生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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7月2日「枯れ松模様」、マサノブ・ニセ総裁は本来の『御教え』の偉大さとその霊的救済力が解っていないので、ウダウダ・グタグタと難解な文章構成で学者的評論講釈をしている! もう沢山だ!! (7379)
日時:2015年07月02日 (木) 22時48分
名前:公平なる観察者



マサノブ・ニセ総裁は、まことに大閑人である。“学”のあるところを信徒に自慢したくて仕方ないらしい。簡単に言えば分かるところをムツカシク殊更にムツカシク学者的理屈で捏ね繰りまわして自己顕示の快感に酔っているだけである。このことは何を意味するか? マサノブ・ニセ総裁はその字のごとく本来の「生長の家」の『御教え』を字面だけで人間知で理解して分かったといっているに過ぎない。『御教え』の霊的に深い所までは何もわかっていないのである。こんな難しい理屈コトバで文章を書いても信徒の皆さんは読む気もしない。それが証拠に、3回連続の「ローマ教皇の“環境回勅”」についての「枯れ松模様」のコメントは筆頭茶坊主の堀浩二・準教務大センセイを除けば、毎回全部ゼロの惨状! 常連ヨイショ信徒のみなさんも、マサノブ・ニセ総裁の学者的理屈の文章には辟易して読む気にもならないし、内容が理解出来ないのであります。まず、今回の概要を下記に掲げます。



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2015年7月 2日 (木) =ローマ教皇の“環境回勅”(3)= (概要)
 
<< 回勅では、教典解釈の変更について2箇所で述べている。・・・ “私たちは神ではない。・・・人間は神の似姿に創造され地の支配権を与えられたのだから、他の被造物を絶対的に支配することができるという考えを、強く拒絶しなければならない。” 神が世界の庭を「耕させ、守らせられた」(『創世記』第2章15節)・・・「耕す」とは、耕作することであり、鋤を入れることであり、働くことである。「守る」とは、世話をし、保護し、管理し、保存することである。これは、人間と自然との相互に責任のある関係を暗示している。生存のためには、それぞれの地域の人々は土地の恵みから取ることができるが、それと同時に、それらの人々はその土地を保護し、後世の人々のために土地の豊かさを確保する必要がある。・・・「地と、地にあるものとはみな」(『申命記』第10章14節)主に属する。このように、神は絶対的所有権の主張をすべて拒否されている−−「地は永代には売ってはならない。地はわたしのものだからである」(『レビ記』第25章23節)。”人間の絶対的所有権の否定である。この世で人間が住む土地は、たとい法律的には個人や団体の名で所有権登記がされていても、本当の意味では人間や、その集団である団体に属するものではなく、神に所属すると明言している。「すべての財産は“社会的抵当”に入っている」、自然界を「人間のための宿」とも整合する。・・・“私たちは、地の財産を責任をもって使う義務があるとともに、神の目から見れば、他の生物種はそれぞれの価値をもっていることを認めなけばならない。そのことは、教義要覧に「その存在自体が神を讃え、神に栄光を与えている」と、また「主がそのみわざを喜ばれるように」(『詩篇』第104章31節)とある。私たち人間に与えられた独自の尊厳と知性という恩恵によって、私たちは神の創造と固有の法則を敬うことを求められている。・・・” 人間が自然を敬わねばならない理由は、すべての被造物が神を讃えるためにあり、また神が英知をもってそれらを創造されたからだ・・・人間以外の被造物の存在価値を讃え・・・ドイツ司教会では、他の生物種に関してこう教えている−−私たちは、「存在する」ことを「利用できる」ことに優先して語ることができる、と。教義要覧は、ゆがんだ人間中心主義を、このように明確に、力強く批判している−−「それぞれの被造物は、それ固有の善さと完全性を備えている(…中略…)多くの様々な被造物は、それぞれがそれ自体の存在を望まれており、それぞれの独自の仕方で神の無限の英知と善の光を反映している。人間はだから、あらゆる被造物の特定の善さを尊敬し、秩序のない利用を避けなければならない。” ここまで読み進めれば、読者は、今日のカトリック教会が進もうとしている道が、これまで私たち生長の家が歩んできた道とあまり変わらないことを理解してくれるだろう。谷口雅宣



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<講評>


@ マサノブ・ニセ総裁は、「人間の絶対的所有権の否定」とか「すべての財産は“社会的抵当”に入っている」、「自然界は人間のための宿」さらに「人間以外の被造物の存在価値」とか一般信徒にとっては抽象的で難しい言葉で並べて、「今日のカトリック教会が進もうとしている道が、これまで私たち生長の家が歩んできた道とあまり変わらない」と結論付けているのである。



A この様なことは、開祖・谷口雅春先生の『御教え』によれば信徒の皆さんは夫々、入信当初から皆理解し実践しているのである。それは「大調和の神示」である。この至って分かり易く表現されている「大調和の神示」の内容を、マサノブ君は殊更に学者ぶってローマ教皇の「環境回勅」を引き合いに出して物知り顔に解説しているのである。マサノブ君のこの学者的解説文は、求道者としての信徒の真理把握には却って有害である。宗教指導者は、難しいことでも出来るだけ平易に信徒の皆さんに解説しなければならない。真の真理の道に通暁した偉大なる覚者は「無の関門」を越え、實相真理を自己の直接的生命体験として悟得した霊的体験があるからであります。この様な真の霊的覚者の平易なる真理の解説は、聞く人の潜在意識に直入して行くのでありますが、マサノブ君には、残念ながらこの生命的霊的真理把握の体験がないが故に、肉体頭脳知に頼らざるを得ず、却って難解な説教と成るのであります。マサノブ君は宗教家と自称すれども真理そのものを自分のものとは出来ていないのである。



B 「汝ら天地一切のものと和解せよ。天地万物と和解せよとは天地万物に感謝せよとの意味である。」

この簡単な「神示」の言葉のなかにすべてが含まれているのである。だから殊更に「人間の絶対的所有権の否定」とか「すべての財産は“社会的抵当”に入っている」とか「自然界は人間のための宿」とか「人間以外の被造物の存在価値」とか抽象的で難しい言葉を並べて解説する必要はないのであります。ニセ総裁のマサノブ君は、この「大調和の神示」は知っている。しかし、この神示を完全に自分のものとしていないために、「言行不一致」の姿となっているのである。「先ず汝の兄弟と和せよ」と書かれてあるのにマサノブ君は、義兄の宮澤潔先生と実弟の貴康先生を「谷口雅春原理主義者」と言う屁理屈付けをして教団から追い出してマサノブ独裁体制を確立して「生長の家」の完全解体と『御教え』の抹殺に向かって暴走を重ねて来た。そして、実母の恵美子先生さえも、自分の独裁と暴走が知れないように軟禁状態に置いてユキシマ金庫番をして預金通帳と実印まで取り上げさせた。そして、防犯カメラで四六時中の監視下に実母・恵美子先生を置いたのである。「汝の父母に感謝せよ」の教えは何処に行ったのか? だから、“ニセ総裁”なのである。だから「大調和の神示」の全相を信徒に説くことが出来ない。如何な傲岸不遜なマサノブ・ニセ総裁といえども良心の呵責を感じているのであろう。「ローマ教皇の環境回勅」などと殊更にムツカシク文章を書いて信徒の注意をそらしているのであります。



C マサノブ君はニセ・総裁なるがゆえに、開祖・谷口雅春先生の『別冊・真理—生死を超える道』を読んで居ないと思われる。なぜならば、「個生命の進化」、「自然界の生命的秩序」、「生命体としての地球の進化」について一切触れない。彼はこのことの内容がわからないからである。だから、「神・自然・人間の一体性」とか「人間は自然の一部」と云った表現を用いるのである。これ等の考え方は本来の『御教え』から見れば間違いなのである。マサノブ君は自己の真理の悟りの無さを棚に上げて、法燈継承者を自認しながら「開祖・谷口雅春先生の教えは完全ではなかったので、不完全なところを自分は正しく改める」とか「開祖・谷口雅春先生の教えは現代には不適当であるから、自分が説く“今の教え”が現代・生長の家の教えである」と豪語して憚らずであります。



D 『別冊・真理』には次のように書かれているのであります。

<< 大自然を見渡せば、鉱物の王国から植物の王国、動物の王国へと、「生命」というものが、いづれも次の一段高い王国の到来を預示しているのであります。人類の王国も亦、一層高次の高い王国のを預示していると私は思うのであります。進化の段階が上昇するに従い、上位の王国は下位の王国を支配し、最後の段階の人間の王国は他のすべての王国を支配しております。私は生命原理の進化の段階に、さらに現在の人間の上に尚一層の勝れたる段階が出現するということを期待しているのであります。それは生命の第五王国――超人――の出現であります。この第五王国に位する超人は、今の人類が動物に勝る程度に、今の人類に勝るでありましょう。>>(16頁)



F したがって、“生命進化”という観点から言えば、「神・自然・人間の一体」も「人間は自然の一部」というマサノブ流の考えは間違いであります。人間は自然界の一部ではなくして「人間は神の最高の自己実現」――神の属性が完全に100%顕現されたものであります。これに比し、鉱物・植物・動物はその生命進化の顕現度合いに応じて神の属性が部分的に小中大の割合で顕現しているものであるといえるのであります。マサノブ君の見方は所謂「悪平等説」であるのである。此処には“生命進化”という考え方は入り込む余地はない。何時まで経っても生命進化の無い宇宙――悪平等の暗黒思想――これがマサノブ・ニセ総裁の個人的思想であり、彼は自己の暗黒思想を以って「生長の家」と名乗っている。だから、マサノブ君はニセ総裁であり、「生長の家」看板の横領者と言えるのであります。表装と中味の違う詐欺宗教――これが「マサノブ教」の実体なのであります。信徒の皆様、ゆめゆめ騙されること勿れ!! マサノブ君よ、こと此処に至れば、君は「生長の家総裁」とは恥かしくていえないではないか! 書けば書くほど君の総裁不適格性が暴露されるだけだ! 「生長の家」看板を速やかに返却して宗教的詐欺罪から足を洗って八ヶ岳の山深くのところへ姿を消したまえ!!








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