生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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「初心者」はかくのごとく生長の家の『御教え』を否定する! <その25> (551) |
- 日時:2013年03月20日 (水) 15時38分
名前:四万十分析官
「初心者」という人物は、「トキ掲示板」において下記の如く生長の家の『御教え』を否定しているのである。「トキ掲示版」規約には「基本的に生長の家の教義と谷口雅春先生の説かれた教えを支持、共鳴する人のためのサイトです。生長の家と谷口雅春先生へのご批判をされる内容の投稿はご遠慮下さい。」と書いてあるが、一連の「初心者」と名乗る人物は、この投稿規約に反する投稿を続け、管理人氏も未だに一回も注意を与えていない。「初心者」と「トキ掲示板」との関係は主従の関係にあり、この様なところから「初心者=雅宣総裁」と言われているのである。そして、雅宣総裁としては、決して公の“総裁”としての立場では言いたくても言えない開祖・谷口雅春先生への反逆の「本音の思想」を「初心者」なる名前を使い、思う存分吐露し続けているとも考えられるのである。この意味からでも、彼のやり口は宗教家として非常に卑怯そのものであり、“総裁更迭”に十分に値するのであり、信徒はもっと声を大きくしなければならないのである。
以下、生長の家の『御教え』を否定する「初心者」なる人物の投稿を転載させていただき読者のみなさんの判断に供するものである。
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「トキ掲示板」より
1251 :初心者:2012/09/23(日) 00:47:49 ID:qBrfhCPc
わたしの書きました内容にたいして具体的な応答はなさっていただけないということなのでしょうか。
1285 :初心者:2012/09/23(日) 13:49:47 ID:qBrfhCPc
・・理解できない物事や説明できない事柄に遭遇したとき、生長の家の方々は、雅春先生の教えを逆手にとって、理解を拒絶し説明を拒むための口実として利用するということです。たとえば「頭脳知」、「人間知」という単語を用いるという手法あるいは「現象はない」という方向へ話を引っ張るという手法です。こうすることで、理解を拒絶し説明を拒むことを正当化できます。「ない」と言いさえすれば、そのことについてはなにも語らなくてすみます。こうした構造が見えてまいりました。
217 :初心者:2012/09/24(月) 10:15:13
このことからわかるのは、神想観は、爬虫類脳とエーテル体のカップリングによる効果の可能性がある、ということですね。ただし、爬虫類脳だからダメだとはいうわけではありません。爬虫類脳はエーテル体を象徴するものだということをいっております。霊的には以上のように考えることができるのではないでしょうか。
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<問題点>
@ 上記三つの投稿文によって分かることは、「初心者=雅宣総裁」が生長の家の『御教え』についての理解は我々の様な無名の末端信徒以下だと云う事である。
A どういう点で「初心者=雅宣総裁」が末端信徒以下だといえるのかといえば、――
* “師”に就いて霊的真理を学んでいくための基本的態度が最初から無いということ。すなわち、“師”が悟られて書かれた真理の書を<海綿が水を吸うが如くに読み進む>という態度が「初心者=雅宣総裁」には見られないことである。逆に『生命の實相』の生半可な読み方をしただけで、難解な哲学用語を使いながら、<わたしの書きました内容にたいして具体的な応答>を求め、議論と理屈の応酬の世界へと引っ張り込もうとする態度は、決して真理の奥堂へは到達できず、真理の周りを堂々巡りするだけである。
* 「初心者=雅宣総裁」は非常にねじれた思考をする人物である。<「ない」と言いさえすれば、そのことについてはなにも語らなくてすみます。こうすることで、理解を拒絶し説明を拒むことを正当化できます。> このように理屈の論理で、求道者を追及して追いつめ自己のIQ指数の高さを誇示するのである。すなわち、信仰者や求道者にとって大切な“素直さ”に欠けているのである。この霊的体質の欠陥は今生では直り難いものであり、宗教、信仰、求道の世界には不向きな人間である。学者や評論家向きの人間である。
* 「初心者=雅宣総裁」は、自己の思考が“人間の肉体知”の思考であると言われることに大いなる屈辱を感じているのである。故に、彼は抵抗する。<生長の家の方々は、雅春先生の教えを逆手にとって、「頭脳知」、「人間知」という単語を用いるという手法を使って理解を拒絶し説明を拒むための口実として利用する>と、精一杯の負け惜しみを述べるのである。
* 理屈好きな人は、『生命の實相』を読んで疑問点を感ずる。しかし、求道者である限りその疑問点がなくなるまで再読、熟読を繰り返す。そして思索する。思索に思索を繰り返していくと遂に“正思惟”に達する。しかし、究極の“正思唯”(真理)の境涯に達するためには「百尺竿頭進一歩」すなわち、現象の肉体知のギリギリ、断崖の行き止まりから空中へ超脱する、「無の関門」を超えなければならぬことを悟る、そして彼は実際に超脱するのであるが、「初心者=雅宣総裁」は現象の肉体頭脳知が最高のものだという驕慢の境涯に居るため、「無の関門」を超えることを考えないのである。むしろ、「無の関門」を超える必要性を放棄してしまっているのである。「初心者=雅宣総裁」の斯かるが如き真理探究態度では、永久に究極の正思唯には達することは不可能である。
B 以上の如き、真理探究態度であるから、「初心者=雅宣総裁」は <神想観は、爬虫類脳とエーテル体のカップリングによる効果の可能性がある>というようなわけのわからぬ表現をするのである。雅宣総裁が講習会において「神想観」実修時間を30分から10分以内に短縮し、それも「神想観」ではなく「世界平和の祈り」の時間とプログラムに書き、講習会の最後尾に“付けたし”的にもっていったことは、雅宣総裁自身が「神想観」を真理悟得には必要なものではないと思っている証拠に他ならない。だから、上記表現の如く<神想観は、爬虫類脳とエーテル体のカップリングによる効果の可能性がある>という屁理屈的な表現となるのである。
本当に、雅宣総裁には開祖・谷口雅春先生の『御教え』の後継者、「生長の家」教団の後継者の資質と適正がないことが分かるのである。「総裁更迭」が求められる所以である。
■■■■■< この表現は見過ごせない! >
「初心者=雅宣総裁」は上記文章で、何故か、「神想観」を“爬虫類”という言葉と関連づけていることは絶対に見過ごせない。“爬虫類”という言葉に対しては多くの人々は嫌悪感を大なり小なり持っており、この言葉を安易に使うことを躊躇するのが普通である。しかし、「初心者=雅宣総裁」は案外平気でこの言葉を使うのである。「神想観」実修中には“悪霊”は近づけない。“悪霊”から見れば「神想観」はイヤなものなのである。キライなのである。ナクシタイのである。雅宣総裁が「神想観」をそれほど重視しないで「世界平和の祈り」へ切り変えて行きつつあることは、雅宣総裁に憑依している“悪霊”の意思であることは間違いない。そこで、下記のアドレスをクリックいただきたい。
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=snihonryuu&mode=res&log=6 (このスレッドの記事NO.181)
此処に映っている「森のオフィス」上棟式に於ける雅宣・純子夫妻の“拡大写真”をよくご覧あれ! 雅宣総裁の顔と目つきのなんと怖いことよ! また、純子夫人も“雌狐”といった顔つきに見えるではないか! まさに憑依している悪霊が顔を覗かせた“心霊写真”のように見えるのである・・・■■■■■
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