生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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雑感 (7625) |
- 日時:2015年08月02日 (日) 23時27分
名前:管理人
依頼人とその賛同者の皆さんが去った後、当掲示板への投稿は全くなくなってしまいました。 反雅宣総裁、反生長の家教団を訴えることでしか、正統・本流生長の家が主張できないのでしょうか。 生長の家は、いつの日からなのかわかりませんが、おかげ信仰になってしまったような思いがあります。自分もおかげを求めていたのかもしれません。生長の家は「生かされている。ありがとうございます。」で良かったのではないでしょうか。しかし、人間は良くのカタマリです。「生かされている。ありがとうございます。」で良かったのに、それ以上のものを求めます。雅春先生が生長の家を何の目的のため創設したのかを、再確認する必要があります。雅春先生に学ぶことをしなければなりません。 雅春先生に学ぶことを忘れてしまった現教団信者は、生命の実相や聖経がなくなったことや、総本山から鎮護国家が外されてしまっても何の反応も示さなくなってしまった。組織も人もレベル低下しています。 方や、「学ぶ会」や「ときみつる会」にしても、情報発信力は乏しい。元会員だけでは将来的に組織はなくなってしまいます。 正しい雅春先生を伝えて行くための、ネット活用方法はもっとあるのだと思います。
さて、大熊先生ですが、ご自身のブログで
人を貶めるような記述をする人は、人類暗黒化の奴隷です。 そのようなひとにかかわると暗さがうつります。 暗さに暗さを重ねてはなりません。 暗さは本来無し。 そのひとをみなで祈って差し上げましょう。 その人も 神の子です。
と、書いていますが、一方
この記事を悪用し、○○先生の中傷をする輩がいます。よい記事ですが、「悪用される」ので消去しました。どこにいても「恨み」や「ねたみ」を人にぶつける可愛そうな人がいるものです。 尊敬する人を貶める輩には、「憤り」「義憤」を感じます。
とあるように 「輩」という言葉を使用していますが、一般的に「輩」という言葉は良い意味では使わないようです。 「輩」が「悪意ある言葉からは神性は生まれない。」の「悪意ある言葉」に該当するのか思案しています。 「谷口雅春先生」「生長の家」を貶めている人は、「輩」と呼ぶことになるのですが・・・・。
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