生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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開祖・谷口雅春先生御昇天30周年記念 『正統・生長の家本義』――別派マサノブ教では絶対に聞けない信徒必読のお話です。<その七> (7193) |
- 日時:2015年06月19日 (金) 07時08分
名前:信徒連合
H 日本国の世界的使命
<< 『古事記』の講義は、戦前も戦後も一貫して谷口雅春先生の御教えたる「唯神實相哲学」の核心をなすものであった。というのは、『古事記』冒頭に記(しる)された神々の御名こそは、天皇国日本の實相をあますところなく啓示するものであり、それが幾多の曲折と自壊作用を経ながら、現象界に顕現する過程として直観把握されたものこそが、『古事記』に表れた様々の物語に外ならないからである。『古事記』に記された神々の物語が、先生の深遠なる「唯神實相哲学」に照らし出されるとき、それは預言書ともなり、哲学書ともなり、教育書ともなれば、国家を治める帝王学ともなるのであって、換言すれば谷口雅春先生の「唯神實相哲学」を理解せんとすれば、この『古事記講義』を精読する以外にはないのである。・・・本書の中で「ユダヤ民族の世界統一運動」に言及した箇所などは、読者の中には或いは違和感を覚える向きもあるかもしれないが、谷口雅春先生は飽くまでも宗教的・霊的な、高次の立場からこれを問題にしておられるのであって・・・本書に言う「ユダヤ民族の守護神と日本民族の守護神との戦い」は本質的には現代も続いている。>>( 『古事記と日本国の世界的使命』P.4)
實相」(実在)世界とは、――(言霊<ことだま>学によって解釈して行けば)
1、 実在世界は、中心帰一の妙有世界(P.81) 2、 実在世界は、陰陽揃う世界(P.83) 3、 実在世界は、無限創造の世界(P.85) 4、 實相世界の特徴は、金剛不壊(P.87) 5、 實相宇宙は、遠心求心調和の世界(P.89) 6、 実在宇宙の特徴は無限包容(P.91) 7、 実在宇宙は、円満完全至美至妙(P.92)
日本國體は、實相至妙至妙の顕現
<< 實相の世界の特徴を挙げて見ると大凡(おおよそ)この七つになるのであります。これで大体お判りになりましたでしょうが、実在宇宙は決して空(くう)ではない。何も無い所の“からっぽ”ではないのであります。ところで、この七つの特徴を持った世界が現実的に現れて来たのが大日本国であります。ニニギノミコト様が實相世界即ち実在宇宙から現象世界にへ御降臨あらせられて地上に建国ということが出来上がった、そこに中心帰一、夫唱婦和、無限創造、遠心求心調和、無限包容、円満完全至美至妙の世界が、天(實相)になるが如く地にも現れてきたのであります。ですからニニギノミコト様御降臨以来、現実世界にも中心に帰一する国がここに“ありあり”と具体の世界に出現したので、日本の國體が尊いというのも實相世界そのままの立派な特徴が持続されているからで、中でも『中心帰一』の實相は皇位の永遠性と共に、大日本天津日嗣(あまつひつぎ)天皇を、天之御中主神の全徳の御表現(おんあらわれ)として崇(あが)め奉り、全ての国民が『神の子』として、親神様の御表現(おんあらわれ)なる天皇に中心帰一している。この日本の国の國體というものは實相世界をそのままに現している。だから日本の国を蓬莱島(ほうらいとう)であるとして不老不死の薬のある国だと云うのも無理がないのであります。
實相は何もない空(くう)であるとするような仏教では此の日本の國體の美はわからないのであります。誠に日本國體の尊さは、万民『神の子』として親神の御表現なる天皇陛下に中心帰一する働きが、単に理論ではなく具体的に現れている点であります。この中心(すみろぎ)に帰一する働きが中(ちゅう)の心――即ち忠(ちゅう)であって、中心に帰一する事が一切の諸徳のうちの第一に置かれるのであります。>>(P.93〜95)
夫唱婦和は日本が第一
<< 更に、実在宇宙の特徴たる陰陽の調和、夫唱婦和の霊徳が実際に最も完全に現れているのが日本国であります。外(ほか)の国ではこういう風に本当に調和した陰陽の状態が出ていないのでありまして、ややもすれば婦唱夫和、嬶(かかあ)天下の状態になっております。日本でも時々そういう家庭があるにはあるのでありますが、それは本当に実在の實相が現れていないのであって、迷いのレンズによって本当の相(すがた)が逆転して見えているから、そういう家庭は必ず面白く行かないのであります。家庭が不和なばかりではなしに事業の上から云ってもいい具合に行くことが少ない、或いは事業の上でいい事に行くならば、金はあれども何となしにその人の心が荒(すさ)んだようになっている場合が多いのであって、どうしてもこの夫唱婦和の實相の有様が出て来なければ此の世界に地上天国が顕現しないのであります。現在のところ日本の国は最も夫唱婦和が完全に現れているのであります。それは外国の夫婦と日本の夫婦とをよく比較すれば判るのであります。>>(P.95〜96)
一瞬に久遠を生きる金剛不壊の生活は日本が第一
<< ですから實相の生活というものは、『今』の瞬間が一瞬一瞬完成しているのであります。従って吾々が此の世界に生きている生活も今の一瞬一瞬に完成していない所の、例えば準備教育を受けて上の学校へ入学する為に『今』の生活を送っているというような、手段としての生活をしているようなことでは妄(うそ)なのであります。<今この瞬間無限>を生きている、完全な生活を生きている、その完全の連続が常に自分の生活でなくてはならないのであります。こういう生活であってこそ『朝(あした)に道を聴かば夕(ゆうべ)に死すとも可なり』の生活だということが出来るのである。・・・ 一瞬一瞬それ自身で完全な生活と申しますと、その生活は自主の生活であり、因縁所生の生活でありませんから、従って金剛不壊の生活に一致するのであります。因縁所生の生活は金剛不壊ではない、それは相互依存の生活であって、直ちに壊(くず)れてしまうのであります。この世に因縁所生でない、相互依存の生活でないそんな生活があるかと申しますと、現象世界の生活は凡(すべ)て因縁所生、相互依存の生活でありますけれども、その因縁所生相互依存の生活を送りながらも、その一瞬一瞬の生活が『久遠の我』を自覚した生活ならば金剛不壊の生活であります。何故なら、『久遠の我』は金剛不壊で壊(くだ)けようがないからであります。・・一瞬一瞬が金剛不壊で、砕けないところの無限の大生命を生きているという事になるのであります。キリストが『生命を捐(す)つるものは生命を得』と云ったのは此の事を動破したのであります。外国にもキリストのように現象の生命を捨てきった一瞬に『久遠の生命』を生きるのだということを知っていた聖者もありますが、大抵はそうではありません。・・・>>(P.98〜100)
ユダヤ民族守護神と日本民族守護神との霊界における戦い
<< ・・・日本は世界各国を滅ぼしてしまおうというのではないのであります。日本は太陽の国であり、世界各国は星の国でありますから、大いなる太陽の光を中心に小さなるひかりでも各々(おのおの)天分をつくして光れば好いのであります。・・・本当は日本国はそんな東海の一小国ではない、『大日本世界国』である、全世界が日本なのである。新日本の實相の発見であります。既にその『實相』は孕(はら)んでいるのであります。『孕(はら)む』というのは『既に<ある>』がまだ表れていないと云うことであります。大日本なる国土が豊葦原の瑞穂の国(とよあしはらのみずほのくに)という全地球上であるという約束(實相)は既に天照大御神の天孫降臨の御神勅以来、『實相』(コトバ)として孕んでいるのでありますが、それがまだ実現していない、――それは必ず実現するが、それが実現する為には今後幾多の試練に出会(でくわ)さなければならない・・・
その試練の最大なるものは、ユダヤ民族の世界統一運動なのであります。そして今やユダヤ民族は一国家を為していませんが(編注・現在のイスラエル国家はニセ・ユダヤ人であるアシュケナージーユダヤ人国家である)、全世界の全権を掌握している大富豪は殆んどすべてがユダヤ人であり、・・・このユダヤ民族は世界各国に分散していますが、いずれも霊界より、この黙示録に書いてある『赤き龍(たつ)』の放送する思想念波によって暗黙のうちに一致の行動をとり、全世界をユダヤ人を主宰者とする一色に塗りつぶそうとしている・・・これこそ全世界を『赤』一色にて取り巻こうというヤマタノオロチの遠大な謀計(はかりごと)なのであります。その遠大なる謀計(はかりごと)はまず世界を唯物論で塗りつぶすということでありました。
此の赤き龍(たつ)というのは、天爾惟神(てんにかんながら)の神国をも自分の掌中に掌握しようという謀計をめぐらすほどの者ですから、実に大きな働きであって、中々普通の人間などよりもよほど強い能力を持っておるのであります。(編注・「赤き龍(たつ)については、ヨハネ黙示録1〜18参照」)・・・蛇の知恵、物質的知恵、唯物論の知恵を以って世界をかきまわしているところの龍(たつ)であります。そして先ず金力、物質の力によって宇宙全体をひっかきまわして、先ずこの世界を金力の支配下に置き、資本主義制度をでっちあげ、その反動を利用し・・・妙な言い方でありますが、資本主義組織を計画したのもユダヤの守護神であり、これを破壊に導いているのもユダヤ守護神であり、その変転の過程が彼らの乗ずるところであります。
資本主義制度というものは、唯物論に出発している。総て物を蓄積して、物の力によって一切を支配して行こうという働きであります。その反動として起こっているかの如く見えているところの『赤』色運動というのも唯物論であります。本源はひとつであるということがお判りになりましょう。中々巧妙な仕組みになっているのでありまして、これは霊界に於ける『赤き龍』の念波によって唯物論者が操縦せられて、まずそれらの人たちの頭が唯物論になり、そうして拝金宗になり、金ばかりを崇拝して、資本主義の弊害を過大ならしめ、その反動を利用してユダヤ民族の世界にしようとしているのであります。
その遠大な遠回しの自由自在な計画を『八俣』(愈々多くの俣――戦術)のある<遠>大なる<呂>国(編註・ロシア)の<智>慧であるとして『八俣遠呂智(ヤマタノオロチ)』で表現してあるなどは、古事記が預言書であると云い得る所以であります。ヤマタノオロチに委(まか)せて置いたら、世界各国の元首は一人一人、毎年ヤマタノオロチに喰われてしまうように滅ぼされてしまうのであります。オロチは遠大な知恵のあるものですから、単に『赤』の中に『赤』があるばかりでなく、『白』の中にも『赤』があり、ファッショの中にもヤマタノオロチの世界各国元首破壊の遠大な手が潜んでいるのであります。
新日本の『實相』の実現(生み出し)に対して、赤き龍が一呑みに呑みほそうとして待ち構えているのですから、あたかも現代日本の新しき行動に対して虎視眈々現在のユダヤ世界資本がまちかまえている現状そっくりではありませんか。・・・吾等にとって刻下最も必要なのは、日本国の使命(實相)を信ずるということと、その信念に全国民が一致団結するということであります。
その目的のために国民思想を作興すべく生まれたのが『生長の家』であります。吾々は人類を愛するが故に、人類の成員の一人にでも負傷せしめたくないが故に、できるだけ戦争は避けたいのであります。しかし世界を取り巻くこの迷妄の深さは、その迷妄みずからの本来の無(非存在)を暴露せんがために、迷い自壊作用として全世界には戦争を期待する空気は冪々(べきべき)として妖雲の如く漲っているのであります。・・・国家的なる迷いの自壊作用とは戦争であります。何故『迷』であるかと云うと『中心帰一』の實相を知らないからであります。世界の国家はすべて一つの中心(すめらぎ)に帰一すべき自他一体の世界国であるということを自覚する過程として崩壊し行くでありましょう。これが各国の国家的迷いの自壊作用であります。それは今の人類の迷妄状態では避け得られない、やがて全世界は苦難のときが来るのであります。――東海姫氏(とうかいきし)の日本国はそんな時にも決して滅びるということはないのであります。・・・如何なる時にもわが日本国は神に守られておるのでありますから、滅びるなどということはない、・・・日本の国は永遠に如何なる敵国の精兵も如何なる奸物の妖牙も到底犯すことは出来ないのであります。
かかる戦(いくさ)が何故起こるか、地上の戦いは単に地上のみの戦いではないのであります。ユダヤの国魂神(くにたまのかみ)なるヤマタノオロチがその深謀遠慮を以って、『古事記』の書かれたる時代以前より計画せるユダヤ民族の世界統一運動こそ、八稚女(やおとめ)を呑みほして、世界を『赤』一色で塗りつぶさんとの運動でありますから、地上に於けるユダヤ民族の世界統一の陰謀(あるいは無意識的なるその作謀を扶(たす)ける行動)などは、ユダヤ民族の守護神(国魂神)の傀儡(かいらい)となっているに過ぎません。
そこで天照大御神を祖神(おやがみ)として全世界より祖国として仰がれるべき天爾惟神(てんにかんながら)の使命を有せる日本国の神々は、ユダヤ民族の守護神にとっては一大脅威でありますから、まず日本民族の守護神とユダヤ民族の守護神との間に戦が起こるのであります。そして各民族の守護神は神としてのみ互いに優劣を決するのではなく、地上の権力の掌握を覘(ねら)っているのでありますから、地上の人間の行動は、天上の各守護神の思念の力によってその傀儡(かいらい)となり、人間自身で考えた行動の如く錯覚しながら、実はその頣使(いし・思い通りに動かす)の下に働いているのであります。
しかも思念は、精神波動の類似(波長の共鳴)によって感応するのですから、ユダヤ的なる思想をより多く有するものは、ユダヤ民族の守護神の思念波動に左右せられて、知らず識らず日本に不利なる行動をとりつつあり、より多く日本主義的思想を有する者は日本民族の守護神の思念波動に左右せられて、知らず識らず日本に有利なる行動をとりつつあるのであります。地上を見ていれば、人間と人間との葛藤でありますが、その本源を見れば、天の戦であり、ユダヤ民族の守護神と日本民族の守護神との戦いなのであります。
嘗てキリスト教が日本に輸入せられて来たときに、彼ら牧師は神社に参拝するのは偶像崇拝であるという名の下に、日本人の神社崇拝を排撃した。これなども実はユダヤ民族の守護神の思念に彼ら牧師が操られて、日本国民の良俗を廃せしめ、ユダヤの神を拝せしめ、日本民族の守護神の神力の糧道を絶ち、ユダヤの神の神力の増大を謀ろうとしたのであって、背後にユダヤ民族の守護神の陰謀が働いているのであります。・・・ユダヤ民族の守護神の陰謀が如何に遠大な気のつかぬところまで手をのばしているものであったかが判りましょう。
しかし、如何にヤマタノオロチに深謀遠慮がありましょうとも、日本の国には宇宙創造の時以来、その天爾(てんに)の使命遂行のため惟神(かんながら)なる深謀が行なってあるのでありますから恐れることはありません。・・・黙示録にある通り『赤き龍』の地上への墜落は直に全世界の実際的平和を来すものではありません。天の使いとユダヤ民族の守護神との思想の戦(天の戦)が終わったときこそ戦争準備軍拡時代でありましょう。その愈々(のいよいよ)の時が何時であるかは霊界に於ける地上の人類の運命修正運動などの影響もあり、何人も定かには判らないのであります。しかし『無花果(いちじく)の枝すでに柔らかくなりて芽ぐんでいる』ことは明らかであります。吾々日本人は今後益々日本国の使命實相を知り、互いに一致団結して祖国を守らねばならない時であります。>>(P.149〜167)
『今』の一瞬に『久遠』を生きるのが日本精神
ニニギノミコトがコノハナサクヤヒメノミコトに『汝を皇妃として迎えるたいものじゃが』と仰せられたのであります。するとコノハナサクヤヒメノミコトが仰せられるのに、『わたしは自分一存ではおこたえすることが出来ません。自分の父のオオヤマツミノ神に一辺聞いて下さいませんか』こういわれたのであります。これが結婚に関する日本精神なのであります。大国主命系統は男女間にルーズな風習があったようでありますが、天孫民族は結婚については非常に厳格なところがあったのであります。レヴュー全盛時代の現代娘の一部分がやっているとところの女の方が自分の好きな男を勝手に決めて結婚するというような風習は大国主命系の思想でありまして、純日本主義の結婚観念ではないのであります。天孫民族――純日本主義の結婚観念では、親に相談して親が嫁(い)ってもいいと仰せたまうならば、そこへ嫁入るというのでありまして、コノハナサクヤヒメノミコトはその尊き範例を示し給うたのであります。
それで次に、ニニギノミコトが大山津見神(オオヤマツミノカミ)に御交渉なさいましたならば、大山津見神は、イワナガヒメとコノハナサクヤヒメと二人の姉妹を遺(つか)わして、『どちらでもお気に入る方をお取りください。イワナガヒメという方は醜いけれどもこの醜い方を妃にせられましたならば何時までもあなた様、天皇(すめらみこと)のお生命(いのち)は長くつづくのである。ところがこの美しい方のコノハナサクヤヒメをお娶(めと)りになったならば、お生命(いのち)はやはり桜花爛漫と栄ゆるがごとく栄えましょう』とこう申し上げたのであります。ところが、ニニギノミコトはコノハナサクヤヒメだけをお娶(めと)りになった。・・・ニニギノミコトがコノハナサクヤヒメノミコトをお選びになったのは、単に醜いよりも美しい方がお好きであったというような浮いた話ではないのであります。
ここに実に深い真理が寓(やど)されているので、誠に畏(かしこ)き極みであります。本居宣長は日本精神を詠じて『敷島の大和心を人問わば朝日に匂う山桜花』と云われましたが、日本精神というのは、汚いことをしてまで長生きしたいという風な執着深い功利的精神ではないのであります。『朝に道を聞かば夕に死すとも可なり』というのが日本精神である。常に生長の家で申しますところの『今の一瞬に久遠の生命を生きる』という事が日本精神であります。現象世界に於いて一個の人間が何時までも固定して長く続いて行くというのは日本精神ではないのであります。日本精神というものは、現象の無常を悟り同時に實相生命の永遠を悟るところの精神であります。現象界は一瞬と雖(いえど)も止(とど)まらず移り変わるのでありますけれども、現象界の一瞬一刻一点に、その一点の『今』に、久遠の生命を生きるのが大和魂である。・・・
ここに考えなければならないのは、『美』の問題であります。『美』とは、そこに生命が現れているということです。それですから、コノハナサクヤヒメノミコトをお選びになったということは『生命』をお選びになったと云うことであります。・・・日本人は生気を尊んだ民族で、生命のないことを『気枯れ(けがれ)』と云った。・・・美というものは形にあるのではなく、ものそのものの内に生きている生命にあるのです。『今』の一瞬に久遠の生命を生きる人は常に生命が溌剌(はつらつ)として本当に美しい相(すがた)がでているのであります。此の真理を行(ぎょう)の上に表現せられたのがニニギノミコトでありまして、非常に尊く御行迹(ごぎょうせき)を拝察させて頂くのであります。>>(P.202〜207)
火にも焼けざる不滅の日本皇位
ヒコホノニニギノミコトがコノハナサクヤヒメに目合(まぐわ)いますと、たった一晩でお孕(はら)みになったという事が古事記に出ております。たった一夜で孕んだのでは吾が子でないかも知れぬ、必ず国神(くにつかみ)の子だろうと仰せられた。――国神(くにつかみ)というのは従位の国土準備の神様のことであって、久遠實相の高天原から君位として降って来た天神(あまつかみ)の子でないと云うのであります。そういう国神の一時的制覇の皇位であるならば、久遠無窮に続く皇位ではない、實相即ち久遠の不滅の天上から天降って来た皇位であってこそ火に焼けぬ永遠不滅のものである。そこでコノハナサクヤヒメがお生みになる御子(みこ)が本当に久遠皇位の代表者であるかどうかを試すために戸無き八尋殿(やひろどの)を作ってその八尋殿の内にコノハナサクヤヒメはお入りになりまして、土の隙間のないように塗り塞(ふさ)いでお産みになるとき外から火をつけたのであります。そこでこのコノハナサクヤヒメのお産みになるところの子(みこ)は、どういう子(みこ)であるかと云うと、火の盛んに燃ゆる時にも火に焼けざる久遠実在の皇子(みこ)であったというのであります。・・・物質で出来たものなら火で焼けば焼ける、しかし実在(ほんとにあるもの)でできたものなら、いくら火に焼いても焼けない。日本の皇位は現象界の泡沫(うたかた)のような移り易(かわ)る皇位ではない、久遠實相永遠不滅の皇位が現象界へ姿をあらわしているから、天壌無窮、いつまでたっても火に焼けず、水に溺れず、変易する事はないのであります。
かくの如く、産屋(うぶや)は焼けども焼けども、燃えないところの金剛不壊の相をもってお生まれになったのが天津日嗣天皇(あまつひつぎすめらみこと)で、皇位の久遠無窮のことがここに書かれているのであります。皇位をお継ぎになった皇子(おうじ)をヒコホホデミノミコトと申し上げます。又の御名をホオリノミコトと申し上げるのであります。
天津日嗣(あまつひつぎ)の皇位は単に陸上のみならず、海の中と雖も知ろしめし給う、「スメラミコト」は一切のものの大君にましますが故に、陸だけを知ろしめすのではないのであって、山と云わず海の中までも知ろし召すのであります。「スメラミコト」の統治の広さはじつに広大無辺でまことに尊き限りであります。>>(P.207〜216)
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(7251) |
- 日時:2015年06月21日 (日) 09時19分
名前:ニャンコちゃん
こんなお話を久しぶりに拝読しました。 やはり雅春先生のご著書はすごい
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