生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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共産党から眼を覚まされた (7084)
日時:2015年06月08日 (月) 17時13分
名前:不動明王

元共産党の筆坂秀世氏離党 

以下サンケイ新聞記事参考に投稿

共産党で重責を担っておられた元参議院議員 筆坂秀世氏は共産党を平成17年に離党された。  その後昨年他界されたアサヒビール名誉顧問だった中条高徳氏に平成23年頃初対面された。その時中条氏の言葉「君が共産党に入党したのも、私が陸軍士官学校に入ったのも、思いは同じだ」と言われた事はうれしかった、と書いておられる。
その思いとは「中条氏は国のために尽くしたい」であり「筆坂氏はそれは社会進歩に身を捧げる事」であり自分の生き甲斐として国のため社会の為に尽くしたかったと言う同じ志だったと言う事でした。
筆坂氏はその思いで共産党に入ったが一党独裁による人民抑圧の体制でしかなくまさに理想とは逆であった。しかし国のため社会の為に貢献したい思いは決して偽りはなかった。
と書いておられる。

共産党離党して以降私にとっても欠落していることは近現代史への理解だと痛感していた近現代史を共産党という極端な視野狭窄の眼でしか見てこなかったからだ。
この歴史観からは戦前は暗黒社会と言う一言で片づけられてしまうのである。
と気がつかれた筆坂秀世氏であります。



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