生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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本家「看板だけ生長の家」では、真実であっても悪口になる。 (7755)
日時:2016年12月14日 (水) 22時32分
名前:本音の時代

一体、何をもって悪口と断定するのだろう。
たぶん、悪口とは悪意の言葉を指すのだろうが、
教団側に言わせると、いわゆる別派の言うことは全て悪口になってしまうのだろう。それが真実であっても・・・・。
感情が理性に負けています。未熟なんです。
雅宣総裁も未熟。日野君も未熟。
はっきり嘘だとわかっていることも嘘であると認めない。
真実であるか、ないかも確かめないでデマだと断定する。
自我の強い人たちです。
そのような人をたしなめる人も今の教団にはいないようだ。
環境問題にどっぷり浸かり、人の道を説くことを忘れた宗教団体の哀れな姿です。
楠本加美野さん(今は先生と敬称をつけことに抵抗感があります)も、立派な方だったのに、最終的には組織維持のために生長の家の中心帰一を、雅宣総裁という個人に中心帰一としてしまいました。哀れです。雅宣総裁に中心帰一を唱えている人すべてが哀れです。
教えより組織維持又は自我を優先したのですから。

 (7760)
日時:2017年01月20日 (金) 14時39分
名前:火曜クラブ

谷口雅春先生の本を読んだ人達が
なぜ雅宣総裁に中心帰一できるのかがわからない。
内容のレベルが全く違うと思うのですが。
雅春先生の説く真理以外の何を信じているんでしょうか。



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