生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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6・17「枯れ松模様」―――大聖師30年祭挨拶―――自分のことは棚に上げ、美辞麗句でヌケヌケと洗脳を続けるマサノブ・ニセ総裁! (7188) |
- 日時:2015年06月18日 (木) 23時48分
名前:怒りの信徒代表
今回は、電光石火の如く、大聖師30年祭が終るや、早速とその日の内に挨拶文をブログ掲載したマサノブ君。内容は、よくもシャーシャーと言行不一致の自分の行動をいささかも反省せずジキルとハイドの二重人格性を晒し続けているものだとその鉄扉面振りには呆れるばかりである。ジキルとハイドの二つの人格を以って言行不一致を続ける宗教家の風上にも置けぬニセ総裁の正体も「掲示板」情報として拡散して行って次第に多くの信徒に伝わって言っているためか、今回の「枯れ松模様」掲載の挨拶文(おわゆる“お言葉”に関するヨイショ・コメントは本日夜10時現在、ゼロである。多くの信徒たちもマサノブ君のニセ宗教家振りに対して、軽蔑の度を増しつつある事の証拠である。
今回は、彼の記述せる文章の重要部分について講評を加えるとともに、彼の主張の幼稚性と矛盾について質問を呈する事にする。マサノブ君がこの質問を無視すれば、彼の思考の幼稚性と言行不一致を肯定して認めたものと看做されても仕方あるまい。
先ずは、「アホらしくて読んでいられるかい!」と信徒に突き放されてしまった6月17日の「枯れ松模様」の投稿文の概要を以下に掲げる。
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2015年6月17日 (水) 「大聖師30年祭」挨拶の概要 =万物調和の実現に向かって=
今日は午前10時から、長崎県西海市の生長の家総本山の谷口家奥津城において、団体参拝練成会の参加者など約900人が参列して谷口雅春大聖師三十年祭がしめやかに執り行われた。私は玉串拝礼、聖経『甘露の法雨』一斉読誦のあと、概略次のようなあいさつを述べた: ・・・ ところが、この経済発展のために、自然は破壊され、温室効果ガスは大量に排出され、生物多様性は大幅に減衰し、気候変動に伴う災害の頻発や農産物の不作などで、多くの人々が苦しみ、また“反文明”的な色彩の濃いテロリズムの動きが起こっています。そんな中で、生長の家の運動は、その中心目的を“鎮護国家”から“世界平和”へと移し、世界平和実現のために、経済至上主義と欲望優先の都会の生き方から脱却し、“自然と共に伸びる”生き方を開発し実践しようと力強く進みだしているところであります。 このお経は、その名が示すように、生長の家の教えの根本である「神の創造になる実相世界では、すでに万物が大調和し、幸福に満たされている」という唯神実相の真理を説いた、6つの祈りの言葉から構成されています。この6つのうち3つは、谷口雅春先生の『真理の吟唱』にある祈りの言葉であり、残りの3つは私の『日々の祈り』から採ったものです。この六章経が発行された目的は、人間が自然を破壊せずに、自己の欲望を適切に統御する生き方を実践するためで、そのためには、私たちが日ごろから、神の世界の万物調和を観ずることが必要であるとの考えにもとづくものです。ちなみに、今年の運動方針の「平和・環境・資源の問題解決への貢献」の項目には、次のように書かれています−−“世界の幹部・信徒は、『真理の吟唱』の中の「天地一切と和解する祈り」「天下無敵となる祈り」「有情非情悉く兄弟姉妹と悟る祈り」、また、『日々の祈り』の中の「“すべては一体”と実感する祈り」「神の愛に感謝する祈り」「神の無限生命をわが内に観ずる祈り」などの読誦を通して日々、自然界の「ムスビ」の働きを意識しながら「神・自然・人間の大調和」の顕現に向けて運動と生活を実践する。” 今、日本の国会では、同盟国と一丸になって戦闘行為をできるような体制を作ることが、平和の維持にとって必要だと考える政治家が、憲法の規定に違反する疑いが濃い中で11の法律を一挙に変更し、軍備を拡大しようとしています。グローバル化が進んだ現代では、このような軍備一辺倒の国防政策で国の安全が保障されると考えるのは時代遅れであり、誤りです。また、人間の争いの心が自然界の諸相に反映されるという教え、そして、現象は認めた通りに現れるという唯心所現の教えからすれば、かえって逆効果になる可能性が大きいのです。また、私がすでにブログに書いたように、憲法の規定に反する法律を制定するということは、民主主義の根本原則である「立憲主義」をないがしろにするもので、必ず将来に禍根を残すでしょう。 私たちは今、中国やロシアと軍備拡大競争をしている場合ではないのです。地球上のすべての国々は互いに協力し、知恵を出し合って、地球温暖化やエネルギー問題、核兵器拡散というようなグローバルな共通問題の解決に真剣に取り組んでいかねばなりません。そういう意味からも、今後、皆さんは、この『万物調和六章経』を繰り返し読誦され、その大調和のメッセージを心に深く刻みながら、自他対立の心を起こすことなく、明るく、積極的に、万物の平和共存に向かって邁進していただきたい。 谷口 雅宣
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<講評とマサノブ君への公開質問状>
[ T ] マサノブ挨拶文、―――
<< “鎮護国家”から“世界平和”へと移し、世界平和実現のために、経済至上主義と欲望優先の都会の生き方から脱却し、“自然と共に伸びる”生き方を開発し実践しようと力強く進みだしている>>
⇒ 講評と質問――
@ マサノブ君は、共産中国の軍事的脅威を全く認めていない幼児性思考である。日本の平和と安全の必要性を何も考えていない。だから、「鎮護国家」を認めず、全世界の左翼的革命を目指す「世界平和」――つまり、国家意識と民族意識がある限り戦争があり、世界は平和にならない。サヨク唯物論的「世界統一政府」ができてこそ世界は平和になる、このような意味での「世界平和」を主張しているのである。しかし、マサノブ君の主張は、唯神實相世界観による「金波羅華中心帰一理想国」実現による「真実の世界平和」とは根本的に異なったものである。マサノブ君の考えはサヨク唯物論に根拠を置くが故に間違っている。マサノブ君に問う! 完全な軍国主義国家共産中国の現実的軍事的脅威に君は如何に対処しようとするのか、その見解を問う!
A 経済至上主義と欲望優先の都会の生き方から脱却しなければ地球環境は破壊され続け、生き物の住めない死の星になるとマサノブ君は主張している。しかし、マサノブ君は余りにも得手勝手すぎる。「経済至上主義」を捨てよ!ということは、究極的には人類は原始的自給自足生活に戻れという意味である。この様な自給自足の原始生活に戻れというマサノブ君の主張は、誰も受け入れてくれるはずもない。幼児性思考以外の何物でもないからである。欲望優先の都会生活を捨てて緑の自然豊かな田舎暮らしで自然と共生せよ、との主張も一部セレブ族以外の一般国民には説得力を全然持たない幼児性思考である。「森のオフィス」も立地は自然環境豊かな中に建っているが、その建設には、“経済至上主義”の近代工業の生産物を使って建てたものではないか? 此処のところがマサノブ思考の根本的矛盾点(言行不一致、エエ格好はするが自らは実践せず)である。
マサノブ君は、「生長の家」の『御教え』を無視して、左翼的唯物主張のみを為す。
1、 人間は「無限の可能性」を持つが故に、過去に於いても公害と言われた問題も科学技術の高度な開発によって克服してきたし、これからの地球環境問題も原始生活に帰ることなく、都会生活を捨てることもなく、問題克服を為して行けるのだ、という考え方をマサノブ君は採らない。
2、「高度な霊的文明」の発達は、ある程度の物質文明の発達の上に構築されるものである、ということをマサノブ君は理解できていない。
3、 「秩序ある経済社会」・「人間の欲望制御」のためには、精神的教育や霊性教育や霊的真理教育が必要である。しかし、このような精神的霊的教育を学校教育に取り入れることを左翼思想者は頭から反対する。マサノブ君も、学校教育に於ける精神的・霊性開発教育の必要性について今までに一度たりとも語ったこともない。むしろ彼は日教組と同じく反対している。「日本精神」は今では“死語”になっているとの発言にある如く。
マサノブ君に問う、――
「森のオフィス」の建設は「経済至上主義」の産物である近代建築技術と自然界から奪った資源による工場生産物を使って出来ている。「経済至上主義」を忌み嫌う君の信条に反してはいないか? 君は又、「日本精神」を忌み嫌う。ならば、学校教育に於ける精神的且つ霊性教育は必要と考えるか、それとも日教組と同じく反対を唱えるのか?その見解をあらためて問う!
B 「“自然と共に伸びる”生き方を開発し実践しようと力強く進みだしている」、――このようにマサノブ君は自画自賛しているが、自分だけが舞い上がっているだけである。「力強く進みだしている」なんてお世辞にも言えた柄ではない。四面楚歌、躍ってはしやいでいるのはマサノブ唯一人!周りは皆、シラーッとしている。このことに気がつかぬほどの鈍感な人間なのか、マサノブ君は! 信徒たちが、本当に“力強く”自然と共に生きようとしていると本気に思っていると思うのか?さすれば、現在の信徒脱退の増加傾向――教勢の急落現象をどのように認識せるものなりや?ウソを言ってはいけないよマサノブ君!この件に対しても是非、君の見解を問う!
[ U ] マサノブ挨拶文、―――
<< この六章経が発行された目的は、人間が自然を破壊せずに、自己の欲望を適切に統御する生き方を実践するためで、そのためには、私たちが日ごろから、神の世界の万物調和を観ずることが必用、・・・『真理の吟唱』の中の「天地一切と和解する祈り」「天下無敵となる祈り」「有情非情悉く兄弟姉妹と悟る祈り」、また、『日々の祈り』の中の「“すべては一体”と実感する祈り」「神の愛に感謝する祈り」・・・>>
⇒ 講評と質問――
@ 『真理の吟唱』は、開祖・谷口雅春先生が霊的直観で書かれたもの、神示と同じものである。しかるに、マサノブ君の『日々の祈り』はマサノブ君の人間知で書いたもの。清超先生は、「生長の家において神示が天降ったのは雅春先生のみ!」と断言されている。それを承知で、マサノブ君は神示と人間知を同格に扱い『万物調和六章経』を作って雅春先生との共著と表示したと云う。マサノブ君のこの敬神の心なき傲慢さには呆れて物がいえぬ。さらに、「天地一切と和解」・「有情非情悉く兄弟姉妹と悟る」・「すべては一体”と実感する」「神の愛に感謝する」等々、結構ずくめの説教を為すが、――
本来の『御教え』を信奉するものに「原理主義者」と言う汚名を着せて追放し、義兄実弟の人たちをも追い出し、自分の気に食わぬ内容の開祖の御著書を独断で焚書(絶版)処分にしたり、真実の情報が洩れるのを防ぐため、実母の恵美子先生を軟禁同然に扱ったり・・・マサノブ君の実際の行動はなっていない。決して宗教家とは言えないこれ等の言行不一致の実際行動に対するマサノブ君の見解を問う!
A マサノブ君は、“人間が自然を一切破壊しない”ことを主張している。自然界から石油・石炭・鉱物を掘り出さすこともこの自然破壊であると云う見解である。結局、マサノブ君の主張は間違いなく自給自足の柴の庵を結んでの原始生活に人間社会は帰らなければならないと言う主張である。しかし、別冊「真理」には、人間は鉱物界や動植物界を統御活用してより高い霊的文明社会を構築する事が神によって許されているという事が書かれているのである。自然界を破壊するのではなく、自然界を叡智で持って統御活用するのある。そのためには、人類社会の霊性開発が必要である。この霊性開発の具体的方法が、幼少時からの「道徳教育」であり、唯物的世界観から唯神實相世界観への「観}の転換教育である。自給自足の原始生活への後退ではなく、人類社会全体の霊性開発による霊的文明を目指しての前向きの行動を目指さねばならない。自然破壊の全面禁止か、霊性開発による自然界の統御活用か、このことに関してのマサノブ君の見解を問う!
B マサノブ君は、現教団において独裁専制運営をなしていることは誰の目から見ても明らかである。マサノブ君が、衆生救済は現代の宗教家の目的ではない、地球環境保護が現代宗教家の最大の使命と考えている。そして、開祖・谷口雅春先生が「全人類が病悩苦から解放されるまで、私には休日はない、別荘も必要ではない。ただ欲しいのは時間だけである」と言われたこととは全く反対の大いなるヒマな時間を持て余しての宗教貴族生活(講習会の目的はVIP待遇の小旅行、人坪農園のママゴト農業、自転車競技大会、エコショップの販売用小物造り、エコ貨幣で中央銀行総裁気分・・・)だ出来るのも開祖・谷口雅春先生や先輩信徒の皆様の積み立てられた浄財があったればこそ、である。この浄財を「森のオフィス」の建設や、メガソーラー発電事業、裁判費用、株式運用による利ザヤ稼ぎ、総裁をはじめ理事参議たち幹部の超高額年俸に独裁決済権で湯水の如く使いまくる、――開祖・谷口雅春先生や先輩信徒へに感謝の気持等微塵もないではないか? よくも「神の愛に感謝する祈り」をすべしとシャーシャーと信徒に言えたもんだ! 傲岸不遜なる独裁者であるマサノブ君のこの件に関する見解を問う!
[ V ] マサノブ挨拶文、―――
<< 今、日本の国会では、同盟国と一丸になって戦闘行為をできるような体制を作ることが、平和の維持にとって必要だと考える政治家が、憲法の規定に違反する疑いが濃い中で11の法律を一挙に変更し、軍備を拡大しようとしています。グローバル化が進んだ現代では、軍備一辺倒の国防政策で国の安全が保障されると考えるのは時代遅れであり誤り・・・>>
⇒ 講評と質問――
@ なぜ、日本が現在安全保障法制の整備を急がなければならないような事態になっているのか、をマサノブ君は一切度外視して、「軍備一辺倒の国防政策」と断じ反対論を展開し、「戦争準備法制」と左翼マスコミの尻馬に乗って言っている。共産中国が尖閣諸島の占領計画などしなければ、南沙諸島の他国領土を自己のものにせんとさえしなければ、第一列島線・第二列島線を引かなければ、また、ロシアが北方領土を素直に返還し、軍事力による伝統的且つ国策的南下政策を持たなければ、また、北朝鮮が日本向けのミサイル開発や拉致事件を引き起こさなければ・・・日本近辺は平和が保たれて行くのであります。日本には軍事力を使って近隣諸国を強引に侵略して自国領土を広げると意志はないのである。軍事力による侵略を企てているのは共産中国である。非は共産中国にこそある。しかし、マサノブ君は共産中国の日本領土侵奪の意思はないと云うのである。たとえ、あったとしても、日本は外交力で解決できると思っている。マサノブ君は本当に共産中国が平和を愛する国家だと断言できるのか? また、強大な軍事力をもって自国領土拡大を狙う国に、丸腰でいて、話し合いで解決できると思っているのか? マサノブ君の見解を問う!
A 「新講『甘露の法雨』解釈」の87頁に「軍備は不必要か?」について、開祖・谷口雅春先生は次のように書かれております。 <<理想世界の「一切の生物処を得て争うものなき」状態があらわれたなら、そんなもの(軍備)は要らんはずだと言えるのであります。しかし、現代の日本人が果たしてそれだけの精神的力量叉は高い心境に達しているかどうかという事が問題なのです。・・・實相の世界には戦争はなく、平和であるけれども、その實相の状態をあらわすだけの平和な心境がなければ、他国からせめてきたときには防ぐだけの武器というものは備えておかなければならんということになる訳です。これは“最高”の善ではないけれども、心境が未だ至らないときの防衛のためには必要な“第二の善”であると言うほかはない・・・>> 開祖・谷口雅春先生のこの様なお考えに対してマサノブ君の見解を問う!
B 実際の問題として、共産中国は日本領土の侵奪計画においては、自国の軍隊の甚大な消耗をなんとも思っていない。出来るだけ多くの自国兵士が戦死すれば多すぎる人工削減に大いに役立つと思っている。しかも消耗した兵器はどんどんと国内生産すれば却って国内経済が活気つく。国民の不平不満の目は、共産党中央政府から対日戦争の方にむけられる。故に、尖閣諸島占領の限定戦争にしても大物量作戦で侵攻して来る。この様なときに日本単独で防戦できるか? 答えは否である。ここに日米安保条約の必要性があり、集団的自衛権でことに当る必要性があるのである。双方がお互いに協力する双務関係にあるのであるから、日本が困った時だけアメリカに助けを求め、アメリカが困った時には知らん顔をしていることは常識的に考えても虫のよすぎる考えである。得手勝手論法である。 集団的自衛権反対論者のマサノブ君、日米安保条約を破棄し、物量作戦で共産中国が戦争を仕掛けて来た時に、日本は自衛隊だけで防ぎきれると思っているのか?この件にかんして君の見解を問う!
[ W ] マサノブ挨拶文、―――
<< 憲法の規定に反する法律を制定するということは、民主主義の根本原則である「立憲主義」をないがしろにするもので、必ず将来に禍根を残すでしょう。>>
⇒ 講評と質問――
@ 共産中国の尖閣諸島侵奪防止を喫緊対象としての「防衛法制」の整備を、左翼マスコミと左翼宗教家のマサノブ君は反対のための反対という意味で得手勝手に「戦争準備法制」という言葉を作って国民的洗脳作戦に出たのであります。そして今回の「防衛法制整備」としての法案、特に集団的自衛権に関するものを、憲法の規定に反するという反対は、憲法学者の見解を盾にとって「立憲主義をないがしろにする」憲法違反そのものであると強行に反対派は主張している。此処で考えなければならないのは、自国民の平和な生活と安全を守る国家防衛問題は、普通の国内問題とは違って、時代の変化と相手方の動きに絶えず注目して情報収集や防御力向上に流動的に対処していかなければならないのである。GHQの巧妙な罠にはまった戦後日教組教育によって、日本国憲法では国家の防衛は全うしきれないことはわかっているのだが、左翼政党はこの現憲法を政府打倒の手段として使えると判断して「平和憲法」という錦の御旗として活用し続けてきている。だから、現憲法はその「硬性憲法」たる性格上容易に改正が出来ない。しかし、共産中国が大軍事国家として、嘗ての大清帝国の版図の復元と更なる拡大を目指して大軍事力を擁するに至り、日本侵奪の戦争を開戦してくる危険性が急激に増大している現在、憲法に縛られていると遂には共産中国の軍門に降らざるを得ない。国家防衛の全責任を持つ政府は知恵を絞って対処しなければならないのであります。
このことに関する自民党の高村副総裁の見解はきわめて当たり前のことである。端的に言えば、―― 1、 憲法学者の云うとおりにしているならば、政治家は要らない。 2、 憲法学者は国家防衛に関しての責任は持たない。 3、 政治家は国家防衛の責任を持っている。 4、 憲法議論栄えて国滅ぶ。憲法残って国滅ぶ。
これに対して、民主党の岡田代表は、―― 「集団的自衛権は必要ではない」 又かつて、民社党の田嶋陽子(元)議員は「たとえ戦争を仕掛けてくる国があっても、あくまで外交力(話し合い)で解決すべきである。
以上の件に関するマサノブ君の見解を問う!
A <民主主義の根本原則である「立憲主義」>の尊重をマサノブ君は主張している。しかし現教団の実態を見てみると、現教団には民主主義はない。すべてマサノブ・ニセ総裁の専横独断で動かされている。“恐怖型の独裁運営”である。「森のオフィス」の建設と本部移転、メガソーラー事業の開始、総本山「鎮護国家」から「世界平和」への変更、衆生救済(病悩苦からの解放)を捨て「地球環境保護」への活動目標の変更・・・と云ったことは信徒の意見を十分聞いた上で決定せらるべきものである。しかし、マサノブ君は自分の思いどうりに独裁権力を行使して方向転換をしてしまったのである。どこが“民主主義”なのか、反対に実態は、マサノブのマサノブの為のマサノブによる“恐怖型独裁専制体制”である。このことに関してのマサノブ君の見解を問う!
B また、「生長の家」教団の最高法規は「生長の家教規」であるが、独裁マサノブ君は、教規の重要な根幹部分にたいして完全な教規違反を犯しているのである。それは、――
1、第五条:教義 << 本教の教義の大要は世界すべての宗教は唯一の本源より発するものにして、万教は唯一の真理に帰一し、人間救いの原理も唯一にして二あることなきことを宣説するものにして、教えの創始者谷口雅春の唯神實相の神学を鍵として全世界の宗教の経典の真義を顕示して人生に光明あらしむるものである。教義の根本たるものは『生命の實相』巻頭の「七つの燈台の点灯者の神示なり」・・・>> ⇒ マサノブ君は完全な言行不一致!
2、第六条:本尊 << 生長の家とは「大宇宙」の別名なれば、・・・あらゆる宗教の本尊の奥にある「實相」(唯一の真理)を礼拝の対象とするため『實相』の書を掲げるものとする。>> ⇒ 『實相』礼拝せず、雑木林をマサノブ教の御神体として恭しく礼拝(笑止千万)
3、第八条:儀式 << この宗教の儀式は礼拝、祈り、神想観及び聖経読誦とし、教義に従い随時にこの教規に定めた講師の指導のもとにこれを行うものとする。>> ⇒ 教化部での早朝神想観禁止と「大自然惨禍経」の読誦と聖経化。
このように「生長の家」最高法規たる「教規」を違反無視している者がどうして、「立憲主義」などと大きなことが言えるのか、脚下照顧すべきである。この点に関してのマサノブ君の見解を問う!
<総括>
以上の如くマサノブ君の見解は間違っているのである。得手勝手すぎるのであります。自分のことは棚に上げ、云う事だけはゴリッパなことをいっている。改めて再び云う。マサノブ君は、君自身のジキルトハイドの二面性性格・言行不一致を如何考えているのか?見解を問う!
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