生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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雅宣総裁は観世音大菩薩? 宗教観が麻痺しています。 (7672) |
- 日時:2016年01月10日 (日) 16時15分
名前:天邪鬼
谷口雅春先生に帰りましょう・第一掲示板より 「谷口雅宣氏の誤謬ということで、非難轟々となっているが、自分を害するとされる黴菌にすら感謝せよと教わった生長の家人としてこのような批判は如何なものであろうか。 「尊師谷口雅春先生の教えに反する」として批判することは容易(たやす)いが、批判をする我々自体が尊師の御教えに反する行為をしたことになってしまう。 實相の素晴らしさを信じ敢えて「褒め讃へる」ことにより、氏の眞姿顯現を引き出したいと思ふ。」
通常の一般人の常識感覚とここでいう「生長の家人」の感覚は、まったく違うと言うことです。一般人には「生長の家」は受け入れられない存在となるでしょう。本来は「尊師谷口雅春先生の教え」に反している人が総裁であること自体が駄目なんです。「尊師谷口雅春先生の教え」に反している人を総裁にしているのが今の生長の家教団であり、いかがわしい宗教団体なんです。総裁に値していない人を誉め讃えて、総裁にふさわしい人になってもらおうと言うのですから、一般人から見ると常識が麻痺していると見られて当然なのです。一般的な社会の組織として、このような対応が受け入れられると思っているのでしょうか? 思っている? 思っているなら、それはカルトです。
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