生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
トップページへ戻る
↓↓↓ 訪問者数 ↓↓↓
日本の政治と宗教 ―護国の神剣― 谷口雅春 (その1) (7702) |
- 日時:2016年06月09日 (木) 21時53分
名前:天の邪鬼
編者のことば
本書は常にわたしの尊敬してゐる谷口雅春先生の獅子吼集である。先生の心魂よりほとばしる憂国慨世の大獅子吼を編集したものである。 その対象は生長の家全信徒、生長の家政治連合全会員、あるひはまたその推薦を受けて当選した国会議員百四十数名の各位であるが、その内容においては広く全国民の魂にうつたへた日本再建への道しるべである。 それゆゑに、この人天の大導師の言々句々にふれた読者が、一には自己の精神の在り方と政治姿勢とを学ぶと同時に、二には即今立ちあがつて本書の頒布普及に努め、狂瀾を既倒に廻す一大運動に挺身されることを念願してやまないのである。 このことは生長の家政治連合、略称「生政連」の悲願とするところを一般の国民にうつたへて協力を呼びかけ、共に「護国の神剣」――実相真理のつるぎ――を打ち揮つて、いまや地球の半分を取りまいてとぐろを捲いてゐる赤き八岐遠魯智を退治する聖なる民族の使命に総蹴起することを意味する。
政治結社・生政連の結成は、今から八年前であり、その動機はわが国の教育、文化、経済、及び特に政治が日本人の魂を抜きとるための占領軍の基本政策をそのまま踏襲して惰性的につづけてゆくならば、日を追ふて人心は荒廃し、家族は解体し、自然は汚染し、国論は分裂し、国家は危殆に瀕するであらうといふにあつた。 爾来、生政連は国の大事にかかはる課題に渾身の努力を傾け、幾多の実績を挙げ、且つ中央地方の各級選挙において同志及びこれにつながる次善の人材を選んでその支援に果敢な活動を展開してきた。 この運動は、今日の多くの政治結社のそれとは全く次元を異にするものである。端的に言へば、生政連は個人的及び集団的利益の追求を目的にしないといふことである。その掲げるところの全綱領は、それによつて国民の一部のみが利益を得るといふがごとき低次元の利己的要求を微塵も含んでゐないといふことだ。「集団的利己心にうつたへることなくして選挙が闘へるであらうか。理想はその通りであるべきだが、現実はさうはいくまい」と人は言ふ。しかし、まさにその考へがわが国の政治をとめどもなく墜落させてきた元兇ではないのか。諸君はいまの日本人をそれほど利己的な腑抜けと思つてゐるのか。ならば、さうでない証拠を眼前に見せてやる。生政連はこのやうに思ひつづけて着々と実績を天下に示してきたのである。
「宗教」といふものは、それがヨーロッパ系の言葉(レリギオ)の単なる翻訳語でないとするならば、まさしく「宗の教」といふ意味である。「宗」とは根本真理の義であつて、その本質は究極にして唯一のものでなくてはならない。他方、この真理を説く「教」は人の機根、環境、時代によつて千種万様であり得る。 従つて「宗の教」なる原点に帰つて思ひをひそめると、そこには境界や縄張りなどあるべきでないことがわかる。政治と宗教とを分断して両者に境界と縄張りを設け、たがひに越境してはならないとするのは、久しく不寛容で排他的な宗教が異教徒を迫害し、宗派争ひのため血みどろになつて悩み抜いた近代ヨーロッパの窮余の人為的考案にすぎない。 政教分離といふことを何の吟味も用意もなく受け入れた現代日本では、宗教と政治とは全然関係ないものであり、政治家は根本真理などといふものに心を傾けるべきではないといふほどにみづからを卑しくしたのである。見よ、そのために、護国の英霊を祀ることすら今の日本ではヨーロッパ産なる「宗教(レリギオ)」の名におびえて久しく放置されてゐるではないか。 人と人とが紐帯を失つてアトム・原子となり、自然と対峠し疎外して公害を拡げ、国が集団的利己心の激突する修羅場になるのは、「宗の教」たる「宗教」、すなはち神も仏もなくなつたからである。政治が魂不在になつたからである。 谷口雅春先生の比類なく透徹した論旨と警告は、右の一大事を縦横に説いて残すところがない。願はくは、旧来の先入見や流行の情勢論や目先きの利害に捉はれて、われらの子々孫々が永く災禍と苦悩を蒙ることのないやう、活眼を見開いて本書にこめられた「宗」なるものに参ぜられんことを。
昭和四十八年五月十三日深夜、謹んで記す
生政連会長 田 中 忠 雄
-
|
|