生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
トップページへ戻る
↓↓↓ 訪問者数 ↓↓↓
反・『御教え』・・・雅宣総裁語録と講評 <第二十九話> (528) |
- 日時:2013年03月19日 (火) 09時49分
名前:信徒連合
< 第二十九話 > 私は学者です。覚者ではありません。!(誠にスミマセン!お許しを!)
(平成22年3月29日『小閑雑感』)
<<これはいわゆる「悟り」とか「救い」とか「回心」とか「超越体験」などと呼ばれているもので、それが心の中で起こることは確かであるが、言葉による説明を超えているから現在意識で起こるのではなく、したがって潜在意識で起こる大きな出来事ということができる。>>
(講評)
私たち信徒は、開祖・谷口雅春先生から<「悟り」とは、五官・六感を超越した「実相覚」で以って「絶対実在を絶対認識(直接認識)」すること。「無の関門」を超えたこの境地に至れば“手の舞い足の踏む所を知らず”歓喜法悦の境地なり!>と聴きました。
開祖・谷口雅春先生はこの悟境の実際の偉大なる覚者であられたのでした。また、「廻心」とは360度の“観の転換”(心が“クラリ”と変わって、螺旋階段を360度飛躍上昇)をなすことであるとも教えて頂きました。かくして本当の救い(病・悩・苦からの解脱)が成就されるのであります。これが宗教の世界であり、信仰の道なのであります。
然るに三代目・雅宣総裁は、宗教上の「悟り・回心・救い・超越体験」を、自分の肉体頭脳知の世界で心理学的に説明しようとしているだけなのであります。その訳は、自分自身による「超越的体験=悟り=絶対実在の絶対的直接認識」が“無い”からなのであります。だから、“隔靴掻痒”(かっかそうよう)のまわりくどい心理学的解説しか出来ないのであります。
端的に言えば、砂糖の甘さは、嘗(な)めれば即座に解るのですが、そんな事は“はしたない”として、化学者は砂糖の甘さは研究室で化学分析によって追及するのが理性ある学者の姿勢であると研究を続けます。そして砂糖の甘さの実際を知らないで一生を過ごすのであります。
従って学者は「病・悩・苦」の現実的解決は出来ませんが、覚者は「病・悩・苦」の現実的解決を行なうのであります。学者は<「悟り」は潜在意識で起きる>と考えますが、覚者は<「無の関門」を超えて「悟り」を成就された「霊的覚醒者」>であり、心理学的にいえば、<「悟り」とは、潜在意識・深層意識を超越し、意識の釜の底をぶち抜いた超高次元の超意識の世界(境地)で起きるもの>ということが出来るのであります。
学者は、殊更に難解な言葉で理屈っぽく語りますが、覚者は、平易な分かりやすい日常の言葉で的を射た端的な言葉で語るのであります。“学者と金持ち、あとまわし(ですよ、三流学者・雅宣センセイ!!)”。
-
|
|