生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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谷口貴康氏は、現在の教団をどのように考えているのか (7812) |
- 日時:2017年12月09日 (土) 10時37分
名前:本音の時代
現在の教団への違和感
――現在の生長の家に関してはどういうご感想ですが。谷口雅宣・現総裁は環境保護活動に熱心で、また今年七月の参院選に際しては「与党を支持しない」といった声明を出すなど、「エコロジー左翼」とも呼ばれるような路線を歩んでいますが。 谷口 現在の生長の家は、「天皇国日本」の旗を降ろした点からも、明確に雅春先生の教えから外れていると思います。教団の出版部門が雅春先生の著作の一部を絶版にしたり、また現総裁の雅宣さんが雅春先生のお考えを否定するかのような発言をしたりといったことは、決して許されることではないと考えています。それは三代目の“継承者”としてなすことではないでしょう。 ――先ほど申し上げように、谷口雅宣・現総裁には「エコロジー左翼」という評判もあります。 谷口 いや、私は雅宣さんを左翼と思ったことはありません。ただ、古いものを否定的にとらえ“自分流”にやりたい人であるのは事実だと思います。その自分流があまりにも雅春先生時代への反発に感じられることが多く、その時代に生きてきた人からは左翼的に見えるのではないかと思います。変えることはならないものと、変えていいものの判断が間違っていると思います。今の教団上層部も、ほとんど自分のイエスマンで固めてしまって……。忠告してくれる人がいない。これでは正しい判断はできません。清超先生の体制は、決してそんな風ではありませんでした。清超先生は雅春先生の教えを受け継いでいくという、ご自分の役目を自覚され、専制的に振舞うようなことはまったくなかった。当時の理事会も、かなり徹底した合議制でした。しかし雅宣さんの時代になっていくにつれ、雅宣さんはどんどん「自分がやりたいからこうするんだ」という態度を前面に出してきた。伝統を重んじる保守的な人からは、左翼的に見えるのでしょう。 ――その“自分流”の一つが、現在の生長の家が組織を挙げてやっている環境活動であるわけですか。 谷口 そういうことになります。私は環境活動というのは、別に悪いことではないと思います。しかしそれは、宗教団体がまず第一に取り組むものではないのではないか、とは思うのです。宗教団体にとって一番大切なことは、教義をきちんと世に示して、信者の方々に救済への道を説き続け、救済を実践することのはずです。現在の生長の家は、そういう宗教団体として行うべき“基本”をないがしろにして、環境運動のみにのめり込んでいる。これはやはり、ちょっとおかしい。国の生命、人の生命を守るという教えの中からバランスよく取り組むべきです。 ――谷口雅春きんの教えがないがしろにされている点に関しては、どのような理由からなのでしょうか。 谷口 先ほど申し上げたように、雅宣さんは本当に「自分がやりたいようにしたい」という思いが強い。雅春先生の教えを“継承”していくことよりも、自分で新しい何かをつくろうとする気持ちの方が強いのではないかと感じています。そして、そういう姿勢について注意しようとする人を、雅宣さんはどんどん教団から排除していきました。私が平成十七年に生長の家を退職することに なったのも、意見を言いすぎたことが原因だと思っています。
“畏怖”を感じさせる人
――ここでお聞きしたいのですが、谷口さんにとって雅春きん、清超さんは、祖父と父親に当たる方であるわけです。しかしやはり、ご自分の中では「雅春先生」「清超先生」なのですか。 谷口 そうですね。さすがに小学生くらいまでは「おじいさん」「お父さん」 でしたが、それ以降になると、やはり私にとっての 「先生」 でした。 ――特に雅春さんとは、どのような方だったのでしょう。 谷口 怖い人でしたよ。もっとも、それは「厳しく怒られて怖い」というようなことではない。すべてを見透かされているような、そういう“畏怖”の感情を引き起こされる方でした。ただ私は若いころに、生死に関わる二度の交通事故を起こし、周囲の方々にも大変なご迷惑をおかけしてしまったのですが、そういう時にさえ、雅春先生は透徹した視点ゆえに、私の中にある神の子を認め、受け入れてくださいました。そういうところから、私は教えを真剣に学びはじめ、“祖父”は本当に尊敬すべき“尊師”となったのです。 ――最初にも申し上げましたが、今年の日本会議ブームの中で生長の家、谷口雅春さんにも大きな注目が集まりました。日本会議に批判的な人々の中には、雅春さんについて「怪人」「ファシスト」と呼ぶ声さえあります。 谷口 それは違うと思いますね。本当に膨大な量の勉強をされておられた方で、天才を怪人のように思うのは、その人の勉強不足でしょう。清超先生が雅春先生に初めて面会した時に、戦地に行ったのかと問われ、「残念ながら行けませんでした」と答えると、「それは……よかった」とおっしゃられて、清超先生は、雅春先生が本当に愛深く、不殺生を願われていたことを知ったと述懐しておられました。また戦争中、雅春先生は軍部の方針に異を唱えるなどのこともしておられ、単純に時流に迎合していたわけでもありません。ただ現在の生長の家は、そういう雅春先生の生命を守る教え、布教の軌跡を、きちんと伝えなくなっている。せめて私は、微力ながらもそこを語っていきたいのですが。
【宗教問題Vol.16 季刊2016年秋季号 2016年11月30日発行 の掲載より抜粋】
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