生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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末一稲荷神社(すえかずいなりじんじゃ) (523) |
- 日時:2013年03月18日 (月) 22時12分
名前:百合の花
宇治別格本山に末一稲荷神社があります。宝蔵神社に何故お稲荷さんが祀られているのでしょうか。
動物霊と言う世界もあるのです。そしてその世界にも上級霊があり、人をよき方向に導き助けるご神霊とも言うべき霊があります。
谷口輝子先生をお導きになったのは正しくその高級動物霊であります。その反対に低級動物霊に導かれると不幸のどん底にほりこまれるのです。それは低級動物霊は動物時代の苦しみからまだ脱せずに霊界においても苦しみ迷い続けているから、そのような霊に人間がすがるとその人間も苦しみ迷う事になります。
そしたら高級霊と低級霊のどちらに出会うかは、その参拝する人の心境であります。輝子先生のように、人のため世のために物事を考えこの生長の家の真理を少しでも多くの皆様に伝えたいと言う尊い願いで伏見稲荷神社をお参りになったから、末一稲荷(すえかずいなり)さまが導いて下さった訳であります。
それも昭和5年谷口雅春先生が月刊生長の家誌を発行されその導きが大きく拡がるように願って居られた輝子先生は、近くのお風呂屋さん勇湯の番台に座って居られた奥様勇子さんからお稲荷さんをお祀りする事を熱心に進められ、京都の伏見稲荷神社へお参りになったのです。ですから自我を考えずに人のためを願ってお参りされたから低級動物霊に導かれる事なく高級霊の宿るお稲荷さんに導かれたのだと思います。
ですから宇治に行かれて御利益だけを願い宇治の末一稲荷神社にお参りされても功徳は得られないでしょう。 ましてや日本の国を貶めたり開祖の事をなきものにするような現総裁のお気持ちで末一稲荷神社に参拝されても、むしろ参拝されない方がよいのではと思います。
ましてや「万教帰一」の真理を末一稲荷神社で御祀りをするなんて全く間違ったことです。
それと現象無し実相完全一元を説かれた谷口雅春先生の奥様がお稲荷さまを大切にされていた事こそが谷口雅春先生のご謙虚さの表れであり素晴らしいお話であると受け止める事が大切で有ります。偉大な開祖谷口雅春先生に崇敬の念の言葉を発しない現総裁の人格とは比較にならないと思います。
参考文献 宇治別格本山編『聖霊天降る宇治』
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稲荷神とは (535) |
- 日時:2013年03月19日 (火) 15時27分
名前:エヴァ13の使徒
稲荷神を祀る神社を稲荷神社(いなりじんじゃ)と呼ぶ。京都市伏見区にある伏見稲荷大社が日本各所にある神道上の稲荷神社の総本社となっている。朱い鳥居と、神使の白い狐がシンボルとなっている神社として、広く知られている[3]。「稲荷」と表記するのが基本だが、「稲生」や「稲成」とする神社も存在する。
Wikipediaより
上記のように稲荷神とは狐の神様ではなく、狐は神様の使いであります。 この点をお間違えなきようお願いします。
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余談ですが・・・・。 (536) |
- 日時:2013年03月19日 (火) 18時57分
名前:エヴァ13の使徒
余談ですが、
宇治別格本山の近くにある、宇治神社 宇治上神社の神様の使いは「兎」となっております。
また、八幡様(八幡宮の神様)の使いは「狛犬」となっております。
古来では「動物」が神様の使い、あるいは道案内役を務めていたようです。
神武東征の折の熊蘇討伐の時も、道案内をしたのは「八咫烏(やたがらす)」であると古事記には記されております。
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