生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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忘れない10年前の雅宣氏の小閑雑感 (7473)
日時:2015年07月09日 (木) 15時19分
名前:不動明王

雅宣氏の半日思想を表した文章。

August 13, 2005 歴史教科書の見方
 
今日(8月13日)の『産経新聞』は、扶桑社の中学校用の歴史教科書を東京・杉並区の教育委員会が採択したことを1面で大きく報道している。まぁ、自社と関係の深い出版社が出した教科書の採用を喜ぶ気持は分かるが、新聞社が“客観報道”をあまり重視していないことをさらけ出すようで、何となくしっくりしない。これに対して、『産経』とは報道姿勢で対極をなす『朝日新聞』は、東京の地方版のトップでこれを伝え、「今回は4年前とは逆に、3対2で同社版の採択が決まった」と事実を伝えた後に、反対3、賛成1の割合で関係者の意見を掲載している。こちらも“中立の立場”とは決して言えないだろう。そもそも私は“中立の報道”などありえないと考えているから、世の中の出来事を本当に中立的に知ろうとするならば、新聞もテレビも本も、複数のソースに当る必要があると思い、新聞は上記2紙を併読している。
 
  ここ数年続いている歴史教科書の問題は、すでに相当“政治化”していて、特に今の時期は首相の靖国神社参拝とからんだ外交問題とも関係し、さらに言えば、今回の自民党の内紛、解散・総選挙とも関係してくるだろう。そういう意味では、私の本欄での発言が特定の政治勢力を擁護する印象を与えることは極力避けたい。しかし、将来の日本を担う若者に過去の日本の歴史をどのように伝えるかという重要な問題に対して、「政治化」を理由に沈黙を守るというのも無責任の誹りを免れないと思う。そこで、ここではできるだけ分かり易く、私のこの問題についての理解の“大筋”を述べ、読者の皆さんの参考に供したいと思う。

 対立の一方の立場は、かなり明確だと思う。それを単純に言えば、

@「戦後日本の教育は左翼の“自虐思想”の浸透に貢献してきたから、それを“正常”にもどすために、戦前の日本で認められてきたことで現在も価値あるものは教育に復活させるべきだ」ということになるだろう。これに反対する立場を単純化して言えば、A「戦後日本の教育は、思想的な面ではあまり問題なく行われてきたのに、最近になって戦前の思想や戦争を美化する勢力が増えてきて、歴史教科書の内容を変えようとしている。そんなことを許してはならない」となるだろう。この2つの立場は、複雑な問題を強引に単純化しているので不充分な点が多くあるが、問題整理の一助として掲げた。私は、この2つのいずれにも欠陥があると思う。@の欠陥は文章の後半で、「戦前の日本で価値あるとされてきたことで、現在の日本でも価値あるとされるものは何か」について、必ずしも明確に述べていないことである。これでは、Aの立場の人が抱く「戦前と同じ社会にもどそうとしている」という不安を払拭できないだろう。
 
 Aの立場の問題は、文章の前半にある「戦後の教育は、思想的な面であまり問題がない」という認識である。日本の戦後の教育は、日本の現代史を真面目に教えなかっただけでなく、「日本の現代史は教える価値がないほどつまらない侵略戦争の歴史だ」という印象を生徒に与えてきた。私自身がそういう教育を受けた。しかし、現在ではもちろんそう思っていない。日本の歴史は現代史こそが重要であり、日本人は、ここで起こった善も悪もすべてをよく理解し、善を伸ばして悪をはびこらせない努力をすべきだと思う。そういう意味では、歴史教科書は、現代日本の善も悪もひっくるめてきちんと教えることが重要だと思う。このことは、大東亜戦争(あるいは太平洋戦争)を含めたその前後の歴史についても言える。こういう基準から話題の歴史教科書を読んでみると、その記述の内容には残念ながら“合格点”をつけることができない。

 あまり細かな点は取り上げずに、要点にとどめよう。扶桑社の教科書は、大正デモクラシー後、日米開戦に踏み切るまでの日本社会の“潮流”について、ほとんど記述がない。私が言っているのは、社会がどのように動きながら戦争に突入したか、ということである。もちろん、同社の教科書には西田幾多郎、柳田国男、谷崎潤一郎、芥川龍之介などの文化人の記述はある。しかし、普通の日本人が満州移民をどう考え、満州事変をなぜ擁護し、右翼テロや一部将校の叛乱をどう評価したのか。当時の言論や出版の自由はどうだったのか。また、それはなぜそうなったか等のことに、まったく触れていない。だいたい、この教科書には「軍国主義」という言葉が一切出てこないのである。これは、教科書の執筆者が「戦前の日本に軍国主義は存在しなかった」と考えていることを示すのだろうか?

 この点、平成元年の検定を受けた東京書籍の教科書には、次のようにきちんと書いてある:「言論や教育の面でも、思想上の取りしまりがますます強くなり、戦争に反対する意見を述べることもできなくなった。大部分の国民は、政府の発表や、新聞・ラジオなどの統制された報道によって、戦争の勝利を信じ、戦争を続けることに疑いを持たなかった」(P.281)。

 もう一つ重要な点を挙げれば、同社の教科書は、大東亜戦争終結に当って昭和天皇が重要な役割を果たされたことは「聖断下る」と題して記述しているが、それでは同じ戦争の開戦に当って、軍の統帥者である天皇御自身がどのような役割を果たされたかについて何か書いてあるかというと、これには全く触れていない。そこではハル・ノートを説明した後に、「これを最後通告と受けとめた日本政府は、最終的に対米開戦を決意した」とあるだけだ。これはなぜだろうか? 
 
 昭和天皇は開戦と終戦の双方ばかりでなく、戦争中も軍の統帥者として大変重要な役割を果たされているのだから、1つのことを書くならば、他の2つのことにも触れる必要があると思う。この問題は、日本が近代国家として初めて独自に考案した「大日本帝国憲法」の規定の根幹に触れるものであり、ひいては戦前の日本社会全体の動きと深く関連している。そういう問題意識が感じられない点、はなはだ残念である。

 このほかにも書きたいことは多くあるが、他の教科書を擁護するつもりもないので、この辺で終りにしたい。最後に結論的に言えば、扶桑社の教科書は上記の@の立場に限りなく近いように見えるので、よい所も多々あるが、戦争を擁護しない立場の私には推薦することができないのである。

谷口 雅宣

確信犯です (7477)
日時:2015年07月10日 (金) 05時23分
名前:白鳥

完全左翼思想です。

生長の家の教えを全く知らない不幸な雅宣さんですね。

日本国実相顕現 ・ 人類光明化運動 の 使命 を忘れるな! (7481)
日時:2015年07月10日 (金) 11時10分
名前:実相顕現



「 戦争を美化 」 という用語は、雅宣総裁のレッテル貼り用語である。

「 戦争を美化 」 は、学生の頃、民青や、左翼学生がよく使っていた。


雅宣総裁の論理で言えば、「 戦争は人殺し 」 であるので、

「 生長の家は、人殺しを “ 美化 ” している 」 ということになる。


一般の普通の感覚で考えてみたら、このようなものの考え方は、非常識であって、

精神異常者でない限り、戦争や人殺しを“ 美化 ” する人はいないであろう。



これまで、人類の歴史は、多くの戦争や紛争に遭遇してきた。

どうして、戦争や紛争が起きたのか、どうすれば、戦争や紛争がなくなるのか。


戦争反対を唱えれれば、なくなるという単純なものでもない。

環境には国境がないので、環境運動をやればよいというものでもない。




「 すべての人間は 神の子である 」 という、人類光明化運動の使命に邁進して

ゆくことが、最も大事なことである。





 (7484)
日時:2015年07月11日 (土) 00時58分
名前:山本山

>私の本欄での発言が特定の政治勢力を擁護する印象を与えることは極力避けたい。

このわずか4年後に「民主党政権の誕生を歓迎する」と書き、自民党政権奪還後も「安倍総理はハーメルンの笛吹き男だ」「都知事選では本当は共産系候補を応援したいけど、さすがに勝てなそうだから同じ反原発の細川でいいや」「安倍内閣の集団的自衛権に関する憲法解釈変更は容認できない」「安保法制は憲法違反だ」等々と発言していることについては信徒は絶対に疑問に思ってはいけません。

憲法の話でいえば参議院選挙は最初の1回を除き違憲(ヒント:第七条)なのをこれまで戦争になるとか言って誤植ひとつ直さないまま憲法解釈でごまかしてきた話は今や有名ですし、雅宣教祖の手垢のついた論評に対し私自身そもそも日本国憲法自体が違憲だろうが!と突っ込ませていただきました。

昭和天皇の終戦の御聖断だけでなく開戦時や戦争中の役割も書けと?雅宣さんは帝国憲法復活改正を掲げてきた生長の家において総裁を自称していますが、やはり帝国憲法を読んだことすらないのですね。新編聖光録に全文が載っているのに。
よく総裁になれましたね。掲示板であまり指摘されなくて少し不安なので私の認識が違っていたら教えてほしいのですが、彼は講師試験すら受かっていませんよね。教団がまだまともな時期に講師試験を受けていたらあんな斜め上言動ばかり連発するはずがありません。
話を戻せば、敵方の言葉に頼るのも癪ですが相手国のマッカーサー元帥ですら昭和天皇に「戦争開始責任」がないことを知っていました。

そして最後に昔雅宣爺さんは○ケが進んだのかブログで七つの燈台の名前すら正しく漢字で書けなかったことがありましたが、40年間満洲の近代化に尽くしてきた日本人の末裔として満洲のさんずいくらいは正しく書けるようになってください。自分だって「うかんむりを書くのが面倒」とか言って雅亘とか書かれたらいやでしょうに。



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