生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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開祖・谷口雅春先生の直接指導録 <その13> =宿命について= (517)
日時:2013年03月18日 (月) 15時21分
名前:信徒連合




開祖・谷口雅春先生の直接指導録 <その13>



               =宿命について=


     『生命の實相』第15巻・人生問答篇(P.111〜113)




村山:

ヴェッテリニの霊誥(れいこく)には人間の運命の半分は宿命で半分は個人の努力だとありましたね。



野田:

ヴェッテリニの霊誥というのはなんですか。



谷口:

フランスの美術家コルニリエが、そのモデルの少女を霊媒として実験したときに、かなり高級な霊魂と認むべき「ヴェッテリニ」と称する霊人があらわれていろいろ出生前や死後の消息を教えたものです。

これはわたしがかつて読んだ幾十の世界の心霊研究書中最もおもしろく最も合理的に頷けるように書かれているので、わたしの最近の著述『人間の運命』(『生命の實相』第九巻)に詳しく紹介しました。

その霊誥によりますと、人間の運命は三分の一は宿命、三分の一は個人の努力で自由にでき、残りの三分の一は霊界の高級霊の修正を受けうるというのです。

自分が心にサトリを開くとか、行ないに精進努力して運命を切り拓きうる部分があるのは当然ですが、ある神を祈って――この場合「神」というのは高級霊のことですが――その神の霊力で運命が変化するというのは、この高級霊の修正によると考うべきだと思います。



河内:

わたすは桜井大路はどんな偉い観相家か知らないが、石竜子の方が偉かったと思いますね。

どこが偉いかと言いますと、石竜子は自分の著わした観相の本の中にこんなことを書いています。

支那の遠了凡(えんりょうぼん)という人の著に『功過自知録』という遠了凡の自叙伝のような本がある。

その本によると遠了凡は若いときに観相家に見てもらった。するとその観相家は名人であって何年何月にはいかなる事件が起こるとか、何年何月には進士に昇進するとか、何年何月にはどういうことになるとか詳細を極めた予言をした。

ところが、その予言された事件が月日も違わず的中して出てきて、遂に遠了凡の晩年になったのです。

かれは世の中のことはすべて宿命に支配されているということを、自分の生涯によって体験しましたので、もう焦ってもどうもならない、ただ出てくるものをそのままに受けるほかに道はないという一種の徹底的な諦めに到達してしまったので、少しもアセリのない泰然自若な心境に到達したのであります。

そのころ、遠了凡がある禅僧の会合に列席しましたところが、禅僧は遠了凡の泰然自若たる態度に感心して礼を厚うして、「あなたはとうてい私ごときの及ぶ人ではない。いかにも安祥としてサトリを開いた人のような泰然とした相(すがた)をしていられる。どうぞわたしに教えを垂れてください」と申し上げた。

すると遠了凡は「わたしはそんなに尊敬されるような人間ではない。実はわたしは若い時に観相家(にんそうみ)に観てもらった結果、その予言が月日も違わず出てくるので、人間の生涯の事件というものはことごとく宿命に支配されていて自分の自由には決してなるものではないということを悟ったので全然アセルということがなくなったのでこんなに泰然と落ち着いています」と答えた。

すると、そのとき禅僧はカラカラとうち笑って「あなたはもっと偉い人かと思っていたが、案に相違の凡人じゃ。運命というものはそんなに一定したものではない。自分の心の修養によって変化するものじゃ。その修養法をお教え申そう」と言って教えてくれた。

遠了凡はその禅僧から教えられたとおりに修養した結果、それから自分の運命がその観相家の言ったとおりには出て来なくなり、五十三歳で死ぬと予言されていたが、ついに八十数歳までも生きのびたんだそうです。

この事実を書いて石龍子は、心の修養によって運命が左右されるという境地に至ると、自分は自分の観相学が及ばなくとも決して惜しいとは思わないと結んでいます。この点が石龍子は桜井大路よりも偉いと思いますね。



谷口:

「生長の家」で「真理を悟れば因縁を超越す」といっているのがそれですね。真理を知らない間は、因縁に縛られているから、因縁どおりに運命が出てくるほかはないのです。






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