女の声であった。霊媒はその容貌まで彼女に似て来た。と云うには、彼女の上唇の左側の所には特殊の窪みがあったのだが、医者は先ずこれを見つけた。彼女はハッキリした明瞭な調子で、彼に自殺してはいけないと言った。
『何故なら』と彼女は言った。『そんなことをなすったら、私たちのお互いに会える日が一層送れるばかるです。』そして彼女は自然の死が彼を現世から解放してくれる迄は、彼は他の人々のために働かねばならないことを説いたのだった。
シェーロ氏はこれにつけ加えて言っている。――『もし降霊術がこれ以上のことが出来ないにしても、少なくとも、それは一人の人間のたましいに平和を与えたのである。そしてこの老医者がその後生きていた二年間に、数百人の人々が、この老医者から恩恵を受けたことは事実である。>>(P.199−201)
<<スティトン・モーゼス氏の一友人が自殺を遂げたことがあった。その時モーゼス氏に憑ってきたインペレトルと称するスピリットはこう述べている。――
『吾々は貴方の友達のことについて話したいと思います。どうして彼が祝福される筈がありましょう。彼は神が向上と発達とのために霊魂をその中に入れておいた神殿に○瀆(せっとく)の手を挙げたのです。彼は向上と発達との機会を浪費し、自分が受け持っている精霊の住家たる神殿を破壊したのです。
彼は、まだ彼の霊魂がやって来るはずでないから、何の用意もされていない。孤独な、友達なき、見知らぬ世界に自分の霊魂を追いやったのです。
彼は不敬虔にも許しを受けずに神の王座を涜(けが)したのです。どうして彼が祝福されましょうぞ。彼は死については不敬虔で、不従順で、我侭気侭(わがままきまま)であり、生については不注意で、懶惰(らんだ)で、利己的でありました。<その上突然死ぬと云うことは後に残る地上の友達に苦痛や悲しみを与えると云う点からも利己的であります>――どうして彼の霊魂が平安を得ることが出来ましょう。
こうした霊魂は、悔恨の情が起こって、それが彼を改心に導くまでは、悲惨な、愚昧な、向上の出来ない状態にいて、平安を得ることは出来ないのです。彼の徒(あだ)なる生活についての話をこまごまと申し上ぐる必要はありますまい。彼の霊魂は残忍な利己主義で蝕まれ尽くしていました---------->>(P.202−203)
此れで自分は自殺者の死後の運命についての霊界消息をかなり多く集めたのである。スピリットの告ぐるところは大体に於いて一致していると云わなければならない。
情死も重複自殺であると見る時、やはりこの法則があてはまると思うのである。無論いちいちの場合に於いて、自殺の動機、自殺者の平常の人格等によって、起こる結果の多少の色合いは異なり来るであろう。
併しそれが自然の法則を破毀(はき)した我侭(わがまま)な行為であると云う点に於いてそれは罪せられずにはいられないと云うことにスピリットたちの言葉は一致しているのである。
スピリット達はいづれも「口をそろえて」自殺者の霊魂は自殺の瞬間にとったいまわしい不快な状態を長いあいだ継続して感じたのち、暗い陰惨な冥界に移され、そこで改悛の情の起こり来るまで苦しまねばならぬと云うことに一致しているのである。>>(P.207)
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