生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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岡先生の勇気あるご表明? (7173)
日時:2015年06月16日 (火) 22時03分
名前:本音の時代(HONNE改め)

「岡先生の勇気あるご表明」と思われる方は、寛大だ。
でも、これでよいのだろうか。
くどいことを何度も書くのだが、
私は、岡さんの勇気はあまりに遅すぎたと思う。
教団を離れ、「学ぶ会」を立ち上がらせた人たちの気持ち。
「ときみつる会」を設立した宮澤潔さん、壽美さんの気持ち。
そして、谷口貴康さんの気持ち。
岡さんはどのように受け止めているのでしょう。

私は、岡さんがこれらの人々に対して、
自らの遅れた行動のことを、まず、詫びなくてはいけないと思うのです。
それも、人として生きる道であると思っています。

お詫びができない人 (7179)
日時:2015年06月17日 (水) 21時14分
名前:本音の時代(HONNE改め)

>安易な褒め言葉よりも、愛のあるきびしいご叱正はありがたいです。

でも、お詫びはしない、できない。
結局、自分が一番かわいいで終わってしまうのです。
自分を握っている限り、見えてこないものがあります。

岡先生へ (7181)
日時:2015年06月18日 (木) 00時16分
名前:光明遍照(旧、亀の子)


合掌

これをご覧なら、先ずはお詫びからはじめるのが「神の子」の自覚ではありませんか?


他の掲示板でも書きましたが、

上記の方々に加え、今からでも遅くはありません。岡先生が批判された二川先生、そして神様、谷口雅春先生対しての大懺悔からはじめるべきです。

本日、谷口雅春先生の三十年祭に当たり、私自身、谷口雅春先生への申し訳なさで胸が詰まりそうでした。自分の非力さを痛感しました。


今回の勇気ある公開質問も、まずは、お詫びからはじめては、如何でしょうか?

それこそ真の勇気だと思うのです。

私自身、名前を公開出来ない立場で言うのもなんですが、掲示板上でも自分が間違ったことに気が着いたら、謝罪しています。

「護国の神剣」も相手が間違っていれば相手が切られますが、自分が間違ったら自分が切られます。

「神の子」の自覚とは、反省しなくてもよい、ただ喜んでいればよいということなのでしょうか?


『実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな』

という言葉もあります。

どうか、「すべての人を救わずにおれない」という悲願がおありなら、そこからはじめて下さい。

よろしくお願い申し上げます。


再拝





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