生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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反・『御教え』・・・雅宣総裁語録と講評 <第二十八話> (516) |
- 日時:2013年03月18日 (月) 15時06分
名前:信徒連合
< 第二十八話 > 私は「大調和の神示」の適用除外者である?!
(平成22年3月21日・布教功労物故者春季慰霊祭)
<<「大調和の神示」には「われかつて神の祭壇の前に供え物を献ぐるとき、先ず汝の兄弟と和せよと教えたのはこの意味である」とも書いてあります。・・・神の創造されたすべてのものと和解することが、神に通じる道であるとの教えが説かれているのです。>>
(講評)
三代目・雅宣総裁が開祖・谷口雅春先生の御教えを素直に信奉する義兄と実弟を、自分の説く『今の教え』に楯突く者として、教団から追放しました。また、開祖・谷口雅春先生が設立された「新教育者連盟」・「生長の家社会事業団」をも『今の教え』に従わぬとして生長の家教団との絶縁をその独裁権力を以って強行し、資金援助を打ち切り、両法人を財政的窮地に追い込み消滅せんとしております。
この様な人がよくも壇上から大勢の信徒に対して<汝の兄弟と和せよ>と言えたものです。そのクソ度胸は誠に天晴れ!見上げたものであります。
将に、『私は、深き悟道に達した皆さんから仰がれる立場の法燈継承者である。故に大調和神示の適用除外者である。信徒諸君は私の悟りの境地には未だ到っていないので、大調和神示をシッカリと守りなさい!』と思いながら慰霊祭の挨拶の言葉を話していたのでしょう。
『生長の家大論争掲示板』というブログに次のような“皮肉を込めた”書き込みがありましたのでご紹介しておきます。
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☆このご挨拶の心の中はたぶん下記のように皆様に訴えられたかったに違いありません。どうぞ理解してあげて下さい。
<<ですから兄弟が現象的に認め合うこと無く不仲に見えていても、本当は神において一体の存在ですからなんの心配もいらないのです。私の事も兄弟不仲説で揶揄される方が居られますがこの真理をしっかりと知って頂ければ、未来に向かって素晴らしい道が開ける事がお分かり頂けると思います。(総裁先生応援団より)>>
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この際、さらに申し上げておきますと、――
三代目・雅宣総裁は毎朝『神想観』を実修するとき<吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能>と声、高らかに朗誦していると思います。この時、義兄・実弟の教団からの追放や開祖・谷口雅春先生の御著書の絶版といった“吾が業”も“天地を貫きて生くる祖神の権能”と思いながら、確認しながら唱えていると思わざるを得ないのであります。
なぜならば、普通の常識人ならば、兄弟の追放や聖典の絶版や裁判の種を蒔(ま)きながら、シャー・シャーとして神想観など、どうして出来ましょうか?
「○○○は病気せず!」という言葉があります。自分のしていることは常に正しいと信じている。自己を咎(とが)める意識が全然ないからであります。三代目・雅宣総裁も自分の所業は“祖神のなせる所業で正しい!”と信じているからこそ「神想観」が何の咎める気持もなく悠々と実修できるのでしょう?!
遂に、三代目・雅宣総裁は“驕慢(きょうまん)の極”に達し「吾、神と成れり!故に、皆から仰ぎ見られる者(立場)となれり!」と心中ひそかに思っているのでありましょう。カルト宗教化への道を一路驀進!付き従う人々は生活のための“イエスマン”と“お孫さま信仰”の信徒のみ!嗚呼!
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